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エリザベス洋装店のブログ

魔法の言葉2byべネシアスタンリースミス

英国では<サンキュー>をマジックワード(魔法のことば)と呼んでいます。感謝の気持ちを言葉にして伝えると、人との関係や物事が魔法のようにスムーズに進むからです。もし、子供が<サンキュー>を言わなかったら、親は<マジックワードは何?>と聞きます。私も子供の時母にそう言われてあわてて<サンキュー>といった思い出があります。1973年、私は日本に来て二度目の年に、岡山の田舎で暮らしていました。神社の竹林の横にある二部屋だけの小さな自宅で、近所の子供たちに英語を教えて生活を始めました。それまで私は、東京や京都で暮らしており、英語だけでも何とかやって行けたので、日本語を話すことができませんでした。ところが岡山のその村には英語を話せる人が一人もいなかったのです。日本語を少しずつ耳で覚えていきました。子供たちは授業の時、正座し、私に対して優しく丁寧な日本語で話してくれました。また月謝を持ってきてくれるときは、畑でとれたての野菜をいつも持って来てくれました。それが<ありがとう。お世話になりました>のしるしだと私は受け取りました。感謝の気持ちを率直に表現することや、人に対して礼儀正しく接する習慣が、日本人の暮らしの中に自然に溶け込んでいるんだなとその時私は感じました。

魔法の言葉1byベネシアスタンリースミス

三歳半になった孫の浄(じょう)が、ある時から急にたくさんの言葉を話すようになりました。朝起きると<おはようございます!>、感謝の気持ちは<ありがとう!>と言ってくれます。浄は八瀬保育園へ毎日通っていて、あいさつの言葉は毎日保育園で覚えたのでした。浄の母親のジュリーは。24歳の時に浄を生んで、重いうつ状態になりました。結婚するつもりでいた浄の父親とうまくいかなかったことが一つの原因のようです。私は一か月ほどジュリーを入院させました。その時、担当の医師から統合失調症であると知らされました。ジュリーの症状が安定した状態で一年が経過して、幻聴もなくなれば、やがて正常に戻るだろうとのことでした。三歳まで母親と子供は精神的につながっており、常に一緒にいるのが理想的だと思います。しかし、母親が病気になってしまったので、浄を見てあげる人が必要です。もちろん、浄の子守り役の一番の責任者はおばあちゃんである私ですが、英会話学校の仕事もあるので、毎日ずっと浄と一緒に過ごすことはできません。一歳にも満たない浄を保育園に預けることも不安に感じていました。どうしたらいいのだろうかと悩んでいるときに、大原の隣町の八瀬保育園がいいと言う話を聞きました。<私たち保育士も子供たちも、八瀬天満宮のお祭りや町の行事に参加します。地元との結びつきが深い保育園ですよ>と永野先生はにっこりと語ってくれました。浄は保育園でご飯の食べ方や服の着方など、日常生活に必要な多くのことを学んでいます。もっとも私が感心するのは、あいさつと感謝の気持ちを口にするようになったことです。<もし、子供たちが家庭内で<おはよう>や、<ありがとう>という言葉を聞く機会がなかったら、その言葉を使うようになれるでしょうか。機会がなかったら、その言葉を使うようになれるでしょうか。家庭の中で、また夫婦間で<おはよう>と<ありがとう>と言葉を口に出すことは、大切なことだと思いますよ>と坂本先生。

意思と心こそが国際共通言語byベネシアスタンリースミス

私は19歳で日本に住むようになりましたが、その時は日本語が全く分かりませんでした。私は何度も何度も人が話しているのを聞こうと努力しました。聞いているうちに日本語を自然に覚えられるのではないかと思っていたのです。日本語を聞き取れず、意味が分からないままの年月が流れました。それが五年たったある日、まさに突然のことです。それまでバラバラに聞こえていた日本語の単語がすべてリンクし、急に日本語がわかるようになりました。以前、私の英語学校に三歳の子供を連れた母親が来ました。母親はその子を英語の授業に参加させたいようでした。私は英語を勉強するにはまだ早すぎるのではないかといいました。しかし彼女は私にこう言いました。<この子が英語を覚えなくてもいいのです。あなたに英語で話してもらい英語を話す子と一緒に遊ぶうちに、世界は日本以外の言葉があり、日本人とは違う顔や肌の色をした人々がいるということを、この子が感じてくれたらいいのです。そして、外国人や異文化に対して差別やコンプレックスを抱かない、広い視野を持つ人間になってほしいのです>私は彼女の話に心を揺さぶられました。心にいっぱいになったものが言になって出てくる。

身近な自然からもらう色2byべネシァスタンリースミス

もともと寿一さんは農業をやり、染と織は奥さんの和子さんの仕事だったそうです。和子さんが織で忙しくなったので、染が寿一さんの担当になりました。ご夫婦は劇団で知り合ったそうで、はっきりとわかりやすい寿一さんの話し方は演劇で身についたのでしょう。もともと染の目的は色を楽しむだけではなく、生活の必要性から生じたとのこと。インドやタイのお坊さんの黄色い僧衣を染めるウコンや、アカネは殺菌作用があります。農夫はよく藍染の衣服や脚絆(きゃくはん)を身に着けていますが、それは藍には防虫効果があるからとのことです。草木染には、赤、黄、青、茶の四つの基本色があるそうです。赤色はアカネの根、黄色は玉ねぎの皮やヨモギの葉、青色は藍のは、茶色は椿やスギ、桜の木で染色します。春から秋にかけての温かく日が長いときには、草木に元気があるので、染色に花や葉を使います。冬の間は、春に備えて木の幹や枝が内側にパワーをため込んでいるので、樹木を使うということです。寿一さんは遠くの植物を手に入れるのではなく、自分の周りの身近な自然から染に使う草木を探すそうです。そして植物を切るときには、来年や再来年も使わせてもらうことを考えて切るそうです。ある時、寿一さんが木の枝を切った翌日に、たまたまその枝を見る機会がありました。切り口からは樹液がたくさんる。流れていました。<人間が切られた血が流れます。植物を切るときも、そこまで考えなくてはいけないな>とそれから思うようになったそうです。今は糸をとるために畑で綿を育てて、糸を紡ぎ、染めて、織る全行程を手作業でやっているということです。彼の言った次の言葉がとても印象的でした。<草木染めは、いろんな自然素材を使うので、偶然に素晴らしい色が出て驚かされることがあります。化学染料では決まった色にしか染まりません。私の仕事は草木染の美しさを再発見し、それをみなと分かち合うことだと思っています。染色のマジック。どの草木も、それぞれ特別な力を与えられている。

身近な自然からもらう色1byべネシアスタンリースミス

心を開くと、ありふれた毎日の生活の中でも様々な発見や感動があると思います。私たちは忙しさのあまり、ついつい目の前のことにも気づかず、遠くばかりを見てしまうことがよくあるものです。先日、近所で草木染通りの大原工房を営む上田寿一さんに、草木染の体験をさせてもらい、新たな発見がありました。すがすがしい秋空の広がる午後、私は大原工房を訪ねました。玄関わきには、染色に使う乾燥させた草木や、玉ねぎの川などが置かれていました。不思議なにおいの漂う作業室を除くと、植物を煮出している大なべがかまどにかけられていました。淡い色に染められた糸の束が並ぶ玄関を通って、奥の部屋に案内されました。草木染のセーターや手織りのスカーフ、シルクのショールなどが、しっとりとした色合いで並んでいます。工房の窓からは大原の田園風景が広がり、その向こうに比叡山の山並みが見渡せました。染色を教えてくれる寿一さんが、日焼けしたニコニコ顔で現れました。工房のすぐ近くにある藍畑へ行く途中、寿一さんは土手の草むらから赤茶色の根をした、一見どこにでもあるような雑草を引き抜きました。その草はピンクや赤の染料になる茜(あかね)だそうです。日本に来て間もないころ、あたしは東寺のフリーマーケットで真っ赤な長襦袢を見つけ、その美しさに感動したことを覚えています。今、茜が自分の住んでいるこんな近くに自生していると知って、再び感動しました。大原には茜が多いそうです。それから寿一さんは、畑で藍の葉を数枚積み増した。藍は一年草なので毎年植えなければなりませんが、年に三回収穫できるそうです。工房に戻ると寿一さんの指導の下、白いハンカチの上に積み立ての藍の葉を並べました。それから、木槌でたたいて葉の汁をハンカチに出します。そのハンカチを水でよく洗うと、かわいらしい葉っぱの形が藍色に染まっていました。藍の汁が空気に触れて参加することで藍色に発色するということです。次は乾燥させた藍に水で発行させて作った溶液でブラウスを染めます。藍の溶液に浸し、絞り、水で洗うという作業を繰り返します。寿一さんは不慣れで不器用な私の動きを冗談を言ってから買います。我が家の庭にも染色に使えるハーブがあります。コンフリー、キンセンカ、パンジ-は黄色に、パセリは気取り色、ホップは茶色、アロエは薄紫色に染まります。いつか私も庭のハーブで、草木染を試してみたいと思っています。だんだんと白いブラウスの記事は、美しい藍色に変化してきました。<せんしょくはまじっくでしょう>というじゅいちさんのことばにわたしもどうかん!