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エリザベス洋装店のブログ

中東から日本に流れてきたユダヤ人by中丸薫

まず明らかにしておきたいのは、日本あるいは天皇という言葉を作り出したのは渡来人の中でもユダヤ人であり、それもキリストを信じていたユダヤ人なのです。ユダヤは故郷を追われ、中東地域から東へ移動していった複数の民族がいます。彼らは移動中に、世界中に散らばってもいます。その一つが例えばアフガニスタンのパシュトン族です。中国でも、景教徒の集団は彼らの子孫です。その中からも、日本に大量に流れてきているのです。これがユダヤの十支族と呼ばれている人たちで、<日本>を規定した人たちはキリスト教以降にわたってきたユダヤ人です。縄文時代文化など高度な文明を保持していた先住民族の中で、彼らが目立つ存在となったかは、その理由を考えてみましょう。そのころは、まだまだ日本の国土は人間の数の割に広く、気に入ったところがあればどこにでも住みつくことができたことが、まず前提として大きかったと思います。ユダヤの集団は中東から流れ流れて来て、安住の地を見つけ、そこでこれまでの文明を展開する。日本のある場所に、高度な文明地域が突如現れるわけですが、そのような集落ができれば、自然と他の集落や地域にも影響を及ぼすことになります。多少の衝突が起こる場合もあったでしょうが、周辺の集落も、いいものはどんどん取り込んだことでしょう。物々交換や見よう見まねでより良い生活を目指す集落も出てきたと思います。こうなると、共通の生活スタイルや儀式などが広がることにもなります。その中には、日本の中で、もともと強い勢力を持っていた集落もあったはずです。天皇もルーツとなるかたもそうした集落のリーダーだったはずです。一方で渡来人の集落が、その先住の大きな力を持つ集落に、特別な待遇を持って吸収されるということもあったと思います。逆に積極的にそうすることで、先住の強力な集落はさらに大きく力をつけていったと考えられます。

<倭王>が現れるまでby中丸薫

日本は長い時間をかけて、何度もそれも様々な人々がユーラシアの東の端の島にたどり着いて、だんだんと一つの国を形成するようになって、<日本>になりました。ここからは、私たち日本人のDNAがどういう成り立ちによって形成されてきたか、整理しておきたいと思います。およそ3000年以上にもわたって君民共生の国を作ってきた天皇と人々。それ以前も、また天皇が日本を収めるようになってからも、渡来人などはやってきました。天皇が現れる以前から考えれば、大きく分けて、縄文時代からの先住民族、その後に何度もわたってきた何人とも特定できない人々、そしてユダヤ人、さらに宇宙人も加わって日本人を形成してきたと考えられます。もちろんもっと古くから、縄文の人々が形成される場面の、さまざまな人がこの東の島にたどり着いて形成されるのです。このようにかなり古くから<日本>はありました。ですが、天皇とか日本という言葉が出てきたのは<日本書紀>からです。ここで定められました。縄文時代は、1万何千年も前からあったわけですが、人々は縄文文化を持って自然の中で旺盛に暮らしていました。一つのまとまった国という概念はありません。縄文時代後期には、100軒500人規模の勢力を持つ集落ができて、簡単な農業を始めたりと文明化していましたが、やはりそれぞれ一集落でしかありません。逆に、それぞれの集落が独自の文化を主張していたような時代で、まとまってはいません。それでもそこには一人ひとりリーダーがいて、皆の暮らしを守ってきました。天皇につながるリーダーも8,000年前にはいたのです。それ以後に勢力を持つ集落から、王と呼ばれる人たちが出てきます。特に高度な農業文化とともに集落を作り始めた弥生時代の集落の中に力を持った王が出てきます。これが対外的に<倭王>などと呼ばれる指導者です。

日本人に謝りたいbyモルデカイモーゼby中丸薫

かってジャンジャックルソーが、<この地球上で一番の理想的な国家があるとすれば、それは君民共生という世界だろう>と指摘しました。しかし、そのような国があるはずはないから、その次に良い国を作ることができる民主主義を広めるしかないだろうという結論に至るわけです。ルソーの想像力は的を射ていました。君民共生の国は存在しえないとしたのは間違いでした。君民共生の国が理想的だとしたのは正解です。第二次世界大戦直後、マッカーサーと一緒に日本に来て、GHQの労働局長を務めたモーゼという方が、<日本人に謝りたい>(日新報道、1999年)という本を書いています。彼はユダヤ人で、闇の権力の一因でもあったのでしょう。彼はその本の中で、ヨーロッパのハプスブルグ家にしても、ロシアのロマノフ王朝にしても君民共生の国ではないから、我々がつぶしたと告白しています。そのために共産党も我々が起こして革命につなげたと。同様に日本の天皇家もつぶそうとした。ところが日本は理想の君民共生の国だったので、つぶすための仕掛けをたくさん仕込んでしまったことに良心を痛めたのです。闇の権力の一因だったとはいえ、まじめな方だったのでしょう。神と人間の間を取り持つ祭司に、もともとは権威もないのです。天皇は率直な気持ちで、誠意を持って国民のために祈る。これが共生です。ただみんなのためにいつも祈ってくれるのですから、自然に国民はその司祭を敬うことになる。これが権威につながります。そして<君民共生>となるのです。アメリカ占領軍のトップ、マッカーサーに天皇が一人で会いに行った時のその二人がうつっている写真は教科書にも載っていたでしょうか。日本の自虐史観では、大柄のアメリカ軍人の軍門に降(くだ)る小柄な日本の天皇という構図なのでしょうが、実際は違います。マッカーサーは、昭和天皇が<全責任は私が負います。国民のことはよろしく>といったのを見て、<私はその時に神を見た>とメモワールの中に記しています。率直な感想だと思います。じつは往年の軍人は若き日本の君主に圧倒されていたのです。写真も、よく見ると<権威>に圧倒的な差があります。昭和天皇に圧倒され、感動したマッカーサーは、早速に日本への支援物資などを手配しました。モーゼも、これを見て<日本こそが本当の君民共生の国ではないか>と確信したそうです。昭和天皇には後日、アマテラスが降臨し、武器の放棄と戦争の放棄を宣言します。江戸時代末期に国際デビューし、次第に列強と肩を並べ、日清日露の戦争に勝利し、満州国を建国、アジア太平洋地域に広大な権益を獲得した日本が、この時大胆に方針を変えるのです。この発想の転換ができるのも、アマテラスがいたからこそ、また連綿として2600年も一つの王朝が続いてきたことによるでしょう。そういう意味でも憲法の第9条は変えてはいけません。天上界もそういっています。自民党の改憲案も、9条の第一項、第2項は触ってはいません。ですが万が一、アメリカの軍事行動に日本も巻き込まれるような憲法、法律に代わるようでしたら、もう日本はアメリカの属国になってしまいます。天上界では、日本はもうアメリカから独立する時期であり、そうでなければ世界を救えないといっています。

アシュケナージby中丸薫

アシュケナージとは、モーゼの民とは関係なく、複雑な民族の興亡の中で、中央アジアのハザール(汗国)で発生しました。ある時、ハザールは周辺の国々との関係で、国教をイスラム教にするかキリスト教にするかを迫られ、報復が怖くてイスラム教もキリスト教も選ばず、ユダヤ教にすることに決めたことが、その始まりといわれています。7,8世紀のことです。彼らは強烈な選民思想と高い才能を強みに、おもにヨーロッパに広がり勢力を伸ばしました。白系トルコ系ともスラブ系ともいわれますが、いずれにしても中東に発生した生粋のユダヤ人とは異なる人々です。彼らは移住した各地で迫害を受けるかと思えば、地域経済を支配したりという中で、人脈と財力で裏からヨーロッパの王族をも動かせる力を蓄え、ついには世界中を牛耳る闇の勢力、権力へとつながる人々です。なぜ、彼らがこのような力を持ちえたのかにも理由があります。ハザール汗国のあったあたりは、それ以前にUFOが降り立って彼らによって作られた文明のあった地域なのです。メソポタミアなど古代文明が発展したところも宇宙人が作った文明を引き継いだといわれますが、この地域も”元”があったということです。中央アジアの人口は多くありませんので、メソポタミアや、エジプト、黄河のようにはなりませんでしたが、アシュケナージたちが人知れず受け継いでいたのです。今のイスラエル人は、ほぼこのアシュケナージの人たちです。第二次世界大戦後に中東のごたごたに乗じて建国しました。新たな国が中東に興せるという状況を作り出せたのも、アシュケナージたちの国際的な力のためでしょう。経済的に羽振りがいいのはアシュケナージの人たちです。アシュケナージの代表的な人間といえばアメリカのキッシンジャーやイスラエルのネタ二エフ首相とか、国際金融を動かしているようなファンドマネージャーなどがそうです。イスラエルの中にいる生粋のユダヤ人たちは二級国民のように扱われています。なので、アメリカなど世界にいる生粋のユダヤのラビたちは、イスラエルの存在を非難しています。あれは自分たち、ユダヤの国ではないと怒っているのです。本来のユダヤ人という人たちは善良です。実はパレスチナ人も元はユダヤ人なのです。今はイスラム教に改宗していますが、血族としては生粋の人たちなのです。

日本人は古くから<怨霊>を信じてきたby井沢元彦

日本はもともと天皇が納める国でした。それが平安末期に台頭してきた武士に政権を奪われて以来、天皇が日本の統治者の座に就くことはありませんでした。その失って久しい政権が再び天皇の手に戻ってきたのが、徳川幕府を倒した大政奉還です。ではなぜ天皇は政権を武士に奪われてしまったのでしょう。歴史的に見れば現実的問題がいろいろあったのですが、天皇家がこれこそが政権を失った理由だと信じていたのが<崇徳上皇のたたり>でした。崇徳上皇は保元の乱(1156)で後白河天皇に敗れ、讃岐の国(現在の香川県)に流され、そこで天皇家を呪いながら亡くなりました。彼はなくなるときに呪詛の言葉を残しています。<日本国の大魔縁(だいまえん)(大魔王)となり、皇(おう)を取って民となし民を皇となさん>つまり、自ら怨霊となると宣言したうえで、天皇を民の位に落とし、民を政権の座に据えてやる、と呪ったのです。この言葉は、その後まもなく、武家政権、鎌倉幕府の誕生という形で成就します。憂くなくとも天皇家の人たちは崇徳上皇のたたりによって政権を奪われたと信じ、恐れました。その後も足利、織豊(しょくほう)、徳川と施工者は移り変わりますが、天皇に政権が戻ることはありませんでした。つまり天皇家の人々からすれば、崇徳上皇の呪いは幕末に至るまでずっと効力を発揮し続けていたのです。明治天皇は、大政奉還が鳴り、自らの治世ヲ正式に聞くに当たり、怨霊となった崇徳上皇の御陵に勅使(ちょくし)を派遣しています。この時、明治天皇が崇徳上皇の霊にお願いしたのは許してもらうことだけではありませんでした。許すと同時に、自らの政権を守ってくれるようにお願いしているのです。このことは宮内庁の正式な記録にも残っている事実です。今まで自分たちを苦しまて来た相手に守ってくれるようにすがるのは少し不思議な気がします。しかし、われわれ日本人は恨みを抱いて亡くなった人や、非業(ひごう)の死を遂げた人の魂は、死後<怨霊>となって人々に厄災をもたらす存在<怨霊>として恐れてきました。そして、怨霊を恐れるがゆえにどうにかしてその荒ぶる魂を<鎮魂>しようと考えました。苦心の末、生まれた鎮魂方法が怨霊を神として祀る怨霊信仰なのです。怨霊信仰については、藤原氏に追い落とされ不遇をかこった菅原道真をはじめ平安時代に記述が多いのですが、信仰自体はもっと古くから存在していました。<御霊信仰<<御霊会>という形になるまでに、様々な<対怨霊政策>とでもいうべきものが行われました。最も顕著な例が2010年に<平城遷都1300年祭>を迎え、多くの人々が訪れたなら東大寺の大仏です。なぜ大仏が作られたのか、正確な記述はありません。大仏が対怨霊政策に一つとして造られたことは明らかなのです。