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エリザベス洋装店のブログ

THERE’S A PLACE by THE BEATLES

1963年2月11日録音。またしてもジョンのヴォーカル。圧倒されます。ジョンが哀愁を帯びた声でⅠn my mind there’s no sorrow(僕の心に悲しみはない)とつぶやくとポールとジョージがDon’t you know that it’s so(そうだよわからないのかい)と応じる。There’ll be no sad tomorrow(悲しみだけの明日なんてない)と叫べば、ふたたびDon't you know that it's so(そうだよそのとうりさ)と慰める。この掛け合いはもうメロメロ。もう一つ興味をひかれるのは、There is a place where Ⅰcan go(僕にはいく場所がある)When Ⅰ feel low ,when Ifeel blue(滅入っているとき、憂鬱な時)And it’s my mind(それは僕の心の中さ)の部分。ジョンは、早くも自分の心と対話するという内観的な歌詞を書いている。ロックミュージックがこうした歌詞を持ったことはそれまでなかったのではないでしょうか。1963年2月11日、ビートルズはわずか10時間ほどでデビューアルバム(プリーズプリーズミー)収録の10曲を録音しましたが、その記念すべき日の1曲目を飾ったのが、実はこの曲なのです。基本的にはジョンが書いた曲ですが、ポールによればミュージカル(West Side Story)(1961)の挿入歌(Some where a place for us)>からインスピレーションを得て作ったようです。自分が訪れる<場所>は”心の中だ”とはっきり述べたポップスターはそれまでいなかったでしょうね。それにしてもいい曲ですね。このアルバムに収録されている<隠れた名曲>をあげろと言われたら、僕は迷わずこれを選びます。デビューアルバムにして、しかも粒ぞろいの(プリーズプリーズミー)ですが息のいいコーラスといい、曲の躍動感といい、これから真打を迎えるにふさわしい歌曲と言えます。

IT WON’T BE LONG by the BEATLES

1963年7月30日録音。不意を突かれます。いきなり(イウォビロンイェー)という名の流星がぶつかってきたという感じ。<なんだこれは?>と思っているうちに、流れ星に連れ去られてしまう。コールアンドレスポンス(掛け合い)のうまさにうっとりしながら、思わず頬も緩む。It won't be long till Ⅰbelong to youはもうすぐだね、きみとのせいかつがはじまるのはといういみですが、ふたつのことにちゅうもくしていただきたい。ひとつは、be long がbelongと同じ発音になっているということ。もうひとつは、It won' t be longのうしろにYeah!Yeah!Yeah!が入っているということ。Yeah!Yeah!Yeah!といえば【シーラヴズユー]ですが、このころよりビートルズはYeah!Yeah!Yeah!がたいそう気に入っていた様子。ポールの父親は<yes,yes,yesにできないのかね>と小言を言ったそうですが。もともとはシングル用に書かれた曲ですが、思うような仕上がりにならなかったので、アルバムの1ッ曲目に持ってきました。それにしてもこの”つかみ”は衝撃的ですね。いろんなミュージシャンがいきなりシャウトから歌いだすという手法をとっていますが、元はといえばビートルズがやりだしたこと。これは大きな声で言っておきたい。ビートルズの専売特許というべき“Yeah!”が、効果的に用いられたのもこの曲が初めて。この表記も今となっては当たり前のように使われていますが、当時の公序良俗に照らして言えば、大人たちが口にするような言葉ではありませんでした。ジュリアンレノンがデビューアルバム(ヴァロッテ)を出した翌年【1986年】、日本公演でこの曲を熱唱しています。ジュリアンも好きだったんですね。また、ニールヤングが初めて人前で歌った曲もこれだったそうです。 

TWIST AND SHOUT by THE BEATLES

1963年2月11日録音。圧巻です。ジョンの比類なき声。天下無双にして空前絶後。声それ自体に、こぼれるような魅力がある。生意気で、荒々しくて、セクシー。かつ説得力もある。何時聞いても、どこで聞いても、ほれぼれしてしまう。このシャウトに匹敵できるというミュージシャンがいたら名乗り出てほしい。アイズレーブラザーズのオリジナルよりもはるかにいい。ところが、本人は不満げに(ろくすっぽうたえやしなかった。がなりまくっているだけだった)と語っている。この天才は、自分が天才であることに無自覚の様子です。しかも、これファーストテイクです。2回目のテイクも試みられましたが、数時間ぶっとうしで歌ったために、もはやジョンの声はかすれてしまい、うまく歌いきれませんでした。実はこの日、ジョンは風邪を引いていて、のどの調子が悪かったんです。ズーブズというのど飴をなめつつ,レコーディングに臨んでいた。セッションの最後で<あともう1曲必要)ということになり、急きょ録音することになりました。というわけで、<これで終わりだ!>といわんばかりに、のどが張り裂けるようなすさまじいシャウトを聞かせてくれます。潰れかけた声を振り絞って歌い上げるジョンの姿を想像するだけでゾクゾクしますね。これぞ入魂のシャウト。仕上がりは百点満点。途中、ジョンの声がひっくり返りそうになるところがありますが、そこがまた何とも言えずいい。コンサートでも幾度も歌われましたが、レコード化されたこのヴァージョンが、最高の<ツイストアンドシャウトです。王室主催のロイヤルヴァラエティパフォーマンス(63年11月4日)で演奏した時の映像が残されているので、ぜひ見ていただきたいですね。すばらしい演奏徒すさまじい熱唱を聞くことができます。

天皇は神代より伝わる神の血筋なり 2.

また、クリスチャンから日本主義者に転じて異形の太古史を編み出すにいたった木村鷹太郎は、こう主張している。<【天地の】至上神は、皇祖及び列聖にして天中主神、両皇産霊神(りょうみむすびのかみ)を始め伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)二神および天照大神より以降、皇位を継承せる諸尊および歴代の天皇などにして、今上(きんじょう)天皇陛下はもちろん神なり>(<耶蘇教公認不可論>)ところで天皇が神の血筋なら、日本国民も同じく神の血筋だと、明治の神道家たちは口をそろえた。<本朝神仙記伝>の著者で伊勢神宮の禰宜(ねぎ)や宮内省掌典を歴任した宮地厳夫(いずお)も、日本の神は<皇室の御祖宗>だが、国民にとっても血のつながった祖神(おやがみ)だとして、こう述べている。<寺院と檀家、及び教会と信徒との関係のごときは、これを喩えるに師家(しけ)と門人(もんじん)とのごとし。その門人たるものは、最初においてはいずれを師家とするも、門人その人の随意にして始まり必ずこれをしかとすべきなりと定まれる者のあるべきいわれなし)つまり、寺や教会と信者は”他人”の関係だから、だれを師とし、殿教えに帰依するかは、選ぶ側の好き勝手ということだが神社と氏子は違う。<神社と氏子の関係のごときは、、、あたかも父子兄弟の相離ルべからざるがごとし。およそ父子兄弟の間においては、いわゆる骨肉血脈の関係を有するものなり。いかにこれをたたむとするも、相絶つべからざるかんけいを有するものなり)<【氏子之心得>)神社と氏子とのつながりの”親子”の関係だから、絶対にきれない。そのつながりは、宗教における信仰とは全く異なる。そこに働いているのは肉親としての情愛であり、同じことが天皇と国民の関係についてもいえる、というのだ。

天皇は神代より伝わる神の血筋なり 1.

天皇はなぜ<神聖不可侵>なのか。それは天皇が天地を想像し、かつ主宰している天津神の血を引く直系の子孫だからである。この思想は、江戸時代から一部の尊王家によって熱心に主張されていた。たとえば京都で徳大寺家に仕えた山崎闇斎門下の竹内式部は、<代々の帝より今の大君に至るまで、人間(人間界の意)の種ならず、天照大神の御末(みすえ)なれば、直(じか)に神さまと拝し奉るのだと説いている。(<奉公心得書>)。この思想は幕末まではまた国学者や尊王家など一部の天皇主義者の思想にすぎなかったが、明治になると一気に国民のコンセンサスへ変わっていく。たとえば明治時代の神官用のガイドブック。そこには、<我が国の天皇陛下には外国の帝王とは違い、神代より伝わる給う神の御血筋にましまして、天地のあらん限り日月とともに万代易(かわ)らせ給(たも)うことなき、最も尊(とう)とき現身神(あらびとがみ)(<神官必携神道教導軌範>)と説かれている。