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エリザベス洋装店のブログ

日本人はなぜ人と競争することが嫌いなのかby井沢元彦

聖徳太子が<和をもって貴(たっと)しとなし>と語るずっと前から、日本人は<和>を大切にしていました。世界でも珍しい<国譲り神話>は、そのことを雄弁に物語っています。大和朝廷を作った人々は、政権成立当初から<和>を理想として掲げていました。が、彼らはなぜそこまで<和>を重んじたのでしょう。反対の意味から考えてみましょう。<和が乱れる>ことは<競争する>ということです。競争すれば、そこには必ず勝者と敗者が生まれます。敗者は当然のことながら、勝者に恨みを募らせます。そして、その恨みをそのままほおっておいたらどうなるかー怨霊(おんりょう)が生まれてしまうのです。長屋王のたたり、早良親王(さわらしんのう)のたたり、崇徳(すとく)上皇のたたり、菅原道真のたたりなど、奈良、平安時代の人々が、強く怨霊を恐れ、様々な鎮魂方法を試行錯誤しながら編み出していきました。大和朝廷を作った人々は、怨霊を強く恐れたがゆえに、彼らは、そもそも怨霊を生み出さないようにするためにはどうしたらいいのかと考え、<和>を重んじるようになったのです。これは怨霊を一種の病気だと考えるとわかります。怨霊を鎮魂することは、彼らにとっては病気を治療するようなものなのです。もちろん、治療は必要だし、とても大切なことですが、最も理想的なのは、やはり病気にならないことです。この場合で言えば、そもそもの<恨み>を生みださないようにする、ということです。インフルエンザになってから治療するのは大変ですが、かかる前に予防接種をしていれば、そもそもインフルエンザになって苦しまずに済むのですから、そのほうが理想的な対処法であることは間違いありません。こうして怨霊という恐ろしい病気を予防する方法として生まれたのが、人と競争しないこと、協調性を持つこと、つまり、<和を大切にする>ということだったのです。

,<大和>という字の由来by井沢元彦

オオクニヌシノミコトはアマテラスの孫へ国を譲り渡すことを最終的に決断しました。神話では<話し合い>によって譲渡されたとされていますが、実際には、やはり戦争をしたのだと思います。出雲大社からさほど遠くない島根県簸川郡斐川町(現、出雲市斐川町)神庭西谷(かんばさいだに)の小さな谷間では、大量の銅剣が発見されています。遺跡は谷の名前をとって<荒神谷(こうじんだに)遺跡>と名付けられました。国譲りの実態は、優れた武器<鉄器>を持った侵入者による侵略戦争だったということです。この鉄器を持った侵略者が<天皇家>のルーツである<大和族>であり、彼らがオオクニヌシ率いる<出雲族>を征服したのだと思います。もちろん神話にはそう書かれていません。それは侵略者である彼らの中にも自分たちが行ったことはいけないことで、理想は話し合いによる譲渡だ、という考え方があったからなのだと思います。だからこそ神話では、戦争で相手を殺して奪った結果ではなく、話し合いで平和に譲られたのだというストーリーにしたのでしょう。日本人に染みついている<和>という価値観は、日本ができた当初から、より具体的に言えば、大和朝廷が成立したころには、日本人の基本コンセプトとして存在していたということです。それは日本の国名を表す<大和>という文字を見ても、よくわかります。ふつうは<大和>と書いて、<やまと>とは読めないからです。<大>と書いて<ヤマ>と読むことも、<和>と書いて<ト>と読むこともありません。つまり、先に<やまと>という音があって、後から、<やまと>という音に最も意味のあった漢字を当てはめて<大和>と書くようになったと考えられるので、大陸から鉄器とともにやってきた人々は恐らく自分たちのことを、<ヤマト>と称してたのでしょう。彼らヤマトは、まず出雲の国を倒し、次いで吉備(きび)の国を倒し、というように、次々と自分たちに従わない人々を滅ぼし、一つの国を作り上げました。そして、国の名前を付けると彼らは自分たちが理想とする<和>のコンセプトに、大きな和を成し遂げる国という意味で<大和>という字をあてたのではないでしょうか。

皇室のルーツは神話に明記されていた!by井沢元彦

出雲大社の起源である<国譲り神話>。この神話は世界の中でも大変珍しい神話です。<日本書紀>にも<古事記>にも国譲りは書かれていますが、どちらも<天皇家はこの国の本来の支配者ではなかった>ということを明らかにしているのです。神話というのは、その国のルーツを伝えるものなので、基本的には自分たちがこの国のもともとの住人だったと伝えるものがほとんどです。そういった意味で、とても珍しい神話だといえます。国譲り神話によると、天皇家の始祖であるアマテラスは高天原という日本とは明らかに違う場所から日本を見て、その国を自分の孫(天孫)のニニギノミコトに統治させようと試みます。問題は、すでに日本には先住民がいたことです。神話では彼らを国つ神と呼び、その国つ神たちを収めていたのが、オオクニヌシノミコトでした。アマテラスはオオクニヌシノミコトに使者を遣わし、<この国を私の孫に譲りなさい>といいます。普通の国なら、確実に戦争になります。侵入者は戦争を仕掛け、力で先住民族を滅ぼすのが、一般的な歴史の流れだからです。ところが、日本ではそうはならない。理不尽な申し出とはいえ、アマテラス側もいきなり攻め込むのではなく、使いを立てて、平和的な方法をとってます。一方、オオクニヌシも到底納得しがたい申し出ながら、<息子と相談してみます>と大人の対応をしています。現統治者が外来民族であることを明示しているのは、あまり例のない話ですが、<国を譲れ>と言われ、息子に相談するというのも、珍しいケースです。なぜなら、オオクニヌシは漢字で明記すると、<大国主>つまりこの国の王だからです。どこの国でも王様は自分一人で決断するものです。ところが、オオクニヌシは息子たちに、まず相談しているのです。オオクニヌシは<タケミナカタノミコト>と<コトシロヌシノミコト>という二人の息子に質してみると、彼らはそのような理不尽な話は聞いたことがない、断固戦うべきだと答えます。戦いに際してアマテラスは武力にたけた<タケミカヅキ>という神をさしむけます。すると、この神がとてもつよかったため、おそれをなしたコトシロヌシは早々に国譲りを承知しますが、タケミナカタは逃げながらも最後まで抵抗を続けます。そして、ついに現在の長野県諏訪湖の湖畔に追い詰められます。タケミナカタはタケミカヅチによって、湖畔の池に封じ込められました。このタケミナカタを祀った神社が御柱祭で有名な諏訪大社です。二人の息子を失ったオオクニヌシは国譲りを決断します。神話では<国譲り>という言葉を使い、その後、オオクニヌシは立派な神殿に隠居したことになっていますが、実際にはアマテラス側に殺されるか、自ら命を絶ったのだと思います。

鬼桃太郎 3by尾崎紅葉

ところが、この毒龍、ありえないくらい頭が悪かった。ものすごいスピードでとんだために一瞬で日本を通り過ぎ、はるかかなたまで飛んで行ってしまう。どのくらい彼方かというとそのとんだ距離がまたものすごい。十二万三千四百五十六億七千八百九十里、、、って万が億の前に来ちゃってもうむちゃくちゃ、、、。十二<万>はホントは十二<兆>と言いたかったのだと仮定すると、<十二兆三千四百五十六億七千八百九十里>ということになり、アラビア数字に直すと12,345,600,007,890里、、、間にゼロが入りすぎ!しかも五百光年の飛行をしたことになる。もはや、鬼が島ー日本間のフライトというレベルじゃないが、それはそれですごすぎるぞ,毒龍!!。そして一日経過してからようやく何かがおかしいと気づいた苦ももたろう(きづくのがおそすぎ!)はおこってもどるように命令するが、何も考えずにオーバーランならぬオーバーフライしてしまうようなあほ龍ゆえ、こんどはもどりすぎてしまいあわててひきかえすとこんどはまたまたとおりすぎてしまう、べたなコントのような往復を繰り返すうち、神通力が薄れ、ヒヒとオオカミは海中に落下。たちまちわにさめに食われてしまう。(そこにはたまたま地球の上だったんや)。龍のあまりのとんちきぶりに激怒した苦桃太郎は、龍の呼んだ雲に乗っていることも忘れて龍に殴り掛かる。龍もウルトラセブンと戦う宇宙竜ナースよろしく苦桃太郎に巻きつき締め上げるが、苦桃太郎の怪力にはかなわず、苦桃太郎は毒龍をバラバラに引きちぎってしまう。それと同時に毒龍の神通力はなくなり、そのまま苦桃太郎は海中に落下。あえなく墜落死をとげるのであった。ここでジ、エンド

鬼桃太郎 2、by尾崎紅葉

桃太郎討伐を宣言した苦桃太郎は、王鬼が特別に下賜しようとした鉄棒すら<桃太郎を倒すのにこんなものはいらぬ>と大言壮語して拒否してしまう。そしてそのあとに現れた毒龍、白毛の大ヒヒ、牛サイズのオオカミを家来とし、黍団子の代わりに人間のしゃれこうべを与える。そして彼らは毒龍の呼んだ雲に乗って日本を目指す。ここの挿絵は思い切って引いたアングルから球体の地球が望める宇宙スケールの構図となっている。かくなる次第でここまでは、じきに展開されるであろう桃太郎vs苦桃太郎、犬vsオオカミ、サルvsヒヒ、キジvs龍の激闘が待たれるわくわく展開である。