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エリザベス洋装店のブログ

天皇による天の岩戸開き 神と人とが融合する 黄金時代の復活2.

岩戸隠れした天照大神のように、天皇は長い間、京都御所というせまくて息苦しい岩戸に封じられていた。その天皇が、いま御一新によって表舞台に復帰した。今からは、神と人とが一つに融合して暮らしていた太古の黄金時代がよみがえると神道者や尊王家らは高唱し、天皇を頂点とした中央集権体制の確立を急ぐ明治政府も、この国の唯一無比の君主は将軍ではなく、万世一系の天皇だという宣伝教育を、徹底的に行った。近代天皇像や天皇の秘教は、まさにこの明治に原型が作られ、天皇による世界統治すなわち”第二の天の岩戸開き”の完成というファナティックなスローガンの原型も、この時代に確立した。これらの思想を担った天皇主義者たちは、天皇をどう位置づけ、どんな秘教を生み出したのか。以下、いくつかのポイントに絞って概観していくことにしよう。

天皇による天の岩戸開き 神と人が融合する黄金時代の復活 1.

神道家たちが考える<明治の御一新>は、近代の夜明けではなかった。それは神代の黄金時代の復活であり、神話に記された<聖業>を全世界に広げるまたとない好機と映ったのである。こんな話がある。医者で歴史家の安田徳太郎の実家は京都で大きな商家を営んでいたが、家には明治新政府の<会計事務局>が発給した<侘び証文>が残っていた。維新前の借金50両を帳消しにしてもらったことを証するという内容のものだが、借金をしたのが、実は天皇家なのである。天皇家の借金は、他にもあちこちにあったらしい。貧乏暇なしというのが天皇家も実態だったから、京都人は<天子さん>を敬愛はしても、雲の上に住むやんごとなき現人神といった感覚で畏れ崇めることはなかった。明治33年に京都で生まれた安田は、子供のころ、ある老人からこんな話を聞かされたとも書いている。<あんたの家の向かいに有名な焼き芋屋があった。夕方になると、ときどき孝明さん(孝明天皇)が子供(裕宮、さちのみや)の手を引いて芋を買いに来た。その子供さんは今、江戸城の座敷牢に入れられて、かってに外出もできない気の毒な身分になられたから、天子さんも定めし京都の貧乏時代が懐かしいだろう。孝明天皇が裕宮、つまりのちの明治天皇の手を引いて(芋を買いに来た)というのは多分老人の思い違いか誤伝だろうが、そうやって芋を買いに来てもおかしくない存在ー維新前の天皇は、そう見られていた。これは京都に限らなかった。幕末維新にかけての風刺文芸や錦絵に登場する天皇は、しばしば<きん公>とか<きんちゃん>と呼ばれている。跡見学園女子大の奈倉哲三教授によれば、<きん>は、禁裏、禁中の禁だという。その禁中の<きん公>が薩長にかつがれて幕府を倒し、にわかに天下人となった事件ーそれが庶民感覚の王政復古だったのである。けれどもこの天皇観は、明治のうちに完全に一変する。

天地宇宙の主宰者としての使命

一方、最も尊貴なミタマとされる天皇の境遇も、維新を境に激変した。そもそも、地に落とされているミタマということであれば武家が覇権(はけん)を握って以降、実権のほとんどを奪われて御所に押し込められてきた天皇家もまさしくその代表といってよかった。その天皇家が奇跡的な復権を遂げ、失われたリ中断を余儀なくされていた。宮中祭祀や儀礼が次々と復活された。それまで仏式にゆだねられてきた歴代皇霊の祭祀を神式に切り替えるために、新設の神祇官に仮の神殿が立てられ、明治4年には宮中に遷されて、のちの<皇霊殿>の原型となった。またその翌年には、皇家の守護神である宮中八神の神魂(かみむすび)、高御魂(たかみむすび)、生魂(いくむすび)、足魂(たるむすび)、事代主(ことしろぬし)を祀っていた<八神殿>も宮中に遷座され、もともと御所にあった<賢所(かしこどころ)>と合わせて、ここに宮中三殿の原型が出来上がったのである。神道オカルティストの川面凡児(かわずらぼんじ)によれば八神殿は元来、天皇が鎮魂を修された殿社だという。この聖所での鎮魂により天皇の深い奥に鎮座する根本霊魂が<統一霊化>されて、天皇は<大直霊神>へと変容する。それもただの変容ではない。日本全体を統一霊化し、世界人類を統一霊化し、宇宙全体を統一霊化した大直霊神へと変容する。こうして<宇宙万有代表の大直霊神>となった天皇は、最も深い鎮魂状態において神武天皇にまみえ、天照大神にまみえ、イザナギ,イザナミ両尊にまみえ、ついには絶対神である天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)にまみえると、再び現世へと帰還して、天地宇宙の主宰者としての使命を行じるというのである。凡児の説の正否はさておくとしても、宮中に因縁の神霊を総動員して祀り、全国の神社組織を再編し、祭祀を次々と復活するなどの一連の政策は、いうなれば天皇を核とした”霊的な中央集権体制”の確立目指したものといってよい。つまり天皇の周辺でもまた、”第二の天の岩戸開き”が進行せしめられていたのである。明治を境に再演された岩戸劇は、いったいどこへ向かおうとしていたのか。その諸相を神道、仏教、民衆宗教の3ッつの角度から追っていくことにしよう。

神が人民を介してモノをいう時節 2.

けれども今は事情が変わった。<世界の人民の何彼(なにか)の事を知らして、改心をさせねばならぬから、神が(人民に)懸かりてモノをいう時節が参りた>【(大本神諭>)というのである。実際、江戸の後期から明治にかけて、注目すべき神懸かり現象が頻発している。その先駆けは、後述する如来教の開祖、一尊如来きのだが、ほかにも黒住教の黒住忠宗、金光教の川手文次郎(金光大神】、天理教中山みき、大本の出口尚らが<世界の人民の何彼の事を知ら>せるため次々と神懸かりし、人心や世界の建て替え建て直しのための活動を、猛然と開始している。さらに注目すべきは、下級神官出身の黒住宗忠を除く開祖の全てがこれといった教育もない農民出身だったという点だ。本来なら<高貴なミタマ>を用いて行われるはずの神懸かりが、なぜ世間でも底辺に属するはずの神懸かりが、なぜ世間でも底辺に属する<地に落とされているミタマ>を用いて行わなければならなかったのか。その理由として<人民>にかかった神は、上と下、貴と賎、表と裏のドラステックな”交換劇”の逼迫(ひっぱく)を予告したのである。

神が人民を介してモノをいう時節 1.

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴狼藉に怒った天照大神が高天原の岩窟に引き籠ったため、世界は闇に沈んだ。困った神々は岩窟の前で様々な祭祀を行い、天照大神を外に誘い出した。そこで世界は光を取り戻した。-おなじみの<天の岩戸開き神話>だ。この神話は、闇から光へと世界を一新する<霊的革命の型>としてまた<世の変わり目>を象徴する寓話として多用されてきた。何を持って<岩戸隠れ>とし、何を持って<岩戸開き>とするかは、人により団体によって解釈が異なるが、徳川幕府が倒れて王政に復古した明治を時代の転換期とみなし、明治を境に世界の新たなステージが始まったとする点では意見がほぼ一致している。天の岩戸開きのイメージを随所で活用した出口王仁三郎が面白いことを書いている。大神が<人民>に神懸かりして何かを知らせるということは、神代の昔からないことだった。神懸かりの実例が<古事記>に2,3出ているが、それはみな(国家の一大事)における帰神であり、しかも神懸かったのは天之宇愛売(あめのうずめのみこと)や神功皇后のような神や皇族であって、人民ではなかった。