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エリザベス洋装店のブログ

白峰村西林寺

白山山頂に2000体の仏像があったのが廃仏毀釈で谷底へ葬られたり、破壊されたり、そのうちの8体を国に廃棄するという約束で西林寺の住職が、この寺に山から下ろして現在ここに無事に鎮座ましましている。しかも全部が福井の松岡や勝山で作られた仏像だという。古いのは国の重要文化財に指定されている銅造十一面観音菩薩立像は平安時代に作られたもので慶松堂にあったという。奥州の藤原秀衡の地蔵菩薩坐像、平泉寺で鋳造された207キロもある十一面観世音菩薩像はハリマ王にそっくりなエキゾチックなものは白山の主峰,御前峰<2702m>にあった。あと泰澄自作の釈迦如来、これも朽ち果ててはいるものの、アーカイックスマイルが美しい。そして1611年平泉寺で作られ、白山の弥陀ヶ原御前室堂に安置されていた泰澄大師の36歳の白山登頂時期の像がなんと言ってもファンタスチックです。そして藤原仲麻呂<恵美押勝>が滋賀県高島で暗殺されたことになってはいるが、妻子とともに泰澄に助けられ、ここの西林寺の住職になっているのが、このお寺の起源ということが実に驚くべきことなのです。

興福寺の荘園、補陀洛山畝畦寺

奈良時代、大宝元年<701>、細呂木いったいは興福寺の荘園であり、ここに伝説の観音様があります。昔一人の老翁が池の中から一尺あまりの十一面観音菩薩をささげて現れ、村の西の山に安置した。ところが山々に紫雲がたなびき霊光を放った。これを越智山で修行中の泰澄大師が見て宇根に来て、老翁とともに畝畦寺を建立し、六所神社を観請したという。ここは雨乞いの神が祭ってある。8月22日日曜日,泰澄塾からここへ総勢18人で調査に来た。熊坂峠の近くで荒れ果てているものの、室町時代から江戸時代、度重なる白山の噴火、大地震、一揆や兵火のため、気比神宮、平泉寺、越知山、一乗谷、豊原寺、大虫神社、などが焼き滅ぼされても、何度も観音力を発揮して参拝者が絶え間なくすごかったらしい。今わもうそのおも影は何にもない。ただ観音堂の周りを囲むように立っている大木の雰囲気が何かものすごいエネルギーを感じさせる。

ティファニーで朝食を

オードリーヘップバーンで有名な映画<ティファニーで朝食を>に変な日本人が登場する。ミッキールーニー演じる<うによし>さんだが、実在した日本人画家であり、当時のニューヨークではかなり変人で有名人だったらしい。なんと5,6年前日本郵政省から、彼が描いた絵画が切手になって出ていました。ダークで地味な女性を描いたものですが、もっと騒がれてもよかったのに。ところでティファニーといえば明治、大正のころ、福井出身の伝統工芸氏の岡島氏がティファニーの職人であり、彼がニューヨークにいたころにただ同然のように日本の伝統工芸品が流出していたのを買い戻し集めていたのを、それらを岡島美術館にずらっと飾ってあったのを子供ながらよく覚えている。そしてオードリーが映画でギターを抱えて歌っていた<ムーンリバー>、この曲には秘密があった。

暑い夏をぶっ飛ばせ

1966年のナットキングコールの大ヒット曲で、原代名はit'a heizy,lazy,crazy in this summer といって本当に死ぬほど暑い今年の夏にはぴったりの曲があります。日本語のタイトルは<暑い夏をぶっ飛ばせ>でした。同じ時期にヒットした曲にandy williams のスパイもののTVドラマのテーマ曲のような、<恋はリズムに乗せて>がありました。之も最高で、確か竹内マリアが夫のFM番組でかけてた超かっこいい曲でたまりません。その昔<アンクルから来た女>というこれまた超ハイパーな括弧いいTVすぱいものがあったのですが、マークスレート役がノエルハリソン。当時<平四郎危機一髪>という土曜日9時代のドラマの石坂浩二のタートルネックセーターがこのマークスレートがモデルだった。ノエルハリソンの大ヒット曲はmichel lugurantの<風のささやき>だけど、beatlesのstrawberry fields foreverが最高のカバー曲。石坂浩二といえばanita karr singers とrod mackennの詩の朗読の一連のアルバムがあるが、なんとrod mackennといえばデビューアルバムはあの今野雄二がmy favorits recordsに選んでいた最高にかっこいいフォークなアルバムです。

泰澄が本当にいたのか、いなかったのかのひとつの理由

美山にはいつのころのものかまったくわからない廃寺跡が残されている。主な廃寺跡を拾ってみると、下宇坂地区の三万谷、上宇坂地区の小宇坂、羽生地区の大宮野波、間戸<まと>,下味見地区の折立などその数は多い。この廃寺たちは白山を中心とする白山火山群の諸山に関連のあった宗教団の先駆者たちだった。修験道はあくまでも自然崇拝が生命であり、根本で宗教的実践の道場が山であった。山にこもり飢餓に耐え、孤独をしのんで死と直面する苦行をしたのである。本来修験道は命がけの実践があるだけで、理論も教理もなく、教団というべきものは存在しなかった。山岳宗教に教理と教団を作ろうとしたのが空海であった。泰澄の架空実在の論議の裏にこの修験者たちの実践onlyの理論も教理もないということに実に大きな意味があったのだ。