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エリザベス洋装店のブログ

モンタレーポップフェス1968

僕にとっての夏フェスのno.1は、サンフランシスコ近郊のモンタレーで行はれたモンタレーポップフェスチバルだ。1968年確かウッドストックの前年、フラワーチルドレン全盛のヒッピー族華やかしいころの絶頂期だった。mamas&papas,otis redding,animals,the who,scott mackenzie,etc..ウッドストックのヌードっぽさはなく、もっと上品でおしゃれなロックコンサートだった。ステージ最前列には、john&yoko,brian jones,anita egberg,mick jagger,marianne faithful,kieth richarde,george harrison,eric clapton,paul mccartney,と、相当足る人たちがいた。僕はモノクロムのダイダイ絞り染めのTシャツを着にいり、10年着ているのですが、以前otis reddingのTシャツを着ていたらハワイのホテルのエレベーターの中で、黒人に<シャイな日本人がきるより、僕が着ているほうが絶対にあうから譲ってくれないか、それほど僕はotisをリスペクトしている。>いわれたが、絶対譲ってあげなかった。それほどTシャツの柄ってとても男をjerousguyにさせる。

古代ヘブライ語の東北地方の民謡

2,3年前、東京の下北沢にビンラdynが出現というニュースがあったのを覚えていますか。35年前、東北沢に住んでいた頃、世田谷に青森の八戸出身の友人が2人いた。2人とも日本人離れした顔つきで、1人はビンラdynにそっくりのアラブ系。僕の兄も実はフランクザッパに似たイスラム系の顔をしているのだが、もう1人の青森出身のやつは、隣のあっ子ちゃんという幼友達がレコードデビューしたという話を35年前聞いたことがあった。レコードは<japanese girl>といい、little feetのrowell georgeがギターで客演。隣に住んでいたのは矢野あき子だったのだ。岩手県一戸町から青森県八戸町にかけて流布している民謡<なぎやどやら>はメソポタミア地方の言葉のカルデア語で、旧約聖書の<出エジプト記>15章に出てくるモーゼとイスラエル人が神をたたえるために歌ったものであるというのである。2人とも福井に来たことがあるが2人がしゃべっていると何を言っているのかさっぱりわからない。

ワールドトレードセンターと行方不明の友人

福井の安竹町に農業をしている友人の竹沢君が住んでいます。彼は50ccのバイクで日本一周をしたり、beatlesのコピーバンドも一緒にやっていた仲で、気骨あるいいやつなのですが、実は彼はニューヨークのあのワールドトレードセンターでメッセンジャーサービスのアルバイトをしていたことがあり、そのあと25年ほど行方がわからなかったことがあります。<あのツインタワーが崩壊する1週間前、ワールドdjツアーというイベントが最上階のdiscoであり、英国のロックバンドsavoy brownや日本からはfantastic plastic machineの田中君が、playしていたと思う。>結局、親が心配し、安竹町の春日神社に息子の名前で柱を寄進したところ、地球の裏側にいた彼に何か心に変化がおきたのでしょうか。25年音信不通だった彼は胸騒ぎを起こし、数年前にアメリカから福井に戻ってきました。実は昔、安竹町に泰澄開基の泰澄寺というお寺がありました。今は灯明寺にある諦聴寺になっていますが、そこに泰澄作の観音様があったのですが、鎌倉時代に戦火に合い、現在観音町にある鎮徳寺にあります。そうだ、だから観音町というようになったのだ。

徒然草と後醍醐天皇

今まで徒然草を読んでも何かもやもやとして漠然とよくわからなかった本でしたが、バロン吉元のまんが徒然草を呼んで感動しました。<徒然草>とは、これが書かれた時代に大流行した真言密教立川流と、その信奉者、ごだいご天皇と、その政治に対する批判の書だったのです。男女のsexこそ成仏。という過激なことだけが取り上げられ、48人子供がいたという精力絶倫の後醍醐天皇ですが、その正反対のキャラクターが、吉田兼好であり、バロン氏に言わせると、ナイーブで教養豊かで洞察力があり、シンプルな美を愛し、品格を重んじ清潔で、作法形式、しきたりにうるさく、はかない無常観を静かに受け入れる保守的リベラリスト。これが徒然草のいつの時代にも日本人に愛されつずけてきた原因なのでしょうか。泰澄が開いた丸岡の豊原寺や今庄のほうでも後醍醐天皇の動きが見られる。もっとほかにごだいご天皇のことについて調べねば本との真意はわからない。

英語で読む百人一首

江戸時代末期には、なんともうすでに英国から百人一首の英語訳の本が出版されていたのですが、最近アイルランドのマクミリアンピータースがすばらしい英訳本を出されたのにすっかりはまっています。日本人でさえ深い意味がもうひとつよくわからなかったのがこうして英語で百人一首を読まれると、新たにニュアンスが多少変わっても、もうひとつ深く理解できた気になれるのは何なんでしょうか。<A life in vain,Ⅰ`ve grown old,my beauty talents faded like these blossoms fading in endless rain,that Ⅰ sit here so sadley gazing outupon,>花の色は移りにけりないたずらにわが身世に振る眺めせしまに 小野小町 。今まで短歌なんて恐れ多くも縁がないと思っていたのに、とおくアイルランドの人に、日本の文化の奥深さを、はかないけれども心にぐっと響き渡り、言葉の持っている魂のすばらしさを教えてもらって、うれしい反面、とても歯がゆい。