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エリザベス洋装店のブログ

神社にのめりこんでby 佐藤洋二郎 2.

その神社になぜ見せられたのかと思案することがある。福岡県生まれの私は幼い時分に玄界灘を目の前にする神湊(こうのみなと)で、よく海水浴をしていた。そこは宗像(むなかた)大社があるとこで、そばのかわでつりをやったこともあるし、神湊の海でおぼれて死にかけたこともある。父は私が助かったのは宗像の神様のおかげだと喜んでいた。そしてそこからそう遠くない赤間というところには、神武天皇が東征しているときに、赤い馬に乗った神が現れて道案内したという場所がある。東武東征の折彼らが陸地を通ったという伝説があり、それが今も<赤間>という地名で残っている。ちなみに東征と書けば<日向国>から見た大和を征伐したと読めるし、東遷と書けば都を東に移したということになります。

神社にのめりこんでby佐藤洋二郎 1.

私たちは当たり前と考えていることが、本当は一番わからない。その最たるものが神社と歴史ではないかと勝手に思い込んでいる。神社は927年【延長5】年にまとめられた(延喜式神名帳)には2,800余社が記載されているが、今日ではその数が8万社あるとされている。それが皆古いと思い込んでいる人たちが多いようだが、実際には明治維新後の神仏分離令によって、全国の村々に一つ一つつくられたというのが真相だ。その(延喜式神名帳)を広げて神社めぐりをしているのがのめりこんでいくばかりだ。もう30年以上もあちこちを歩いているが(正史)と違うもう一つの<歴史>が見え隠れして推理小説を読むように愉しい。歴史の<歴>という文字は物事をはっきりとさせるという意味合いを持ち、<史>は文章のことをさす。つまり歴史とは文章で物事を歴然とさせるということである。書き残された文章がのこっていないのは、神話や民話、伝説や伝承となる。歴史は言葉によってさかのぼることができるが、その言葉と物的証拠が合致して、初めて歴史となる。そのことは警察の取り調べと同じで、犯人の自白だけでは信用できず、犯行の証となる物的証拠が出てきて、ようやく自白したものが犯人となるのと似ている。発掘調査をやるのはその裏付けを得るためだ。古い神社には神話や伝承がたくさん残っているが、それらを思案し、創造するのがとても面白い。もし多くの神社に文字が残っていれば、この国の形は別のものになっていたのではないのか。

現代の神秘主義とケルト文様 2.

二人一組で画用紙を間において向き合い、クレヨンや色鉛筆で心静かに自分の内面を<たどる>ようにして文様を描く。向き合う二人は合わせ鏡の関係となり、お互いの心地よい呼吸を感じながら、結び目や組紐文様の<軌道を描いて>行く。二人はお互いの心を旅するようにたどり描く。二つの曲線はやがて森の道や遊泳する水の中でのようにあるところで出会い、心を交わし、離れたかと思うと、また昇華しながら絡み合っていく。ゆるくつながり、安らいだ<結び目の関係>をつくっていく。ケルトや東洋の神秘思想に影響を受けたシュタイナーは描くことと、作ることは、<呼吸すること>であり、携帯や色は神秘的な<現象>なのだと考えた。<編む><結ぶ><交差する>という関係は<私とあなた>から、<私たちと世界>の関係へ広がり、<人と自然><人と聖なるもの>という、輝くものとの結ばれを夢見る喜びへと向かうと信じたのである。ケルトの修道士もそうだった。彼らは文様を描くプロセスを重視した。完成をもくろむのではなく、過程を心地よくたどること。やがてそこには<ゆるさとかたさ>の間をゆく、程よい張り、確かな生命の感触が現れるだろう。それが真の<芸><術>と言える。この点でシュタイナーの目指した形態(フィルメン)とケルトの<結び目><組紐>は共鳴し、時空を超えてつながっている。

現代の神秘思想とケルト文様 1.

そうした<結び目><組紐>への情熱は、実は現代にも続いていた。アイルランドではもちろん、ヨーロッパ諸国でこの神秘的な文様をキャッチした才能が20世紀にあらわれた。人は目に見えない、宇宙や自然界や超現実の生命に触れられるのではないかと考えたのが、画家のカンディンスキーやモンドリアンであり、特にオーストリア出身の思想家ルドルフシュタイナー(1861~1925年)はそうであった。彼はシュタイナー教育の一環として、人の<心のありよう>を深部から引き出し、蘇らせるため、ケルトの<結び目>と<組紐>を描くトレーニングを発案し、実践したのだった。

聖なるものと<結ばれる>by鶴岡真弓

こうしてケルトの文様は、日本人が忘れてしまったことをたくさん教えてくれる。人は先史時代から今日まで<自然崇拝>を行ってきた。太陽や月や星、草木や動物、水のせせらぎや雨や大気、、、。自然の息吹や轟を<精霊>の活動として見、畏れ敬う心を守ってきた。人はとぎれることない<自然と人間の>とのつながりを祈るものであり、祝うものである。現代人は忘れてしまったが、人も動物もその命は太陽の光と熱によって生かされ、雨によって潤い、大地や海洋から糧を恵まれて初めて生きられる。自然と<結ばれ><つながって>いることへの願いを表そうとしてきたのが、人間の歴史なのだ。藁の紐や絹糸や毛糸で何かを作り上げるという文明の古さ豊かさも、この祈りへとさかのぼるだろう。なぜ中世の修道士たちが修道院の工房で、<結び目>をひたすら描き続けたのかの理由がここにあぶりだされてくる。