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エリザベス洋装店のブログ

結び目文様と組紐文様 4.

人は常に<生命力>を授かりたいと祈る存在である。生命とは光であり水であり心地よい風でもある。それらはにんげんをいかしてくれる<せいなるもの>である。それらは現象として漂い、決してとどまることはない。ケルト文化にはアーサー王伝説の聖杯探求のように、秘された生命的なものを<探求する>という、心の伝統が篤かった。それを表現するには固定された具象ではなく、<蠢く文様>であらわすという考え方を人々は貫いてきた。東洋の伝統であると思いこまれてきた<結び目>や<組紐>が、ヨーロッパの基層文化のケルト美術に深く打ち込まれていることには驚かされる。これは私見では、ユーロ=アジア世界を貫くダイナミックな<文様の東西交流史>をつまびらかにしなければ、溶けない謎である。いずれにしても<結び目>や<組紐>の文様は無限を表し、固定した一元的な世界を突き抜けて自由に蠢いている。人類史の全体を見渡しても実に特別な文様なのである。

結び目文様と組紐文様 3.

したがって新しい宗教の聖書にも、古代から途切れずに守り続けてきた<文様>を描き続けた。日本の神社でもひねって組んで作る<注連縄(しめなわ)>が聖所を徴(しる)しづける信仰と表現が途切れなかったようにである。したがって<ダロウの書>はもちろんのこと、時代は下ってキリスト像を描くことは受け入れた<ケルズの書>でさえ、要のページではその御姿をあからさまに現すことはせず、キリストの頭文字(XPI)だけであらわす伝統を守った。<ケルズの書>で最も有名な<ヨハネの福音書>の<キリストの生誕>のくだりの<キリスト>の御名前のデザインがそれである。その縁取りと中心には渦巻き文様とともに、生きとし生ける物の象徴としての動物を組み入れた<組紐文様>が蠢き、光のように輝いている。

結び目文様と組紐文様 2.

伝統社会の人々は、<結び目>や<組紐>の形には、人の生命を守り祝福する特別の霊力が宿っていると考えていた。神聖なものを<一人の像>で具象的に表現する宗教もあるが、ケルトではそれを抽象的な形で<暗示する、ほのめかす>表現が大切にされた。もちろんこの思想はほかの文明にもあって、仏教の受容で、<仏像(人の形をした聖像)>が入ってくる前の古代日本でもそうであった。神聖な存在や霊験は本来人の眼には見えない。ましてそれを人間の形であらわすなど最も恐れ多いことであった。つまりケルトの人々にとって、聖なるものとは、日本列島人と同じく鎮守の森の樹木や水のせせらぎであり、わざわざそれを<神像=人像>で表現するという考え方には抵抗さえ感じたことだろう。

結び目文様と組紐文様 1.

ふつう西洋美術史でキリスト教の聖書写本といえば、キリストや聖母マリアが描かれている。中世キリスト教会も、地中海世界の古典、ギリシャ、ローマ美術に倣い、神を<人の像で具象的に表現する>方法を最終的には受け入れたからである。しかしアイルランドやスコットランドや北イギリスのノーザンブリアに拠点を持つ<ケルト系の修道院>ではそうではなかった。特に初期の<ダロウの書>にはキリストや聖母の像は描かれることはなく、聖書を荘厳に装飾するための<文様>が要のページを埋め尽くした。緻密な<カーペット>のようだと形容されるほどである。それは、ケルトの伝統社会では<文様>という造形表現が、神秘的な力を持つものとして、とても大切にされてきたからであった。写本芸術だけではない。アイルランドやスコットランドやウエールズに、移民によって世界中に立てられることになる。あの独特の<ケルト十字架>もこの文様で満たされている。特に(渦巻き文様)や<動物文様>とともに、<結び目文様>や<組紐文様>が空気を埋め尽くしている。

アイルランドの<ダロウの書>by鶴岡真弓

首都ダブリンを訪れたら、まずいかねばならないところがある。16世紀末イングランド王によって創立された古い大学、トリニティカレッジ。ここで私が学んだのは30年以上も前のことだが、今も変わらない光景がある。中世の装飾写本の傑作<ダロウの書>や<ケルズの書>を一目見たいと、世界中の人々が訪れて列をつくっていることだ。それらの写本は<文様美術>の神秘的な形と色彩によって、現代人の心を引き付けている。ヨーロッパの遺産であるのに、どこか東洋の曼荼羅のような様相を呈している。まず最古級の<ダロウの書>【680年】を見てみよう。これを描いたキリスト教の修道者たちは現代で言うカリグラフィの専門家(写学生)、かつプロの装飾家であった。修道院の写本工房(スクリプトリウム)は、聖書を写本する神聖なアトリエと瞑想の場所であった。ここで彼らは今から1300年前ユニークなことに生涯をかけて写本の子牛皮(ヴェラム)のページをひたすら<結び目(ノット)>と<組紐(インターレース)>の文様で埋め尽くした。鷲ペンで次々と描かれる曲線が、時にゆるく、時に密に入り組んでいる。はじめも終わりもなく、生まれ来る結び目や交差の果てしない世界。いったい修道士たちは、この無限でエンドレスな<文様の宇宙>に、何を実感し託していたのだろうか。