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,<大和>という字の由来by井沢元彦 2017/03/14
オオクニヌシノミコトはアマテラスの孫へ国を譲り渡すことを最終的に決断しました。神話では<話し合い>によって譲渡されたとされていますが、実際には、やはり戦争をしたのだと思います。出雲大社からさほど遠くない島根県簸川郡斐川町(現、出雲市斐川町)神庭西谷(かんばさいだに)の小さな谷間では、大量の銅剣が発見されています。遺跡は谷の名前をとって<荒神谷(こうじんだに)遺跡>と名付けられました。国譲りの実態は、優れた武器<鉄器>を持った侵入者による侵略戦争だったということです。この鉄器を持った侵略者が<天皇家>のルーツである<大和族>であり、彼らがオオクニヌシ率いる<出雲族>を征服したのだと思います。もちろん神話にはそう書かれていません。それは侵略者である彼らの中にも自分たちが行ったことはいけないことで、理想は話し合いによる譲渡だ、という考え方があったからなのだと思います。だからこそ神話では、戦争で相手を殺して奪った結果ではなく、話し合いで平和に譲られたのだというストーリーにしたのでしょう。日本人に染みついている<和>という価値観は、日本ができた当初から、より具体的に言えば、大和朝廷が成立したころには、日本人の基本コンセプトとして存在していたということです。それは日本の国名を表す<大和>という文字を見ても、よくわかります。ふつうは<大和>と書いて、<やまと>とは読めないからです。<大>と書いて<ヤマ>と読むことも、<和>と書いて<ト>と読むこともありません。つまり、先に<やまと>という音があって、後から、<やまと>という音に最も意味のあった漢字を当てはめて<大和>と書くようになったと考えられるので、大陸から鉄器とともにやってきた人々は恐らく自分たちのことを、<ヤマト>と称してたのでしょう。彼らヤマトは、まず出雲の国を倒し、次いで吉備(きび)の国を倒し、というように、次々と自分たちに従わない人々を滅ぼし、一つの国を作り上げました。そして、国の名前を付けると彼らは自分たちが理想とする<和>のコンセプトに、大きな和を成し遂げる国という意味で<大和>という字をあてたのではないでしょうか。

by 6014D | 2017-03-14 11:45 | コメント(0) | 未分類



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