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エリザベス洋装店のブログ

竜馬の先祖は明智氏ではない。

坂崎紫らんの<汗血千里駒>を底本として、大正三年(1914)に千頭清臣(ちかみきよおみ)が<坂本竜馬>を著した。そこでは竜馬の坂本家の先祖が戦国時代の明智光秀の一族であったと述べている。坂本家にも<明智氏の末裔>との伝承があったようで、以来、この伝承がまことしやかに広く一般に浸透したのだが、これは坂本家の家紋がたまたま桔梗であったことから、近江、坂本を重ね合わせて、光秀の一族が土佐の国、長岡郡才谷村(現、高知県南国市才谷)に隠れ住んだとのロマンを創作したに過ぎない。明らかに後世の作為であった。戦国時代、土佐を支配していた長宗我部元親は、なるほど光秀とは親しかった。その長宗我部の家臣、豊永佐兵衛の妻が、六和国(現、奈良県)から落ち延びてきた人物の娘で、この女の妹が坂本家に嫁いだという挿話を以前何かで読んだことがあるが、これはいただけない。竜馬の<坂本家>における、初代ともいうべき人の名は太郎五郎といった。この人は<生国山城国>で戦乱を避けるべく<弘治永禄のころ>(1955~1570)に土佐へきたとある。明智光秀が長宗我部氏と関係を持ったのは天正年間(1573~1592)に入ってからであり、ちなみに光秀が主人、織田信長との”本能寺の変”は天正10年6月2日の出来事であった。太郎五郎はそれ以前、信長が尾張平定に躍起となっていたころに、すでに土佐にいた。しかも天正16年(1588)の才谷村の検知によれば、この太郎五郎は武士ではなく、一介の農民でしかなかった。当然、姓などはない。それにしても感心するのは、この人物、よくぞ土佐国までたどり着けたものだ。