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エリザベス洋装店のブログ

ポールマッカートニーとロンドンアンダーグラウンド文化人との交流1

1960年代、ロンドンにいるときは独身時代を絵に描いたようなナイトライフを楽しんでいたポールは、彼女のジェーンアッシャーも売れっ子だったため、彼女にはほとんど束縛されなかった。兄貴のピーターアッシャーを通じて、ロンドンの”とんがった連中たち”と次々に知り合いになっていった。ポールとその仲間たちがアンダーグラウンドカルチャーシーンの重要人物となるのが、ちょうど<ラバーソウル>制作時から<リボルバー>完成まで、一年弱のことだったのである。ピーターアッシャーが結成していた二人組デュオピーター&ゴードンのゴードンウォーラーのガールフレンドだったジェニーダンバーの兄、ジョンダンバーは、ポールがロンドンで築いた人脈を語る上では重要な存在だ。ポールがアッシャー家で暮らすようになった、1963年秋にはまだケンブリッジ大学の学生だったダンバーは妹を通じてゴードン、ピーター、ポールらと仲良くなり、アッシャー家に出入りするようになった。彼は1964年のヴァレンタインデイに大学で開かれたパーティでマリアンヌフェイスフルと出会い、二人はすぐに恋仲になる。レディングの高校に通う17歳の少女だったフェイスフルは、ユートピアを目指すオックスフォードシャーのコミューンニクラス精神科医グリンフェイスフルと、オーストリアハンガリー帝国の貴族エリッツフォンザッヘル=マゾッホの間に生まれた娘で、大叔父はマゾヒズムの語源になった性倒錯小説の作者で知られるレオポルドフォンマゾッホ卿だった。フェイスフルが初めてアッシャー家を訪れたのは、1964年3月。ピーターやポールにも気に入られたフェイスフルは、ダンバーとともにローリングストーンズのパーティに招かれ、その席でストーンズのプロデューサー、アンドルールーグオールダムの目に留まった。そしてすぐにミックジャガー・キースリチャード作の<アズティアーズゴーバイ>で歌手デビューしたのである。美貌が売りのフェイスフルはテレビ番組<ジュークボックスジューリ>への出演を機にたちまち人気を爆発させ、同曲は全英9位、全米22位のヒットとなった。その後も歌手としてのキャリアを着々と積んでいったフェイスフルだが、65年春に妊娠していることがわかると、すぐにダンバーと結婚した。妊娠8か月目に入っていた同年10月22日にはポールの協力を仰いだ<イエスタデイ>のカバーヴァージョンをシングルとしてリリース。ポールは躊躇する彼女を<レノン・マッカートニーの音楽>という特別番組(グラナダテレビが制作)に出演させた。この時、19歳のアイドル歌手の妊娠姿に、英国の視聴者は愕然としたという。