SHOP BLOGアソビねっブログ

エリザベス洋装店のブログ

泰澄大師と私(過去の記憶が閉じ込められている水)by上田俊博8.

天皇になるための即位灌頂には五つの海の水が必要だという。空海曰く<水には過去の記憶が閉じ込められている>そして泰澄曰く、<女性が成仏したかったら、男に変身して(変成男子)、十一面観音を信じること。やはりこの時にも清浄な水が要るという。本郷直紹さんの本の中にも出てくる。そして数少ない泰澄の言葉に次のような話が残されている。<白山神である妙理大菩薩が申されるには、生い茂った神聖な木々も種々の草類もすべて私の王子、眷属の居するところであり、一万の天女は堅牢地神、すなわち大地の従者である。神々が木々草草にやどっているということになるのである>聖なる存在である白山の自然は、正常な水を含め、そのすべてが白山神の従者の住まいとしてイメージされ、それ故に山全体がきわめて崇高な存在であると主張された。聖域という観念を強調することによって、その所に住して苦行を修する行者の験力に対する評判が高まり、その評判がまた新たな信者や行者を生み出し、永劫に廃れることのない白山信仰の体系を築き上げたということができよう。泰澄和尚伝記作成の目的は、まさにここの点にあったのだ。すばらしい。

泰澄大師と私(泰澄と清浄な水)by上田俊博7.

密教では佛との偶然の出会いを大事にする儀式を結縁(灌頂)といい、天皇が即位するときの儀式を<即位灌頂>という。キリスト教の洗礼においてもどちらも頭上から水を灌ぐ。水といえば、泰澄の唱えたお経<十一面観音神呪心経>にも出てくる。人間には正常な水がとにかく必要なのだ。それらの儀式において神仏のエネルギーはダイレクトに注がれるのではなく、水を媒介して注がれるのだ。まさに情報伝達物質としての水の性質を如実に表しているのではないか。生命に欠かせないたんぱく質の構造は、そこに結びつく水分子の連なり方の構造によって決定されるという。分かりやすく言うと、水はタンパク質の鋳型であるということだ。たんぱく質の設計図情報を生体内の水が保持、伝達しているといってもいいだろう。もう一つは脳神経細胞(ニューロン)内に入ってきた情報は、驚くべきことに細胞内の水分子にコピーされることで<記憶>として安定的に保持されるというのだ。つまり水は人体において情報の伝達と維持を行う媒体として機能しているということだ。同様に水を介して情報を取り込む可能性も否定できない。

泰澄大師と私(幕末の天狗党)by上田俊博

幕末、先ほどの秋生(あぎょう)の美濃の峠を通って水戸から来た天狗党の人々を休ませないように、民家はことごとく大野藩によって焼き払われたという。その天狗党は宝慶寺を抜け、龍双ヶ滝を越え、大本から池田、木の芽峠、敦賀へと進んだが817名余名が福井藩にとらえられ、352人が処刑された。その処刑した役人が、僕の住んでいる近くにその当時住んでいた。新幹線工事で福井駅周辺が整備された。八軒町が工事のために発掘された時に、なんとその処刑した役人の住居跡から20センチ大の石に<いくら罪人とはいえ、人が人を処刑するというのはつらい>と書かれたのが出土したのだ。仏教には神祇ではどうしても片づけられないことに対処できる部分が存在する。それは神祇の最も忌み嫌う穢れ(けがれ)に対する処置、具体的には死者の弔いであり、さらには病気の治療であったのである。特に律令国家では、国土や王権を護持するために、僧尼は天皇をはじめ高貴なる人々の病や死に際して看病や追善供養を修された。泰澄の死後、宝亀3年(772)には天皇などの看病に当たる役割を帯びた僧侶で、山林修行を通じて得られる効験力に秀でた僧侶が選ばれ、行基の弟子が複数選ばれた。この人たちを十禅師という。