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エリザベス洋装店のブログ

日本のグループサウンズはなぜビートルズになれなかったのかby稲増龍夫3.

小西康陽さんはGSをリアルタイムに体験したぎりぎりの世代だ。1984年に結成したピチカートファイヴは、60年代洋楽のテイストをうまく日本語ポップスに取り入れた(渋谷系)と呼ばれるジャンルの代表的存在として活躍した。2001年の解散後も、マニアックな音楽センスを買われ、TOKIO等のアイドルから八代亜紀まで、さまざまなアーティストに曲を書いたり、プロデュースを手掛けたりするなど、内外から評価が高い才人である。また2万枚を優に超えるアナログレコードのコレクターとしても有名である。(稲増)小西さんは1959年生まれですね。GSブームのピーク時には小学校高学年くらいだと思いますけど、当時GSについてどんな印象がありましたか。(小西)クラスの女の子たちがタイガースに夢中になっていたので、僕もタイガースを聞いてみたいと思い、大橋巨泉さんの<ビートポップス>というテレビ音楽番組を見るようになりました。そこで僕は洋楽のポップスに目覚めてしまったのです。(稲増)洋楽の入り口がタイガースだった。私からすると、小西さんは洋楽から入ってむしろGSに冷ややかな目を向けていたのかと思っていたのですがそうでもないわけですよね。(小西)そうでもありません。洋楽のシングルを買い始めるのと、GSのシングルをかいだした時期はそんなにずれてはいませんでした。最初に自分で買ったGSのシングルは、オックスの<スワンの涙>で、少し遅れてタイガースの<青い鳥>を買ったんじゃないかな。(稲増)それが小学校時代。洋楽にディープにはまっていったのはいつごろですか。(小西)ディープにのめりこんだのは中学に入ってLPを買いだしてからですかね。(稲増)無類のレコードコレクターとして有名ですが、こちらはいつごろからですか。(小西)中学3年ぐらいからですかね。輸入盤でカットアウト(廃盤)のレコードを安く変えると知ってから。現在では本当にレコードを集めることしか興味がなくなっちゃいましたね。(稲増)現在、小西さんはと公言しておられます。ということは中学校ぐらいまでで止まっちゃうわけですか。(小西)いやそんなことはありません(笑い)。その後の音楽も聞いているんですけれども、結局自分の好きなものは74年より前の音楽かなと。新譜もチェックしているけれど、一回聞いたらもう聞かなくなっちゃう、ということにある日気が付いたんですね。

日本のグループサウンズはなぜビートルズになれなかったのかby稲増龍夫2.

(稲増)あそこまで、王子様みたいなファンタジー色の強いきらびやかな衣装はそれこそ海外にもなかったですよね。(コシノ)ピンクを使うとか、バラの刺繍とか、普通は女の子向けにやるようなことを男の子の衣装でやったら、見事な迄にぴったりだったわけです。特にジュリー【沢田研二)は本当によく似合いました。(稲増)コシノさんはいつも冒険なさっているとはいえ、勇気が要りませんでしたか。(コシノ)それが当たり前だと思って、あの人たちに背広とか、ジーンズを着せるのは想像できなかった。男っぽい男の人ではなく、かといって、女性らしくとも思っていない。ちょっとチャーミングでかわいいという感じですよね。(稲増)日本人の美意識からしても非常に画期的でしたよね。(コシノ)突然、浮世離れした美男子が現れたという感じですよね。日本っぽくもないし外国かぶれもしていない。不思議なチャーミングさが女性に受けたんじゃないですか。ジュリーが真中にいて、そのオーラが全体に膨らんでいくんですね。今思い出してみると、布施明さんに作った最初の服は袖にフリルがついているんですよ。黄色いシャツにフリルがついているなんて、そんなの紳士服のお店に行っても絶対売っていないし、作らないですよね。(稲増)タイガースの音楽については何か感じられましたか。(コシノ)声が少年ぽくって、これが何ともセクシーなんです。大人じゃないんです。枯れていなくって、すごくフレッシュでした。あの少年っぽい声が何ともチャーミングでああいう声を聴くと、いかつい姿を想像できないですよね。そしてやはり最初に作った<花の首飾り>の衣装が忘れられないですよね。その衣装でウエスタンカーニバルに出たときのキャーっていうファンの大歓声が感動的でした。ただ、ビートルズは少なくとも今でも語り継がれてファンはどんどん増えている。若い世代も昔のビートルズにひかれてしまう。それは音楽の力ですね。GSは力不足でしたね。タイガース以外の衣装を担当したGSはスパイダーズ、ワイルドワンズ、オックス、カーナビーツなど、GSはほとんどうちが手掛けていたようなものです。日本のあの当時の文化の中でGSは音楽とファッションが一体化した時代を作ったと思います。日本はGSのおかげで勇気を持って挑戦できる土壌ができたと思う。あれだけのファンを引き付け、一世を風靡したわけですから。GSは終わってしまったわけではなくって、彼らに影響され、あの当時キャーッと熱狂していた人たちのエネルギーが新しい時代を作ってきたのだと思います。

日本のグループサウンドはなぜビートルズになれなかったのかby稲増龍夫1.

コシノジュンコさんはファッション界の異彩といわれるコシノ三姉妹の次女で1960年に史上最年少で若手デザイナーの登竜門である(装苑賞)を受賞し、その後、日本のファッション界の最前線を走り続けながら、世界各地でファッションショーを開催し、万博などのイベントを始め多方面に活躍している。GSとのかかわりで言うなら、なんといっても<花の首飾り>を筆頭に、初主演映画<世界は僕らを待っている>、全盛期のタイガースの衣装を担当してきたことがあげられる。そのデザインはロックでありながら、マッチョな男性性を排除し、ファンタジックな両性具有の世界観で60年代に日本独自のファッション美学を構築したといっても過言ではない。(稲増)タイガースの衣装を担当してほしいという話が来たいきさつを教えて下さい。当時、GSに対してどういうイメージを持っていらっしゃいましたか。(コシノ)渡辺プロとしては最初のGSだったと思います。私が同じ渡辺プロの布施明さんの衣装を手がけていたという縁もあって、タイガースプロジェクトの一員として声をかけられたのです。(稲増)タイガースは、本人たちもローリングストーンズにあこがれていたというのがあって、当然、バリバリのロックを目指していたわけですね。ロックというと不良ぽくってワイルドというイメージが強かったのに、タイガースの衣装は割と中世的ですよね。ああいうファッションはどうやって思いつかれたのですか。(コシノ)初めてメンバーにお会いしたとき、やせてて、男っぽいところが全然見られなかったんです。でも、女っぽいわけでもなくゲイでもない。あえて言うならば、ユニセックスとなりますね。私は自分がメンズを造っているという意識は持っていませんでした。メンズってオジサマのものだと思っていたから、ただ、この子たちにふさわしい舞台衣装を手がけたいと思っていただけです。コシノさんの御主人がヘアデザイナーの頃、僕の兄の友達として、僕が高校3年の頃、エリザベスの我が家に遊びに来たことがある。確かフォーククルセーダーズの(帰ってきた酔っ払い)が流行っていたころである。