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エリザベス洋装店のブログ

霊魂とは?1.

霊魂にはいろんな考え方があります。中国における儒教や道教、陰陽道では人間の魂は2種類あると説いてます。つまり<魂>と<魄>です。霊界に行くのが<魂>で、地上にとどまるのが<魄>です。<魂>は死後、霊界へと旅立ちます。通常、こちらは問題ない。問題は<魄>の方です。<魄>は墓場に埋められた遺体からエネルギー体が出ていき、地下深く下りていく。地下水脈を通って、ある部分は山に登り、ある部分は海へと流れていく。そして時間をかけて樹木などに吸収され、大気などに溶け込み、再び世界に還元されていく考えです。魄はエネルギー体なので、自然に還る途中で、別のエネルギー体に取り込まれることがあります。いろんなエネルギー体がまじりあったものが、いわゆる(魑魅魍魎、つまり<妖怪>です。また、魂魄両方が地上にとどまる場合があります。これが<悪霊>(おんりょう)です。

神道と仏教の融合

現在に至る日本仏教の墓制には、古来からの神道的な考え方が受け継がれているのである。民俗学者の桜井徳太郎は著書<霊魂間の系譜>の中でこう述べている。<【墓に供える)塔婆が、松や杉、檜などの常盤木(常緑樹)であるのは、古代の祭儀で神霊のよりつく依代であったことから明らかなように、疑いもなく神道の祭式を示す。ホトケがカミとなった証拠はこれだけでもはっきりする。日本古来の考え方では、死者はカミとして待遇されてきた。それが仏教の伝播によって大きく変容してしまった。けれども重要なところで古いしきたりだけが残っている。それが現在でも民族伝承となってわずかに姿を見せているわけである。神道では死穢(しえ)は忌むべき対象だ。神道は今日に至るまで一貫して死穢にかかわることなく、聖なる部分を担保してきた。一方で、仏教のなかでも死穢にかかわるもの、そうでないものとのすみわけがなされていく。鎮護国家仏教の時代、僧侶は官僧との位置づけで、公に祈祷を担う存在であった。天皇家における神事にもかかわっていたため、死穢はタブーであった。仏教伝来の最初の地である南都の僧侶は神道と同じく、葬式にはかかわってこなかったとされている。ところが、平安末期から鎌倉時代になって聖なる官僧に対して台頭してきた新仏教(聖集団など)が積極的に死穢の処理に加わっていく。興味深いのが東大寺や興福寺の僧侶が亡くなった場合、自分たちの南都六宗の僧侶ではなく、浄土宗の僧侶に葬式を頼んでいたという事実。東大寺の周辺には浄土宗の寺院が多く作られ、彼らが葬式を担った。浄土系の僧侶が積極的に死穢にかかわるようになると、次第に寺院は死穢を処理する場所(供養の場所)として変遷していく。やがてほかの宗派も死穢の処理を巡って、教義を組み立てなおし、日本仏教全体として(葬儀)を作り上げていった。一方で今でも神道のように聖なる部分のみを担う僧侶が存在するという。それが千日回峰行者である。彼らは一生涯、葬式に出られない。千日回峰の歴史は平安期からですから、葬式には関与しない清僧の制度が1000年以上も続いていることになります。