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エリザベス洋装店のブログ

恋なしでは生きられない完全な恋愛体質 伊勢

難波潟 短き芦のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや難波潟の芦の短い節と節の間のように、こんな短い時間でさえもあなたに逢わないで世を過ごしてしまえとおっしゃるのですか。伊勢守、藤原継蔭の娘。宇多天皇の皇子を生んだが、皇子は早世。すると今度は宇多天皇の子、敦慶(あつよし)親王(後醍醐天皇の弟になる)との間に子供を成す。生まれた娘、中務(なかつかさ)は、優れた歌人となった。伊勢は恋多き人。一世紀後の和泉式部と並ぶ。宇多天皇の中宮、藤原温子(藤原基経の娘)に仕えながら宇多天皇の寵愛を受けた。百人一首の中では歌番号で見たときに女性歌人の三番目である。いよいよ時代は10世紀に入り、王朝の女房文学が盛んになる前触れの存在。<難波潟>といえば<芦>が連想される。海岸の景色は都人の憧れだった。芦といえば、節があり、節と節との間を<よ>という。三句の<世>は芦の意味にもなり、<芦><ふし><よ>は縁語の関係。男が通ってくるのを待たなくてはならない女性の立場で詠んでいる。ほんのわずかな時間もおとづれてくれない。このまま生きて行けというのか、と嘆きつつ責めている。歌、美貌両面で名高い古今集時代の女流歌人。しかも、恋多き女。お相手は数知れず。宇多天皇の子を産む前は仕えた中宮の兄弟藤原時平、仲平とも浮名を流した。皇子を亡くした傷心もあったのか、宇多天皇の子の敦慶親王の愛に応えてしまう。基本的に恋愛体質なのだ。歌を見ても、どんなに短い時間でもあなたなしでは過ごせない、いや生きられない、という情熱があふれている。伊勢にとっての恋愛は、それなしでは一分一秒も生きられない血液みたいなものだったのではないか。