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エリザベス洋装店のブログ

赤のっぽと青のっぽ by 皇后美智子

戦争は1945年の8月に終わりました。私たち家族は、その後しばらく田舎にとどまり、戦災を免れた東京の家に戻りました。もう小学校の最終学年になっていました。この辺で、これまでここで取り上げてきた本のほとんどが、疎開生活というやや特殊な環境下で、私の読んだ本であったということにつき、少し触れたいと思います。この時期、私は本当にわずかしか本を持ちませんでした。それは数少ないーそれも大人の手をとおってきた、ある意味ではかなり教育的な本ーを普段よりもずっと集中して読んでいたひとつの特殊な期間でした。疎開生活に入る以前、私の生活に読書が持った比重は、それほど大きなものではありません。自分の本はあまりもたず、三つ年上の兄のかなり充実した本棚に行っては気楽で面白そうな本を選び出してきて読んでいました。私の読書力は、主に少年向きに書かれた剣豪ものや探偵小説、日本で当時ユーモア小説といわれていた、実に楽しく愉快な本の読書により得られたものです。漫画は今と違い、種類が少なかったのですが、新しいものが出ると、待ちかねて読みました。今回取り上げた<少国民文庫>にも、武井武雄という人の描いた、赤のっぽ青のっぽという二匹の鬼を主人公とする漫画がどの観にも入っており、私はくり返しくり返しこれらを楽しみ、かなり乱暴な<鬼語>に熟達しました。子供はまず、<読みたい>という気持ちから読書を始めます。ロッテンマイヤーさんの指導下で少しも文字を覚えなかったハイジが、クララ叔母様から頂いた一冊の本を読みたさに、そしてそこにペーターの盲目おばあ様のために本を読んであげたいというもう一つの動機が加わって、どんどん本が読めるようになったように。幼児期に活字に親しむことが、何より大切だと思います。ある程度の読書量に耐える力がついていなかったら、私は父が持ってきてくれた数冊の本を、あれほど熱心に読むことはなかったし、一年半余りに及ぶ私の疎開生活に、読書の思い出を付け加えることはできませんでした。

人間の悲しみ、喜びに深く触れる by 皇后美智子さま

英語で読むとさらに掃除(クリーン)、落ち葉(リーヴス)、澄む(クリアー)、なめる(リック)、子牛(リトルカーフ)など、L音の重なりが快く思われました。しかし、こうしたことはともかくとしてこの原文を読んで私が心から感服したのは、私が買って読んだ阿部知二の日本語訳の見事さでした。この<世界名作選>を編集するとき、作品を選ぶ苦心とともに、日本語の役の苦心があった、と山本有三は、その序文に帰しています。既刊の翻訳に全て目を通し、カルルブッセの<山のあなた>の詩を除く、すべての作品は、ことごとく新たな役者に依頼して新訳を得、また同じ役者の場合にも、さらに良い訳を得るために加筆を求めたといいます。私がこの本を読んだころ、日本はすでに英語を敵国語とし、その教育を禁止していました。戦場に赴く額とも携帯する本にも、様々な制約があったと後に聞きました。子供の私自身、英米は敵だとはっきりと思っておりました。フロストやブレイクの詩も、もしこうした国の詩だと意識していたら、何らかの偏見を持って読んでいたかもしれません。世界情勢の不安定であった1930年代、40年代に、子供たちのために、広く世界の文学を読ませたいと願った編集者があったことは当時これらの本を手にすることのできた日本の子供たちにとり、幸いなことでした。この本を作った人々は、子供たちが、まず美しいものに触れ、また人間の悲しみ喜びに深く触れつつ、様々にものを思って過ごしてほしいと長ってくれたのでしょう。ちなみにこの名作選の最初の数ページには日本や世界の絵画、彫刻の写真が、白黒ではありますが乗っていました。とうじわたしはまだおさなく、こうした編集者の願いをどれだけ十分に受け止めていたかはわかりません。しかし、少なくとも国が戦っていたあの暗い日々のさなかに、これらの本は国境による区別なく、人々の生きる姿そのものを私に垣間見させ自分とは異なる環境下にある人々に対する想像を引き起こしてくれました。数冊の本と、ほんと、本を私に手渡してくれた父の愛情のおかげで、私もまた、世界の屋根の上にぷっかりと、楽しく本を読むあのIBBY<世界児童図書評議会>のポスターの少年の分身でいられたのです。

ロバートフロストの<牧場>by 皇后美智子様

<世界名作選>の編集者は、悲しく心の沈む<絶望>の詩とともに、こうした心の踊る喜びの歌を、その選に入れるのを忘れてはいませんでした。ロバートフロストの<牧場>という詩は私にそうした喜びを与えてくれた詩のひとつでした。短い詩なので詠んでみます。<牧場>牧場の泉を掃除しに行ってくるよ。ちょっと落ち葉を掻き退けるだけだ。(でも水が澄むまで見てるかもしれない)すぐ帰ってくるんだからー君もきたまへ。子牛を捕まえに行ってくるよ。母牛(おや)のそばに立っているんだがまだ赤ん坊で母牛(おや)が舌でなめるとよろけるんだよ。すぐに帰ってくるんだからー君もきたまへ.この詩のどこに、喜びの源があるのか、私に十分説明することはできません。勿論その語の内容が、とても感じの良いものなのですが、この詩の用語の中にも、いくつかの秘密が隠れているようです。どれも快い想像を起こさせる<牧場><泉><落ち葉><水が澄む>などの言葉、そして<すぐ帰ってくるんだからー君もきたまへ>という、一節ごとの繰り返し。この詩を読んでから、七、八年後、私はこの詩に大学の図書館でもう一度めぐり合うことになります。米詩の詩歌集(アンソロジー)の中にでもあったのでしょうか。この度は原語の英語によるものでした。この詩を、どこかで読んだことのある、と思った時、二つの節の最終行の繰り返しが、記憶の中の日本語の詩と、ぴったりと重なったのです。<すぐ帰ってくるんだからー君もきたまへ>。この時初めて名前を知ったバーモントの詩人が、ページの中から呼びかけてきているようでした。

本から得た<喜び>by 皇后美智子さま

本から得た<喜び>についても。ここで是非お話をさせていただきたいと思います。確かに、世の中に様々な悲しみのあることを知ることは、時に私の心を重くし、暗く沈ませました。しかし子供は不思議なバランスのとり方をするもので、こうして少しずつ、本の中で世の中の悲しみに触れていったと同じころ、私は同じく本の中に、大きな喜びも見出していったのです。この喜びは、心が生き生きと躍動し、生きていることへの感謝が湧き上がってくるような、快い感覚とでも表現したらよいでしょうか。初めてこの意識を持ったのは、東京から来た父のかばんに入っていた小型の本の中に、一首の歌をみつけた時でした。それは春の到来を告げる美しい歌で、日本の五七五七七の定型で書かれていました。その一首を繰り返し心の中で詠んでいると、古来から日本人が愛し、定型としたリズムの快さの中で、言葉がキラキラと光って喜んでいるように思われました。詩が人の心に与える喜びと効用を私はこの時初めて知ったのです。先に私は本から与えられた<根っこ>のことをお話しいたしましたが、今ここで述べた<喜び>は、これから先に触れる<想像力>とともに、私には自分の心を高みに飛ばす、強い<翼>のように感じられました。

ケストナーの<絶望>by 皇后美智子様

子供にも理解できるような、いくつかの詩もありました。カルルブッセ、フランシスジャム、ウイリアムブレイク、ロバートフロスト、、、。私がインドの詩人タゴールの名を知ったのも、この本の中ででした。<花の学校>という詩が選ばれていました。後年<新月>という詩集の中に、この詩を再び見出した時、どんなに嬉しかったことか。<花の学校>は、私をすぐに同じ詩人による<あかんぼの道>や<審(さば)く人>、<チャンパの花>へと導いていきました。ケストナーの<絶望>は、非常に悲しい詩でした。小さな男の子が汗ばんだ手に一マルクを握って、パンとベーコンを買いに小走りに走っています。ふと気づくと、手の中のお金がありません。街のショーウインドの灯がだんだんと消え、ほうぼうの店の戸が閉まり始めます。少年の両親は、一日の仕事の疲れの中で、子供の帰りを待っています。その子が家の前まで来て、壁に顔を向けじっと立っているのを知らずに。心配になった母親が探しに出て、子供を見つけます。いったいどこにいたの、と尋ねられ、子供は激しく泣き出します。<彼の苦しみは母の愛より大きかった。二人はしょんぼりと家に入っていった>という言葉で終わっています。この<世界名作選>には、この<絶望>のほかにも、ロシアのソログーブという作家の<身体検査>という悲しい物語が入っています。貧しい家の子供が学校で盗みの疑いをかけられ、ポケットや靴下、服の中まで調べられている最中に、別のところから盗難品が出てきて疑いが晴れたという物語で、この日帰宅したこどもからいちぶしじゅうをきいた母親が、<なにもいえないんだからね。おおきくなったら、こんなことどころじゃない。このよにはいろんなことがあるからね>と欺く言葉が付け加えられています。思い出すと、戦争中はとかく人々の志気を高めようと、勇ましい話が多かったように思うのですが、そうした中でこの文庫の編集者が、<絶望>やこの<身体検査>のような詩を、なぜここに選んで乗せたのか興味深いことです。生きている限り避けることのできない多くの悲しみに対し、ある時期から子供に備えさせなければいけない、という思いがあったのでしょうか。そしてお話の中のでんでんむしのように悲しみは誰もが背負っているのだということを、子供たちに知ってほしいという思いがあったのでしょうか。私は、この文庫の編集企画をした山本有三につき、二、三の小説や戯曲による以外詳しくは知らないのですが、<日本名作選>及び<世界名作選>を編集するに当たっては、子供に喜びも悲しみも、深くこれを味わってほしいという、有三とその協力者たちの強い願いがあったのではないかと感じられてなりません。