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エリザベス洋装店のブログ

仙境異聞 by 平田篤胤 6.

またいつのことだったか、七軒町のあたりを、花の高い赤いお面をかぶり、袴をつけて太刀を刺した男が、<ワイワイ大王じゃ、ワイワイ大王じゃ>と唱えながら歩いていたことがあった。ワイワイ大王は、赤い紙に<大王>というに文字を刷った子札をまき散らし、周りに子供を集めては、囃し立てていた。<大王様は囃すがお好き、囃せや子供。わいわい囃せ。大王様は喧嘩が嫌い、けんかをするな、仲よく遊べ、囃しながら進むわいわい大王の行列が、寅吉には面白かった。寅吉も大勢の子供たちに交じって、一緒に囃しながらついていき、家から遠く離れてしまったことにも気が付かなかった。今思えば、本郷の先の妙技坂あたりまで行ったようであった。もうそのあたりは暗く、日も暮れていた。ほかの子供たちはみな帰って行った。寅吉のほかに誰もいなくなると、札を巻いていたワイワイ大王は、道の傍らに立ち止り、面をとった。見てみると寅吉をいつも連れて行く老人、その人であった。<今日も家まで送って行ってあげよう>老人はそう言って寅吉の手を取った。二人で連れたって家路についたが、茅場町榊原殿の表門の前あたりで、父親が寅吉を探しに出てきていたことが分かった。<お前の父が探しにやってきた。わしとのことは、決してしゃべってはならんぞ>老人はそっと寅吉に念を押し、寅吉の父親に行き会うと話しかけた。<探しているのはこの子ではないのかね。遠くで迷子になっていたから連れて来たんだが>父親は寅吉を引き取り、とても喜んで、老人に名前と住まいを訪ねた。老人はどこそこの何某だと、適当な名を告げて去っていった。翌日父親はその住まいを訪ねて、礼をしようとした。しかしもとより出まかせの住所であってみれば当然のこと、そこにそんな人はいなかったと、むなしく帰ってきた。

眼が三つあった時の名残、松果体

哺乳類も鳥類も多くの脊椎動物も、ほとんどが左右に一つずつの眼である。三つ眼というのは、妖怪くらいしか思い浮かばない人が多いのではないだろうか。しかし、もともと私たちのご先祖は三つ眼だった。その証拠は松果体。松果体は脳の中央にあり、形が松かさに似ているので、松果体と名付けられた。松果体はメラトニンというホルモンを分泌し、睡眠を促す。そして昼はセロトニンを分泌し、人間の生活リズムを作っている。体内時計というわけだ。その松果体こそ三つ目の眼だった。人間がまだ受精4週間目のころ、神経管に三つの突起ができる。この突起はすべて光を感じる器官なのだが、左右の二つはそのまま眼になるが、中央にできた突起は眼にはならず、松果体になる。大きな脳にさえぎられて、眼にまで発達しないのだ。しかし、現在でもイグアナやニュージーランドにいるムカシトカゲなどには、この眼が残る。頭のてっぺんにあるので頭頂眼と呼ばれる。古生代、まだ恐竜が出現する前、両生類だったわれらの先祖は、水中からじっと上を見上げていただろう。襲ってくる敵や食料を求めて。人間の三つ眼は眼としての機能はなくしたが、それでも光を感じる器官の痕跡として残っている。

仙境異聞 by  平田篤胤 5.

しかし寅吉はまだ幼かった。夜になると、寅吉は無性に両親が恋しくて、泣き出してしまった。老人は手を変え品を変え、あれこれと、慰めたが、寅吉はただ声を上げて、泣きじゃくるばかりであった。慰めかねた老人は寅吉に向かっていった。<そんなに家が恋しいならやむを得んな。家に送り返してあげよう。だが決して今日起きたことをしゃべってはいかんぞ。無論、家の人にも内緒にして、毎日、五條天神の前においで。わしが送り迎えして、卜筮を習わせてあげるから。老人はこう言い含めると、寅吉を背負い、目を閉じさせて大空に舞い上がった。風が耳にあたって、ざわざわとなったかと思うと、もう寅吉の家の前に来ていた。<いいな、わしと会ったことは決してしゃべるなよ。もし一言でもしゃべったら、お前の身に災いが降りかかってしまうぞ。わかったな>家の前で、老人は寅吉に今一度念を押すと、消えるようにいなくなってしまった。寅吉は老人のこの戒めを固く守り、後々まで、父にも母にも老人のことは何も話さなかった。さて翌日の昼過ぎ、約束道理、寅吉が五條天神の前に行くと、あの老人が来ていた。老人は寅吉を背負って、山に連れて行った。しかし老人は卜筮のことは何も教えず、ただ寅吉を、さらにあちらこちら周辺の山々に連れて行った。そして寅吉にいろいろなものを見憶えさせ、花を折り、鳥を獲り、渓流では魚釣りなどをして、寅吉を楽しく遊ばせた。そして夕暮れ時になると、老人は同じように寅吉を背負って、家に送り返した。寅吉はこの老人との山遊びが面白くって毎日欠かさず約束の場所へと出かけた。いつも下谷広小路の井口という薬屋の男の子と遊びに行くようなふりをして、寅吉は家を出掛け、老人と一緒に過ごす日が長く続いた。

仙境異聞 by 平田篤胤 4.

同じ年の四月ころ、寅吉が東叡山(上野寛永寺のある山)のふもとに遊びに行き、黒門前の五條天神界隈をぶらついていた時、年恰好は五十歳ぐらいで、髪が長く、総髪をくるりと櫛巻きのように結んだ旅装束の老人がいた。その老人は、口の直径が四寸ぐらいのこつぼから、丸薬を取り出して売っていた。やがて老人は商いを終えたと見え、前に並べてあったものを、小つづらから敷物まで、何もかもその小ツボの中にいとも簡単にしまいこんでしまった。それから老人自身もその小ツボの中に入ろうとしていた。寅吉は、どうやってこつぼなどの中に入ることができるのだろうと思い、じっと見ていると、老人は片足を踏み入れたと、見えたその瞬間、たちまち老人の身体全部がこと簿の中に吸い込まれてしまった。そしてそのツボは大空に舞いあがり、いずこともなく飛んで行った。寅吉には何がなんやら不思議でならなかった。それで寅吉は、後日また五條天神兵器、夕暮れまで老人の様子を見ていたが、この前と全く同じであった。その後また寅吉が五條天神へ行ってみると、老人のほうから寅吉に声をかけてきた。<お前もこのツボに入ってみないか。面白いものをいろいろ見せてやろう>何とも薄気味悪くて、寅吉は遠慮した。すると老人は、近くで売られていた菓子などをいろいろ買い与え、寅吉の関心を掻き立てるように誘ってきた。<お前は卜筮のことを知りたいんだろう。だったらこのツボに入ってわしと一緒においで、教えてあげるよ>常日頃から卜筮の術を知りたかった寅吉は老人にこう誘われると、そんなら行ってみようという気になってしまった。それからつぼにはいったように思うその間もなく、寅吉はとある山の頂にたどり着いていた。まだ日も暮れていなかった。その山は常陸(ひたち)国(茨城県)の南台丈(難台山)という山であった。いわゆる天狗の行場であるという。

仙境異聞 by 平田篤胤 3.

文化9年(1812)、寅吉が七歳の時のことであったという。池之端茅町(いけのはたかやのちょう)の境稲荷社の門前に、貞意という易者が住んでいた。貞意は、毎日自分の家の前で、八卦見の商売をしていた。寅吉がじっと見物していると、貞意は<乾(けん)の卦(け)が出ました><坤(こん)の卦がでました>などという。それで卜筮(ぼくぜい)というものは、さまざまの獣の毛を集めておいて、何かになぞらえる決まりがあり、その毛を探り出し、クマの毛が出ればかくかく、鹿の毛がでれば云々と、探り出した毛によって物事を占う術のことだろうと思った。それでもう寅吉は、卜筮が習いたくて習いたくて、仕方がなくなってしまった。ある日、寅吉は、貞意の周りに人がいないのを見計らって、<どうか卜筮の術を教えてください>と頼み込んだ。貞意は、寅吉が子供だったので、からかってみたのだろう、<卜筮はたやすくは教えられない術だ、だから七日ほど、手のひらに、油をため、火をともす行を務めてみろ。それが終わったらまた来るがいい。そうすれば教えてやろう>といった。実際。気安く教えられるものではなかろうと、寅吉は貞意の言葉を真に受けた。寅吉は家に帰ると、父も母も誰も見ていない時を見計らい、そっと二階などに上がったりして、ひそかに手灯の行を始めた。そのあつさはたえがたかったが、何とか七日の行を成し遂げて、貞意のもとへ勇んで出かけた。<ほらこのとおり、てがやけただれてしまったぐらいです。でも言われたように、七日の手灯の行を勤め上げました。どうか、卜筮の術を教えてください>寅吉は頼んでみたが、貞意はただ笑ったばかりで、教えてはくれなかった。寅吉は何とも悔しくてたまらなかったが、どうしようもなく、いよいよ卜筮への興味を掻き立てられただけであった。寅吉は募る思いを抱えたまま、日一日を過ごしていた。