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エリザベス洋装店のブログ

変化と発展を続ける神道

神道の本質がわかりにくい理由の一つに神道が幾度も姿を変えてきたことがあげられる。しかし神道の核となる部分は縄文時代以来変わらない。日本の歴史の発展の中で、その核の周りに様々なものが結びついて、それぞれの時代にあった神道が形づけられた。神道が儒教や仏教のような外来の思想を取り入れたこともある。また、ある時には新党が、その時代の国家主義、国粋主義と結びついた。七世紀に神道は朝廷の古代国家形成を目指す中央集権化の動きに利用された。そして儒教の倫理を借りて天皇支配を正当化する形の浸透が作られた。<古事記>や<日本書紀>はこの時代の神道思想によって書かれている。ついで平安時代以後に仏教と結びついた両部神道や本地垂迹神道が作られ江戸時代に朱子学思想を借りた儒家神道が作られた。古語の神道思想は極めて複雑な姿をとっている。室町時代の吉田神道は、儒教(朱子学などの新しい学説)、仏教、銅鏡などの思想が混在したものであり、国学者の本居宣長や平田篤胤(平田篤胤の復古神道にキリスト教的要素も見られる。)が古代国家形成期の古事記や日本書紀の記事を日本古来の進行を伝えるものとしたため。国学の明治維新の王政復古子思想的根拠とされた。そして、古代の神道政治をまねた国家神道が作られた。この国家神道が戦前、軍国主義の根拠とされたが、国学も国家神道も神道の本質を的確に伝えるものではなかった。ゆえに終戦後、国家神道は行われなくなる。しかし戦後にアメリカ流の民主主義を身に着け始めた日本人が、新党はぐんこくしゅぎをつくりこくみんにおおきなくるしみをもたらしたとかんがえ、かみのまつりをひていしたわけではない。はんたいにおおくのひとびとがしゅう戦後の貧しさの中で神社にお参りをして、<食べ物に事欠かない豊かな生活ができますようにと祈った。そして、戦後の復興を経た後も、一部の西洋の習俗や科学的思考を取り入れつつ、神道は絶えず発展を続けている。