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エリザベス洋装店のブログ

神武天皇はアマテラスを祀らなかった?

熊野に上陸した神武天皇とその一行は、アマテラスの助けで得た霊剣やアマテラスから使わせられた八咫烏(やたのからす)の導きによって吉野へ進軍する。そして丹生の川上に至るといつへ(神酒などを入れる神聖なツボ)を作って<天神地祇>をまつり、いつへを川に沈める。続けて諸神を祀り、<今、タカミムスヒに対して、私が自ら顕齋(うつしいわい)を行いたい>と述べる。<顕齋>とは、目に見えない神霊を見えるように齋(いつ)き祀ることで、この場合は、神武がタカムスヒの降霊を乞い、自身に神霊を依りつかせることとみられる。つまり神武はタカムスヒの神霊と一体化しようとしたのである。大和の平定を終えた神武は畝傍(うねび)の橿原宮(かしはらのみや)で即位して初代天皇となる。そして三年後、天下を統治できるのは<皇祖の霊>(みおやのみたま)に助けてもらったおかげと述べて、鳥見山(とみのやま)に齋場を設け、<皇祖天神>(みおやのあまつかみ)を祀った。ここで神武天皇が鳥見山で祀った<(皇祖である)天神<とは、タカミムスヒ、アマテラスとも含めた。高天原の神々の総称と解釈することもできるが、この祭祀自体は、古代中国で天子が郊外で天を祀るために行った祭祀<郊祀>(こうし)が意識されていたとみることもできる。しかし、いずれにしても、ここにアマテラスの名は出てこない。丹生の川上や、鳥見山の祭祀は、日本の国家建設と祭政一致の原点に位置付けられているが、このような重要な場面で、皇祖神としてアマテラスの名が特に言及されていないことは、後世の人間から見ると不可欠に映る。もちろん神武天皇は神話的な存在で、神武東征がすべて史実とは考えにくいが、少なくとも古代の宮廷において、タカミムスヒが天皇家の強力な守護神として意識されていたことは間違いないだろう。また、神武天皇は丹生の川上で<天神地祇>すなわちあらゆる神々をまつったと<日本書紀>は強調するが、現実には天皇(大王)といえども、ほかの氏族の神の祭祀に関与することはタブーだったはずである。だからこそ、タカミムスヒよりも普遍的な神格を持つ太陽神(天照神)が多数の氏族を統合するものとして浮上し、<皇祖神アマテラス>という女神が形成されていったのではないだろうか。