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エリザベス洋装店のブログ

三島由紀夫のねじれた生い立ちbyジェニフェールルシェール6。

梓は生まれながらの官吏で、銀縁の丸眼鏡の奥から冷徹なまなざしで世間を眺めていた。帝大法科の学位を持ち、三島が生まれる頃までには農林省水産局の局長代理になる。国のために働くことは、この上ない名誉とされ、収入はまずまずだったが、父親の負債を清算したり、母親の浪費を賄ったりできるほどではない。平岡家は山の手の住宅地にある二階建ての貸家で、下男一人と6人もの女中を使っていた。これは景気の良かった大正10年ごろでも常識はずれの寿公人の数ではあるが、梓は社会的成功を目に見える形で示すこの費用を削ろうとはしなかった。裕福なブルジョアとしての体面を保つことに固執していたのだ。そして同じように冷静に計算したうえで見合い結婚をする。大正13年【1924年】、梓は30歳で身を固める。相手は10歳離れた橋倭文重(しずえ)という開成中学校校長の娘、何代も続いた教育者、儒学者の家柄だった。この物静かな娘は平岡家の内情を何一つ知らないまま嫁いできた。のっけから夏子は嫁を新たなうっぷん晴らしの相手とする。昼夜を問わず無理難題を押し付け、女中扱いする。そうかと思えばまったく口も利かない。それまで書物を共に愛情に包まれて育ってきた箱入り娘の倭文重(しずえ)は、できるだけ二階の自分の部屋に閉じこもり、本を読んで過ごすのだった。大正14年【1925年】、1月14日、倭文重が最初の子を産んだのも、書物に囲まれた孤独なこの部屋である。