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エリザベス洋装店のブログ

三島由紀夫のねじれた生い立ちbyジェニファールシェール8.

倭文重(しずえ)は公威の三年後に、妹の美津子を生む。そのさらに2年後には弟の千之(ちゆき)。この2人は幸いにも母親のもとで育てられた。夏子は公威にかかりきりで、弟妹には何の興味も示さなかったのである。公威は異常なまでに外界から隔離されて育てられていた。三歳になっても、よほど天気の良い日でないと、外出は許されない。5歳になると、陽気のいい春の日には倭文重(しずえ)と二人で出かけられるようになるが、外に出る前には祖母によって、まるで吹雪の中を出ていくかのようにしっかりと着込まされる。当然のように、男の子たちと遊ぶのは禁じられていた。男の子の遊びは危険だというのだ。夏子は代わりに近所の女の子のうちから遊び相手を2,3人えらんだ。公威はしんと静まり返った薄暗い部屋で祖母に見張られながら、その子達と人形や折り紙で遊ぶことしかできなかった。ちょっとした物音でも祖母の神経痛に響くというので玩具は女の子向けの動くことも音を出すこともないのに限られていた。公威はおとなしく遊びながら、半ば閉ざした障子の向こうに聞こえる男の子たちの喚声を耳にして、その子達が手にしている鉄砲や車に思いをはせるのだった。そのような不自然な育ち方を案じた倭文重(しずえ)は、ある晴れた日、義母が寝ている間に公威をこっそり外へ連れ出そうとしたことがある。しかし、夏子はとたんに目を覚まして、飛び起き、子供を取り上げ、病床の間をぴったりと閉ざしてしまった。倭文重(しずえ)はその場に茫然と立ちすくむ。実の母であるのに、わが子に対しては女中並みの力しか持っていないのだ。倭文重(しずえ)は頼るものもなく、友人もなく、心のたけを打ち明ける相手もなく、鬱屈とした思いをため込むばかりだった。少しでも口答えしようものなら、どんなひどい仕打ちをされるかわからない。夏子は何か月にもわたって、息子とのあらゆる接触を禁じるかもしれない。ただでさえわずかの時間しかわが子と過ごせないのに、すべてを失うことになるのは耐えられなかった。梓といえば、公威の父親であるよりも、まず夏子の一人息子であった。時には子供を外に出させてやるように母親に持ちかけることもあったが、拒絶されればそれ以上は何も言えない。母がそうするには理由があるのだ、と結論付け、妻の不満には耳を貸さなかった。倭文重(シズエ)は何も言わぬまま、夫に恨みを募らせていた。