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エリザベス洋装店のブログ

始皇帝の末裔を名乗る秦氏が創建した松尾大社

京都西北の松尾山は、有史以前から磐座(いわくら)信仰の対象となった聖地と考えられていて、大宝元年(701)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が山麓に社殿を立て、山神オオヤマクイを祀ったのが松尾大社の創建とされる。同社は皇城鎮護の神(京都の町と御所を守る神)として平安京遷都のころから皇室の崇敬を集め、また民間では酒造、醸造の守り神として、現在も日本中の酒造組合。味噌や醤油のメーカーから熱く信仰されている。同社を創建し、その後長く神職として仕えてきた秦氏は、秦の始皇帝の末裔を自称する渡来系氏族である。松尾大社が酒の神とされるのも、秦氏が酒造りを得意としたためだ。醸造技術は当時の最先端テクノロジーであり、秦氏は大陸から日本に酒造や養蚕、機織りなど多くの技術、知識を伝える役割を果たした。<日本書紀>には15代応神天皇の代に弓月君(ゆみつきのきみ)が一族の大集団を率いて百済から渡来したという記述があり、この子孫が秦氏だとされる。一族で最も有名なのは聖徳太子の側近的な立場で活躍した秦河勝である。河勝と聖徳太子の出会いは推古天皇11年(636)のことで、聖徳太子が入手した仏像を河勝から貰い受け、蜂岡寺を建立して安置したことから交流が始まったといわれる。物部守屋と蘇我馬子の戦乱では聖徳太子に従って蘇我氏側として参戦し、河勝が守屋を討ったとも伝えられる。河勝が仏像を祀った蜂岡寺は、現在の太秦(うずまさ)広隆寺のことで、太秦という地名もここを拠点に繁栄した秦氏に由来する。技術力にたけた秦氏はやがて財力も蓄え、政治、経済面での存在感を強めた。都が大和(平城京)から山城(平安京)へと移った背景には秦氏の影響があったという説もある。また松尾大社ではオオヤマクイとともにアマテラスの娘イチキシマヒメも祭神とされるが、これも渡来系の秦氏が洋上での安全を願って航海の守護神である女神を祀ったものと考えられている。