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エリザベス洋装店のブログ

転法輪の岩屋でオーラを見たいpart2

泰澄大師は世のため他の民のためにただ十一面観音を日本中にひろめただけでなく、白州正子いわく<日本の文化の原点だ>と言わしめたのがけっして大げさではないくらい、とても重要で大事なことだと思えるのは、彼にはおおらかさと、したたかさと、我慢ずよさを感じる。それはすなわち福井県人の性格そのものじゃないでしょうか。でも最近みんな元気がないね。がんばりましょう。

転法輪の岩屋でオーラをみたいpart1

オーラとは、ラテン語で<そよかぜ><かおり><発散分>という意味もあるが、ここでは<霊気>という意味でちょっと一言。通常では触ってもわからず、見ても見えず肉体を取り巻く放散物で、特殊な色をつけためがねをかければ、多くの人に見ることができる。オーラは肉体から全方向に放散し、その広がり方と輝きは本人の健康や活力によって異なる。赤はエネルギーと意志、オレンジは感情、黄は知性と知恵、緑は協調性と安定性、青は堅実性、藍は向上性、紫は霊性を示すといわれる。ハワイ島の火山の風穴にはいると、誰でも指先からオーラが出ているのが見えるらしい。この世の景色ではないといわれた火山の山、白山の風穴(転法輪の岩屋)も入ると体全体からオーラを発するのが見えるのだろうか。千手観音の様に、聖者は芳香をともない、この世のものではない美しさを伴っている。泰澄大師も子供のころからもうすでに頭の上に、金色の後輪が携わっていたという得の深さからすると、彼にはすでにオーラがあったとしか言いようがない。

足羽山は金山だったpart4

しかも光明皇后の興福寺の国宝<砂金一包>は奥州産ではなくてどうやら足羽地区産の砂金に形状、色艶がぴったり。その後、安部清明がしばらくここに住み<日本に6箇所しかない清明神社が近くにある。>、その後ここは、899年菅原道真公の荘園となり、1339年足利尊氏公の帰依をうけ、ここを持宝院と称するようになった。しかも江戸、目黒の八百屋お七の情夫<吉三郎>が全国行脚のたびに出たとき、三国の竜谷寺で得度し、当院で4年修行した時の供養塔がある。とにかくここには何かがある。地質図で見ると、美山の赤谷から文殊山、そして三十八社まで地下に水銀鉱脈がとうっているし、杉谷から八幡山、そして足羽山まで金の鉱脈が通じていたとなるとますます福井が面白くなってくる。

足羽山は金山だったpart3

藤島神社の後ろ側は、松尾山といい、越前国司の藤原仲麻呂<えみの押勝>が220万坪を寄進し、泰澄の力を借りて伽藍を建立した。仲麻呂の子孫の橘曙覧の先祖が観音様を信仰し、現在のお不動さんのあたりに五重塔とゴマ堂を作った。その五重塔の三重目に子孫繁栄の宝を置き与えるから早く取りに来いというお告げが橘かんのんのはじまりだときく。そのお寺が立てられた時期といきさつが実に金くさいのだ。水子供養のお堂の後ろ側の斜めに切り取られた山の斜面が空中<虚空>に光明を放ち、砂石運搬の道を照らしたので宝光寺と称す。しかもその年はおりしも奥州で天下を揺るがす大量の砂金が発見され、大半が聖武天皇の大仏建立に使われ、越前からは砂鉄が大量に送られている。<砂金が取れる足羽川の砂からびっくりするくらいの砂鉄が取れる。>それがきっかけで年号に宝という字がつけられた。





松坂慶子にナンパされそうになった

38年前、東京で、季節は今ちょうどツバメ飛び交う初夏のころ、両親が上京するというので新幹線のホームで待っていたところ、麦藁帽子に軽やかな小花模様のワンピースを着た素敵な女性と目があって声をかけられました。岡崎由紀の<ママはライバル>か<奥様は16歳>とかいうTVドラマに意地悪なバスガイド役で出演していた松坂慶子という新人の芸能界の人で前からとても気になっていた人だったので、<東京ってなんてすごいところなんだ。しかも好きな人から声をかけられるなんて>心はどきどき。プラットホームの長いすに座ると、彼女はすぐ隣に座り体と体の距離はわずか15センチ未満、彼女の息ずかいが耳に入ってくる。今から伊豆へいこうとおもうのですけど、よかったら二人で行きませんか。あまりにも自然な雰囲気だったので、もしそういわれたら<はい>、と一言。でも聞かれたのは<今何時ですか>と、どきどきしていたので返事ができず、時間を見せて彼女はしばらくして離れていきました。僕に少しの勇気と大胆さがあったなら、今頃人生変わっていたかもしれません。人生何が起こるかわかりません。今でもげげげのきたろう見る度にどきどきするのはなぜでしょう。