メソポタミア文明を起こした少彦名神vol,3
宮中掌典<しょうてん>にして著名な神道学者、宮地直一、および神仙界に出入りしたといわれる宮地水位を親地厳夫<いづお>は少彦名神が、メソポタミアにも顕現したと述べている。宮地は古代オリエント文明の発祥地として史学に定説のあるメソポタミア<ペルシャ湾に面したチグリス、ユーフラテス両側の間の池>に伝承されるカルデア神話が、仏教やキリスト教の思想と深い関係にある、日本神話とも著しい類似点があることを指摘している。さらに宮地は論をすすめ、カルデア神話の伝承地たるメソポタミアという地名は少彦名神の転化したものだともいう。同じく神道の大家である、天行居創立者、友清歓真<よしさね>も次のように帰している。元来、少彦名神は席暖まるまもなく、世界各地を殉教せられたものであるが、主として活動せられたのは、海外においてはメソポタミア地方であると思われる。エジプト文明もギリシャぶんめいも、このメソポタミアあたりから流れ込んだ形跡は蔽うことはできない。仙法道術や禅術なども、またはいろいろの占ボク法や医術のごときも、たいていこのあたりから流れ散っている。そして少彦名神のメソポタミア付近で活動せられた年代は余はいろいろの事情から算出して今より約8,000年から10,000年前であると推断することができる。友清は少彦名神がメソポタミア地方において活動したことを述べ、少彦名神がいったん外国から帰ってきて大国主神と会見したのは、約8,000年ばかりも前ではないかとまで推論している。まさに神々は世界において雄飛し、その文明の発展に大きな力を振るっていたわけであり、とりわけ少彦名神のその働きは大きいといわざるを得ないわけだ。