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皇女和宮 vol,2 2011/11/30
<天下泰平のため、まことにいやいやの事、余儀なくお受け申し上げ候事に負わしまし候、、、>としたためた天皇への手紙には、はるかかなたの江戸住まいになっても、兄妹の縁は切らずに何かと頼りの御杖になってほしいとの哀願がこめられていた。8月15日、和宮の降嫁が正式に決まると、天皇は6つの条件をつけ、和宮は5つの条件をつけた。6つの条件の一番最後には、和宮のいいなずけとして10年ばかり慣れ親しんだ有栖川宮の処遇のことが上げられ、和宮に変わる花嫁選びと、宮家の財政の補助を打ち出している。ちなみに婚約の解消は、<和宮を迎えるには官邸が手狭なので、婚礼を延期していただきたい>という宮家の表向きの願いによるものとされた。和宮と有栖川宮たるひと親王が婚約したとき、和宮は6歳、有栖川宮は17歳だった。和宮は在世中に、1700余首の歌を残したといわれるが、書や和歌の先生が実はこの有栖川宮たるひとの父だったのである。小柄だが、しっかりした気性の和宮は<神皇正統記>(じんのうしょうとうき)や<保建丈記>というむずかしいものから<源氏物語>や<今鏡><新古今>までを読みこなすという才女でもあり、華道、茶道にも長じていた。<神皇正統記>などを読みこなすほどだから、和宮は自分の結婚が公武合体という大役を帯びていることは、重々招致していたはずである。だがさすがに都落ちはつらかったらしい。文久元年<1861>10月20日桂御所をしゅっぱつした輿が美濃路に差し掛かったとき、落ちていく、身と知りながら紅葉ばのひとなつかしく焦がれこそすれという歌を詠んでいる。ところが翌年の2月11日婚礼の式を終えてみると夫徳川家茂<慶福>とは中むつまじい夫婦になった。二人とも同じ数えの17歳、家茂が、吹上の庭で乗馬の稽古をすれば、和宮はその姿を見に行き、帰りには家茂が庭に咲いた石竹の花をお土産に差し出す。そしてその夜は、お泊りになるという日々だったらしい。また金魚など珍しいものが手に入ったといっては見せ、和宮の和歌のお返しに、別項のかんざしを持ってくるといった結婚生活だった。

by 6014D | 2011-11-30 17:05 | コメント(0) | 未分類


皇女和宮 vol,1 2011/11/29
<公武合体のために和宮の降嫁を>との幕府の申し入れがあったとき、和宮はまだ15歳だった。孝明天皇は和宮には自分の妹ではあっても母が違うため義理があること。また和宮は異人が大勢いる関東を怖がっていることー以上三つの理由を挙げて断った。嘉永6ねん<1853>のペリー浦賀来航に続いてロシア船も長崎に現れ開国を求めた。幕府が拒絶すると、軍艦を率いてやってきて強力に開国を迫った。時の13代将軍家定は、正座することも、はっきりものを言うこともままならない無能将軍だったから、将軍跡継ぎ問題も絡まりあって政争の嵐が吹き荒れた。朝廷側は攘夷路線を一歩も譲らず、跡継ぎには幕府の改革を目指して、実力のある一橋慶喜<よしのぶ>を推した。これに対して大老井伊直弼を中心とする幕府は、外国の武力に屈して属国となるよりは通商条約を結んで開国すべきであると主張し、14代将軍には、紀州家の徳川慶福<よしとみ>を推した。対立する朝廷と幕府。安政の大獄という厳しい弾圧を行いながらも、その和解策として井伊大老の唱えたのが公武合体論であり、和宮の降嫁であった。万延元年<1860>3月3日、井伊大老は桜田門外に打たれたが、結局和宮の降嫁は決まった。最初反対していた孝明天皇も、籠臣岩倉具視らの意見に押され、先に結んだ通商条約をはきし、鎖国攘夷を実行すれば、和宮をやろうと条件をつけた。もちろん幕府は承知した。ただ当の和宮と母の観行院<かんぎょういん>、伯父の橋本実麗<さねあきら>は反対した。すると、観行院と伯父が捕らえられ、罰せられるといううわさが流れ、<いやです。たとえ尼になろうとも、関東へは参りません。>といっていた和宮も、とうとう仕方なく受け入れる敗目になった。

by 6014D | 2011-11-29 16:10 | コメント(0) | 未分類


ゾロアスター教の至高神アフラマズダーがもたらす地上の富と幸福 2011/11/27
ゾロアスター教は今から3000年以上前、現在のイランで開祖ゾロアスターが開いた世界最古の創唱宗教である。光の至高神アフラ、マズダーを拝み、諸説あるが、現在世界に12万人ほどの信者がいるとされる。ユダヤ、キリスト教は言うに及ばず、仏教にも大きな影響を及ぼしているという。<ファローファル>と<アフリガン>と呼ばれる聖具がある。ファローファルはゾロアスター教のシンボルで、アフラ,マズダーの象徴とされる。一方アフりガンは神の力を表す浄化をかたどった象徴物である。これを東の方向の壁にかける。もしそれが無理なら西でもいいという。つまり太陽を配する方向にかけるのだ。というのは、太陽はアフラマズダーそのものだからである。ただしファローファルとアフりガンは、一般的な<聖像>とは意味が違います。アフラマズダーは本来目に見えない存在です。ですからこの二つは、あくまでも神を拝むためのいわば装置なのです。とはいえ、ファローファルとアフリガンは、アフラマズダーと自身を結びつける重要な聖具である。この聖具をとうして、聖具の向こうにいる大いなる神を日々拝む。そうすることでどんな願いも必ず成就するというのである。>たとえば、お金がほしいと祈ったとします。すると、必ずかなう。どんな願いでも、アフラマズダーにできないことはありません。その好例が、パルシーというインドの富裕層の成功です。しかしただ拝めばいいというものではないという。<ゾロアスター教のきほんは(善思、善語、善行)です。これを心底にすえることが肝要です。><善思>とは物事をよこしまに捉えないこと、<善語>とは人も自身も傷つけないことばを語ること、<善行>は人も自身も害しない行動をとることをいう。<つまり世の中をよくしようという思いをもって日々行動すること。それがアフラマズダーの意向です。この意に沿わないものには、どんなに拝んでも神は得をもたらしません。><たとえば、マズ神に自分の生活の安定を図るために、富の習得を願います。その富が得られたら、それを他人の幸福のために使う。そうすることで、こんどはさいしょにえられた富の何倍もの富が入ってくるのです。この繰り返しで、気がつけば巨万の富を得ていたり、社会的な成功を収めていたりします。いわば<善の循環>が起こるのです。もし地上の幸福を真剣に望むものがいたなら、ファローファルとアフリガンを通し、光の至高神にして、智慧をあがめる神アフラマズダーを拝むことで起こる善の循環をもたらす、大きなきっかけになる聖なる装置なのです。

by 6014D | 2011-11-27 09:33 | コメント(0) | 未分類


宇宙と一体になるby瀬戸内寂静vol.2 2011/11/27
このごろはインターーネットが大流行です。インターネットを使えば、世界中のどんな人にでも電子メールで連絡を取ることができる。なぜそんなことができるか、その仕組みは機械音痴の私にはわからないけれどもずいぶん便利なものができたものです。しかし電子メールで、アメリカの知り合いに連絡をとろうと思っても、肝心のコンピューターがなければ話になりません。電子メールを送るにはコンピューターを用意して、それようのソフトを買って、インターネットにつながなければならないというわけです。確かに電子メールは便利そうだけれども、それなりに手続きが必要なのです。観音様にお願いをするのも、それと似ています。観音様に<お助けください>というメッセージを送るには、条件がある。私たちの声が観音様に伝わるには、まず心を無にしなければなりません。疑いや理屈を捨てて心のそこからお願いする。そうすると私たちの心と観音様の間のチャンネルがつながって、願いが届く。心を無にすると、私たちはこの大宇宙と一体になることができます。普段の私たちは大宇宙の中で、一人ぼっちで生きてます。宇宙とつながっていない。でも心をむにしてじぶんをすて去ると、大宇宙につながることができるのです。そのとき、観音様に呼びかけると、その声は距離や場所とは関係なく、すぐに観音様に届くというわけです。<南無観世音菩薩>の南無とは、<あなたにおまかせします><身も心もゆだねます>という意味です。心を無にして観音様にすべてをお任せしますという心構えが必要です。

by 6014D | 2011-11-27 09:22 | コメント(0) | 未分類


宇宙と一体になる by 瀬戸内寂静 vol,1 2011/11/25
人生はいくら計画を立てて、間違いのないように努力していてもおもいどうりにならないときがあります。どんなに一生懸命尽くしても、相手に心が通じないときがあります。自分ひとりの努力ではどうにもならないことが、世の中にはたくさんある。でもだからといって絶望してはいけない。あきらめてはいけない。<どうかお助けください。力をお貸しください。>と観音様にお祈りしなさいというのが仏教の教えなんです、。観音さまは現世の私たちを救ってくださる仏様です。<商売が繁盛するように><彼がこっちを向いてくれますように><病気が治りますように>というこの世の幸せは観音様にお願いする。この世、つまり現世を住居としておられる仏様は釈迦如来とこの観世音菩薩だけです。死んだ跡のこと、つまり彼岸では阿弥陀様が守ってくださいます。だから天台宗では朝は南無観世音菩薩、夕方は南無阿弥陀仏とお祈りします。観音様の正式なお名前は観世音菩薩です。ですから観音様にお祈りする場合には南無観世音菩薩といいます。観世音菩薩という名前は観音様のなまえをとなえたらただちにききつけて下さるということから来ています。観音とは<音を観る、つまり私たちの願いを聞きとどけて下さるといった意味です。観音様は世界中のありとあらゆるところの音を聞いておられる。そして、どんな山奥でも砂漠の中でも私たちが<南無観世音、どうかお助けくださいとお祈りすると、ちゃんときき届けてくださるのです。でもそこには条件があります。<本当かなあ>と心の中で疑いながら、南無観世音といってもだめです。そこでは観音様には聞こえない。またいい加減に南無観世音とお願いしてもいけません。朝、歯を磨きながら、もごもごお祈りするなんて、問題外。<一身に観音様のお名前を唱えなさい>と<観音経>は記しています。これを<一心称名>ということもあります。心のそこから真心でお願いしなさいというわけですね。

by 6014D | 2011-11-25 17:45 | コメント(0) | 未分類



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