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エリザベス洋装店のブログ

泰澄の三鈷

養老元年(717)から同三年にかけて、泰澄は一千日の間、ただ一人難行苦行を修する。僅かに臥行者と浄定行者のみが片時も離れずに泰澄のお供をしていた。同四年以降は、多くの行人が白山に上り、精進潔斎する場として他所をしのぐほど白山が栄えた。そして同六年、泰澄が41歳の年に、時の元正天皇が病気になった二ヶ月の間に、その呪力が優れ効験が新たかといわれる行者が召されて参内したが、効果なく、天皇は相変わらず、病に伏したままの状態であった。このとき天皇は、<私が聞くところでは、越の大徳、泰澄の神験がきわめて優れているということだ。>といわれた。そこで勅宣によって泰澄が参内することとなったが、雑務を担う弟子として、浄定行者が一人泰澄に随行した。泰澄は、その日の申の刻(午後4時ころ)に及んで、浄定に<私の三鈷が白山の峰の室にある。とってきてほしい。>といった。浄定はすぐ白山に向かい、その日の戌の刻(午後8時ころ)には戻って三鈷を泰澄に渡したため、雲上宮中の三公、九卿を始め上下の緒人は、かくかく額をあわせておおなんということだ。泰澄は参内したその日のうちに、三鈷を鳥に生かせた。これは本当に常人の考え及ぶところではない。ところが浄定はすぐに三個を持って帰ってきた。まさに神力の不思議なることよ。>などとささやいた。

両面宿難(両面のすくな)と泰澄大師

岐阜の飛騨高山にある千光寺については<飛州志>に袈裟山千光密寺のころに、草創期や、開基、来歴などについて詳しく記されていて、千光寺の草創期は、仁徳天皇(五世紀初頭)の時代に飛騨国にいた<ひとつの身体に二つの顔と四本の手足を持った>スクネ<両面のスクネ>によって開かれたとされています。<胴体がひとつに二つの顔を持ち力が強くて鋭敏に行動し、左右の手に剣を持ち、四つの手に弓矢を操り、これらの武器で朝廷の命令には従わず、人民を苦しめた反逆者がいたので、武振熊という武将を派遣してこれをなくしたというものです。日本書紀では大和朝廷に反逆した武人としているのに対して、千光寺の伝承では,救世観音の生まれ変わりの功徳天とし、千光寺の開創者と伝えています。千光寺の丹生川町から南へおよそ50キロ離れた下呂市金山町の鎮守山にもスクネの伝説があり、<出波の平の岩窟から両面四ぴの奇人が現れて、雲の中を飛行し、金山の小山が正常の山であるといって大陀羅尼を37日間唱え、津保高沢山へ飛行したので、この山を鎮守山と呼びお堂を建てて観音を祀った。日竜峯寺にも<山上にすむ竜をスクネが退治して寺を開いたとする伝承があります。さらにこの千光寺と水無神社の開基は白山信仰の開祖の泰澄大師になっている。平城天皇(806~8)の第三皇子、真如親王が、弘法大師の弟子になり諸国行脚の途中、当山に登り、時の天皇,仁明天皇(833~49)に、ここに安置されていた千手観音と法華経に観音の霊夢を感じたことを奏上し,ここの位山というのを、袈裟山とし、それ以来ここ千光寺は天皇の勅願所となり、ここは一大山岳寺院であったそうなのです。大和朝廷側から見た逆賊ではなく、奈良時代から飛騨に連綿と続いている仙人、飛騨匠の象徴としてスクネの本質を見抜いていたと思われます。そして位山にもスクネが天船(UFO?)に載って天下ったという伝説があり、この位山、三山山頂には古代のピラミッド、そして祟教真光の奥の院があり、そしてここにも泰澄大師が深いかかわりがあるのは泰澄が開基した水無神社に彼が作った仏像が祭られている。

出雲国風土記に出てくる植物2.

細辛<ミラノ根草>(うすばさいしん)ー解熱、風、頭痛。商陸<いすおぎ>(やまごぼう)-解熱、水腫、脚気。<さわそらし>(かさもち)=頭痛、風、皮膚病。去参<おしくさ>(ゴマノハグサ)-解熱、消炎。五味子<さねかずら>(さねかずら、ちょうせんごみん)-鎮咳、強壮。<ひいらぎ>(こがねやなぎ)-下痢止め、解熱。葛根<くずのき>(ぼたん)ー発汗、解熱、婦人病。牡丹<ふたみぐさ>(ぼたん)ー鎮病、腰痛、関節炎。わらびー解熱、脱肝、利尿。薇獄<蕨>(ぜんまい)-食用。狼毒<やまくさ>(やまごぼう)-不明。<につつじ>(みやましきみ)=寄生虫駆除。狼牙<こまつなぎ>(こまつなぎ、源そう)-不明。離留<ねあざみ>(棕櫚層)-疥癬、しらみ退治。吾茹<むこぎ>(ウコギ)-腹痛、神経衰弱。白前<のかがみ>(なばらそう)ー解熱、利尿。決明(目)<えびすぐさ>(えびすぐさ、ろっかくそう)ー眼病、解熱、強壮。巻柏<いわくみ>(いわひば、いわまつ)ー不老長寿。貝母<ははくり>(あみがさゆり、ばいも)ー鎮咳。<おはぎ>(嫁菜?)-不明。藤<ふじ>(のだふじ)結束用。李(李)食用。漆<漆>-殺虫剤、塗料。檜<ひのき>建築材。杉(椙)=建築材。<なるはじかみ>(さんしょう)-解毒、回虫駆除。赤桐<あかぎり>(あぶらぎり)-あぶらのげんりょう、白桐<あおぎり>(きり)ー家具調度剤.楠<くすのき>-殺虫剤、船材建築材。椎<しい>(つぶらじい)食用。椿<つばき>油の原料。楊梅<やまもも>-食用、下剤止め。松<まつ>-建築材、食用。栢<かや>除虫剤。<きはだ>ー染料,消炎、殺菌。槻<つき>(けやき)-建築材。拓<つみ>(やまぐわ)(のくわ)ー蚕の飼料。楮<こうぞ>-紙、木綿の原料。樫<かし>-器具材。梅<梅>食用。器具材。楡<こし>-建築材、利尿。楊<やなぎ>-器具材、薪炭。栗<くり>-食用、建築材。木楽<なら>(くぬぎ)-薪炭、染料、薬用。

鎮魂(たましずめ)祭

冬の数ある祭祀の中で、最も重要なもののひとつが収穫祭である。収穫祭はそもそもは大嘗祭と呼ばれ、民間の儀礼であったと考えられるが、宮廷に取り入られてしだいに年中行事化していった。さらに大嘗祭は、天武、持統朝のころに毎年行われるものを新嘗祭と呼び、天皇の即位後、初めて行われる一世一度のものを得に大嘗祭といって区別するようになった。これ以後、大嘗祭は即位儀礼のひとつとなり現在に至っている。宮廷祭祀としての新嘗祭は、現在は11月23日に行われるが、これは明治以降のことであり、もともとは11月の下の卯、もしくは中の卯の日と翌辰の日に行われた。その前日には鎮魂(たましずめ)祭りがあった。鎮魂祭は<たましずめ>という名称からは身体から遊離した魂を体内に鎮めるということになるが、この祭りの本質はタマフリにあり、魂を奮い立たせるというものである。新嘗祭の前日に鎮魂祭がなされるのは、この時期が太陽の最も弱まる冬至に近く、太陽神であるアマテラスを外する天皇の力も弱まると考えられるため、天皇の魂の活力を復活させようとするためといわれている。新嘗祭の当日、天皇は沐浴斎戒の後,神嘉殿においてアマテラスをはじめとする神々と新穀を相嘗(あいなめ)する祭儀を深夜に二度繰り返す。そして翌日は新嘗祭(豊明の節会)が豊楽院において天皇出御のもとでおこなわれるのです。

盟神探湯(くかだち)

日本の古代の裁判方というと、まず思いつくのが、盟神探湯(くかだち)である。文字道り、神に誓って湯の中を探るという、現代の私たちにはちょっと想像を絶する裁判法である。具体的にはかめの中に熱湯を入れ、そのなかにあらそうものたちのてをいれさせたり、熱湯の中に小石や土器片を沈めてこれをとらせたりする。そして手の焼けただれが少ないほうが正しいと判定するのである。盟神探湯(くかだち)の背景には正しいものには神のご加護があり手がただれることはないという呪術的な発想がある。<隋書>倭国伝には早くも盟神探湯(くかだち)の記載が見られるし、<日本書紀>にも応神天皇のこととして、竹内宿禰とその弟の甘美内宿禰との間の盟神探湯(くかだち)が見られるほか、裁判法と指摘されている。盟神探湯(くかだち)が実際に行われていたか否かについて意見が分かれるところである。不正をなしたものへの心理的恐怖を与える手段とも言われるが、現代でも中国雲南省にはこうした裁判法があるともいわれており興味が引かれる。