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三の丸の御座所by松平春獄公 2012/11/25
私が福井で住んでいたのは、二の丸(実は三の丸)の御座所であった。庭内の西の土手の上に仏殿があった。位牌など実に美麗で寺の本堂の飾りつけと少しも違わない。私は二度三度、参詣したことがある。たいがいは在国中でも参詣することはない。毎日運正寺の末寺、森厳寺が来て読経し、水、そのほかお供え物などもするという。もとより仏殿は奥女中のほうにもあって、日々拝礼するのはこちらの仏殿である。そうであるならば、位牌は運正寺、考顕寺などにあるので、この土手の仏殿は不要である。これは隆徳公が立てられたものであるという。熟考すると、一ツ橋家宗伊郷(覚了院殿)が一ツ橋家に入られた後、土手に仏殿をおつくりになった。最樹公のときに覚了公の位牌を置かれた。この例に倣っておつくりになったのであろう。感服すべきは柴田勝家である。勝家が越前を治めていたころは、真宗の僧侶、または民間などでも刀剣を所有し、武具もあって、絶えず一揆が起こっていた。それで勝家は僧侶民間の刀剣武具を取り上げ、その金具で鉄の鎖を作り舟を浦々から出させて北川にかけて、この鉄の鎖をここに用いたという。勝家の功によって一揆騒動などのことはなくなったという。

by 6014D | 2012-11-25 09:31 | コメント(0) | 未分類


真雪草紙(みゆきぞうし)by松平春獄公 2012/11/25
国家のために尽くしたものは、福井人には多い。その最も魁となったことを語ろう。勤王の尽力の遠因というのは、ある年に尚平(橘尚平(たちばなのなおひら)=八木静修(しずさね)という和歌読みが福井にやってきた。福井人の詠む歌を見て、これは二条家と冷泉家流とやらで、本当の歌ではない。真の歌というのは、古今集をまず読むのがよろしい。万葉集などが真の歌である。これを古体という。この古体を読むのがもっともよろしいと教えられた。誰もが感心して、この古代を学んだものは渥美新右衛門友高(友鷹)と、中根雪江らであった。それゆえ和歌の道が開けたのはこの両人を魁とする。それから橘曙覧らも雪江の奨励で古学を学んだ。田中大秀の門人となった。曙覧の功も非常に大きい。それゆえ、和歌の道で功労が会ったものは、渥美新右衛門、中根雪江、橘曙覧である。平本平学もう他を詠んだが、なかなか巨魁とはいいがたい。平学は雪江の弟である。雪江はこの古体の歌を詠むよりも、志を立てて、江戸詰めの間、平田篤胤の門の入って古学を学んだ。これら、勤王の志を立てた。福井で勤王の志を立てたもの、また勤王の運動が起こったのはほかにはない。中根雪江一人である。勤王に功労があったのは、この人以外にはいなかった。

by 6014D | 2012-11-25 09:26 | コメント(0) | 未分類


青森県とヘブライのつながり 2012/11/23
たとえば言葉の発音だ。地名の<へらい>は<ヘブライ>(古代ユダヤ)に通じる。またこの地方ではかって父親をアヤ、アダ、ダダ、母親をアバ、アパ、エバと呼んだが、これはアダムとイブを連想させないだろうか。また子供が生まれると、額に墨で十字を書き入れるなど、十字が魔よけのシンボルとして使用されてきたという。さらに十来塚を代々守ってきた沢口家には、ソロモンの星に似た五ぼう星の紋章を打ち付けた戸袋が残されている。なお、当地には<ナニヤドヤラ>という盆踊り歌があるが、この盆踊り歌もユダヤを指し示しているという。<ナニヤドヤラ>は戸来村を始め、青森県、岩手県の一部などで、古くから歌われてきたものだが、その由来はわからない。<なにやどやーら、なにやどやーら、なにやどなされーた、なにやどやーら>と単調な貸しを何度も何度も繰り返すものだが、歌う村人にもその歌詞の意味するところは当の昔からわからなくなっている。そのために江戸時代にはミスリット語説が唱えられていたほどである。ところが今から65年ほど前、アメリカのシアトルに住む日本人神学者川守田英二博士が、この歌詞が古代ヘブライ語で解釈できることを発見した。それによると<歌詞の意味は(民の先頭にヤハウエ進みたまえ、、、民の聖名(みな)をほめたたえん>になるという。この解釈は国際的にも注目され、現在では大学でも研究されているという。ユダヤと結びつくこうした数々の証拠があるのは、いったいなぜなのだろうか。それを確かめるためにはユダヤ民族がたどった歴史に目を移して見なければならないだろう。

by 6014D | 2012-11-23 10:04 | コメント(0) | 未分類


青森県戸来村にキリストが住んでいた。 2012/11/23
青森県三戸郡新郷村に十来塚というものがある。キリストの墓といわれているものだ。今からほぼ2000年前に、ゴルゴダの丘で、十字架にかけられて死んだはずのイエスキリストの墓が日本にある!この冗談でも思いつかないような壮大な話をぶち上げたのは茨城県磯原の竹内巨麿という人物であった。もちろん巨麿は、冗談でこんなとっぴもないことを言い出したのではない。根拠があったのだ。その根拠とは、竹内家の代々伝わる古文書であった。巨麿は1935年(昭和10年)8月、青森県の戸来(へらい)村(現三戸郡新郷村)をたずねることになる。わが家に伝わる古文書によって、イエスキリストが戸来にすんでいたことがわかった>巨麿がこういうと村中は騒然となった。当時の村長である佐々木伝次郎も立会い、墓探しが始まる。やがて沢口家の墓地のある小高い笹薮の中に土饅頭を発見。ここがキリストの墓だということになったのである。<処刑されたのは身代わりとなった弟のイスキリで、本人はひそかに日本に逃れて戸来村に住み、108歳の天寿を全うした>子文書には、イエス渡来のいきさつがこのように書かれているという。当たり前だが、イエスキリストが日本に逃れてきたと考える人などいないはずだ。しかし古文書を読み解いたという巨麿の目が、この地域に向かったことは、一種の啓示だったといえるだろう。なぜなら、このちいきには風習などにおいて、数多くの摩訶不思議な匂いが漂っているからである。

by 6014D | 2012-11-23 09:32 | コメント(0) | 未分類


日本民族とユダヤ民族の関係 2012/11/23
ユダヤ民族の聖地エルサレムに、16弁の菊花紋があり、日本の聖地伊勢神宮にダビデの星模様がある。これはいったい何を意味しているのか・?再度言うが、偶然にしてはできすぎている。両者の間に何かの関係があったと見るほうがむしろ納得がいくというものだ。実際、日本民族とユダヤ民族の関係については以前からさまざまな研究がなされてきた。その家庭で、いくつ物興味深い発見がなされている。もっとも、それらの証拠は、荒唐無稽といってしまえばそれまででしかない。だが、それぞれに奇妙な説得力があり、何がしかの真実を伝えているようにも思えるのである。

by 6014D | 2012-11-23 09:24 | コメント(0) | 未分類



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