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エリザベス洋装店のブログ

神 4 BY光海大智

神とはすべての力の源であり、そうした力によってすべての生命体が生命を保つことができているのだ。いわば神が存在しているからこそ生命体が存在できるのだ。あらゆる力の根源が神そのものなのだ。だから神は意思ひとつで大自然の何もかをも自由自在に操ることができるのだ。特に大きければ大きいほど力を強く発揮できるのだ。人類誕生後に誕生した新神のうちの多くは、人間の欲望や願望を基とした想念によって生み出された。また誕生した。神がある特定の人間を注視する場合、空間にテレビの画像に似た空域が現れる。そこにその人間の行動状況がすべて映し出されるのだ。それほど詳細かつ鮮明に見ることができる。神は人間に対してはなにも求めてはいない。ただ自分と同じ魂の持ち主に生育してくれることを楽しみにしている。また約束事を守るのを見守っている。人間の多くが向上した魂の所有者になってくれることで自身達の仲間入りをし、ともに楽しく暮らせる世界を新たに作りたいと思っているだけなのだ、神と人間との隔たりのない関係に人間が成長してほしいと思っているのだ。見たことがないから神など存在しない、架空のもの、想像上のものと思うのは、先祖の姿を見たことがないから先祖は架空の存在というのと一緒の論。祖先の姿をいくら見たいと思っても見ることができないのと同じこと。

神 3、 by 光海大智

なぜ、神は衆生の個々の願いを聞き入れないか、、、といえば、魂の修行の邪魔をすることになるからだ。いわばお金がなくて苦しんでいるのは、そうした苦が修行の一環として与えられているわけで、そこに手を貸し、お金を与え楽にする行為は、修行そのものを妨害することなのだ。だから手助けしないのである。通常神は一人一人の人間の行動を常に眺めるといったことはしていない。まったく見ないといったほうが正しいだろう。ただ必要に応じ、ある人間のことを知ろうと思えば、どのような細かいことであろうと知ることはできる。過去現在未来のすべてを一瞬のうちに眺め、その人間の総合評価をするのだ。人間に罰を与えることも時にはある。厳密に言えば元神と中神が新神達を誕生させた。新神を誕生させるとき意識によって誕生させた。元神と中神と別の新神の差は格下の関係になる。別の神格を持つ神とはならない。各分野をつかさどる役を与えられた新神は、その分野の細部にいたるまで守護するためわが身を分け司るに必要な新神々を新たに誕生させた。そうしたことにより膨大な神数となってしまった。

神 2、by 光海大智

地球誕生以前から存在している神と地球誕生から人類誕生直前までの間に誕生した神と、人類誕生後に新たに誕生した神と、三つの段階の神がいる。地球誕生前から存在する神を元神といい、地球誕生から人類誕生直前までの間に誕生した神を中神という。人類誕生後に誕生した神を新神という。元神は十神、中神は二十六神、新神は約600万神いた。ちなみに昔から<八百万>の神という言葉がある。いわば八百万もの神が存在するという説であるが、実際は約600万ちかい神がいた。約600万の神のうち、役を与えられ、与えられた部署、部署をつかさどる任についている神はごく一部の神に過ぎず、残るほとんどの神たちはただ単に神階の住人としての存在でしかなかった。こうした神たちは不必要な存在と、元神、中神の総意によりそのほとんどが消滅した。新神として誕生した神の中には、歳月の経過とともに、衆生の思いに身をあわせ、その国や地域独特の神となったものもいる。神は衆生の願望や欲望に対する願いを基本として聞き入れることはしない。神に頼めばなんでも願いを聞き入れてもらえる、、、と思うのは大間違いであって、そのほとんどを受け付けることはしない。病気などで苦しんでいたり、生死に関する危機的状況のとき、手を差し伸べる場合があるが、そうしたことですらあまりない。

神 1、by 光海大智

神とは、実体あって実体なし、実体なくして実体あり、、、といった存在。人間と同じような姿で出現するのは仮の姿であって、実際には大きな気と同じなので、形そのものは形成されていない。人間と同じ姿は存在を人間に認識させるためのもので、便宜上の形。神は心が姿、姿が心。神と人間のつながりは心と心のつながり、関係の同じ。表裏一体の関係でもある。人間と同じ姿で出現するのは、人間に対して真実を教えるための仮の姿であって、本当の姿ではない。神が一般的に出現する場合、太陽の光よりもさらに強く輝く光体として出現する。まぶしくて目を開いて見られない。まぶたを閉じてもまぶしさは同じだ。それほど光り輝く存在。神は神格によってすむ世界が異なる。神格が上になればなるほど神の姿は透明度を増す。こうしたことから、中層神界に位置する神であっても上層に位置する神の存在は認識しているが、その姿は見えないという。神は本来の姿のまま出現した場合、人間はただ単に畏怖、畏敬の念しか抱かぬことを知っているために、ごく自然な形で心が通い合える姿となるのだ。

魂 3. by 光海大智

神が人類を創るそのずっと以前より植物も動物もいた。人類を作る前の段階で、それらの動植物の魂を選び人の魂と為す定めは一切なく、白紙であった。定めをしたのは人類を作ってからのこと。それまで存在していた動植物から、人の魂に育て上げるにあいふさわしいものを選び定めとしたのは、定めの後付けなのだ。人の魂にと定めるのは雑草時の段階である。雑草の中から選び出し特別な魂とするのだ。そして修行をさせるのである。樹木や動物の修行段階で消滅することはないのだ、通常の場合樹木は精、動物は霊、死ぬと念となるが人の魂に育て上げるための特別な魂はそれらとまったく異なるので、樹体、または動物体を失っても魂は消滅することなく再度体を得るために、消滅することはないのだ。雑草の段階で選ばれ、樹木から動物に移行している特別な魂はものすごくいる。だからといって、そうした魂のすべてが次々と人の魂に昇格できるかといえばそうではない。修行の過程と格を基に、人の魂と為すか否かを神が決定している。いわば人の魂に昇格するまでの修行過程だが、植物の精として七万年、動物の魂として四万年修行するのだ、植物の精が動物の霊となるための修行を開始するのは五万年を過ぎたころからで、動物が人の魂に成るための修行を始めるのは二万年を過ぎたころからである。今に生きる人たちは、そうした長い長い歳月に渡り修行し続けて昇格となった魂を与えられているのだ。