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エリザベス洋装店のブログ

浮遊霊 1、by 光海大智

人霊の内で最も多くいるのがこの浮遊霊で、次に多いのが迷霊である。霊界においては浮遊場所を溜まり場としている。三途の川から選定場所に向かう途中にその場がある。溜まり場にいるときと、現界に出てきたときとでは意識が異なる。現界にいる浮遊霊は溜まり場から許可なく勝手に出てきている。浮遊霊になってしまう原因は、自分は死んでしまったのだ。霊になっているのだという自覚がまったくないからだ。この世にいる感覚なのだ。そうであるならば、自分のおかれている状況が、この世とまったく異なっていることに対して疑念を抱いてもよいはずなのだが、何も思うこともしなければ、考えることもしないのだ。そうした思考感覚を完全に失い、ただボーっとした状態となっているものが浮遊霊化しているのだ。現界に出現している浮遊霊は、水中や空中を浮かび漂い、当てもなくかなた、こちらとさまよっている場合が多い。またどこにでも下り、気ままについたり離れたり、漂ったりしている。風に吹かれ、ビニール袋が電線に引っかかったのと同じ状態で、だらっと下がっている霊もいる。人やものの区別なく、なんにでも憑依するのだ。そして障りをもたらす。この人間についてみようかな、、、それとも別の人間についてみようかな、、、といった程度の思いで憑依を繰り返すのだ。特別な理由があってその人間に憑依するのではなく、軽い気持ちで単に憑依するのだ。気ままにそして自由に飛び回っていたい、、、そうした思いを持っているのだ。溜まり場にいたときと異なり、この現界に出てきたとたん、意識が強くよみがえる霊も多くいるのだ。それがために人に憑依し、自分の思いを遂げようとさまざまな画策をするのだ。憑依した人間が自分の重いとおりに動かぬ場合には諸々の障りをもたらし動かそうとするのだ。人に憑依し自分の思いを遂げようとする目的のものと、障りをもたらし自分の存在を認識させようとするだけのと、何の目的も持たず、ただ単に憑依し、さわりをもたらすだけの場合に大別できる。浮遊霊は自身で何も行うことができないのだ。意思が確定していないのと目的意識も混沌としているため、単に憑依するだけの場合が多く、そして単にさわりをもたらすのだ。浮遊霊が人間に憑依した場合の顕著な症状は、身体が悪くなるということである。また気持ちが重くなる。物事に対する意欲がなくなる。世の中がいやになる。投げやりになる。こうしたことが障りとしてもたらされる。

守霊 by 光海大智

守霊と守護霊とはまったく異なる存在である。守護霊は一人の人間のみを専門に守護する役であるのに対して、この守霊は自分の意思による判断で人間を選び、アドバイスをする霊なのだ。守霊の任につけるのは、昇霊界の最下層から七つ上までの世界に籍を置くものだけである。特別に許可をもらう必要はなく、自分がしたいと思えばできるのだ。一人のものにつきアドバイスできる期間は最長でも25年で、それ以上はできない。最短の場合、たった一回のみのアドバイスといったこともある。父母であれ祖父母、兄弟姉妹、知人、友人など、誰でも自分が選びつくことができるのだ。波長が合えばまったく無関係の霊がつくこともある。守霊は任務を終えた後、再度この世に人間として生まれて出てくる。身内などが現れ、危機回避に対する教えをするのはこの守霊なのである。また問題解決のために霊能力者の前に姿を現し対話に応じる、、、といったことは絶対にない。不成仏霊は守霊にはなれない。邪悪なものが守霊然として惑わしをする場合が意外と多くあるため、注意を必要とする。本当のことはひとつ、うそを九つ混ぜ、それらしいことを話す策を用いるのだ。

守護霊 2、 by 光海大智

養子の場合は、実家の先祖が守護の任命についている。子ができ、孫ができる場合もすべて、その養子の実家の先祖が守護する。守護者が死んだ時点で守護霊は離れる。人生の途中で、守護者の心魂の向上が著しい場合、神はその格に応じて守護霊を変更する場合もあるが、そうしたことはめったにない。母親や父、また兄弟姉妹などが死んで守る任命につくことは絶対にない。ごくまれのまれにおじいちゃんやおばあちゃんが守護の任命につく場合もある。通常は、昇霊界入りをしている先祖が守護の任命につくのだが、特例として選定場所に入っている霊が任命につく場合もある。神の意によってである。選定場所を足場とし、守護者の身体と行き来しつつ任命につくが、その期間は三年程度と短い。守護霊は守護者のみを守ることにのみ専念している。それが基本であるため、その守護者の行動を見たり、未来を数えることなどはしないし、できない。ただ守ることだけ。跡継ぎ、次男、三男の違いによって先祖の思いや手助けに差が生ずることはなく、すべて公平に守護している。女性の場合は男性と異なり、父方の女性先祖のみが守護の役につくのではない。母方の女性先祖も役についているのだ。父方と母方の女性先祖が12年ごとに交代しつつ守ってくれているのだ。一名加わっている男性は父方の先祖と決まっている。その流れが変わることはない。著名な人物や家計と無関係なもの、外人などが守護神になることは絶対にない。また、絶対に姿を見ることのできない存在を、<あなたの守護霊はだれだれ>という霊関係者がいる。これは世迷いごと、嘘、捏造での発言、もしくは不成仏霊か守霊を見誤ってのことである。先祖供養に力を注ぐことは、自分や子、孫などを守ってくれている守護霊の力を強めることにつながっている。守護霊の力が強まれば強まるほど、守護してもらう力も強くなるために不運、不幸から逃れたり、防護してもらえるのだ。だから先祖を大切に供養せねばならない。

守護霊 1、by 光海大智

一人一人の人間の身を専門に守る任についている霊、守護霊は、守護するものの心格に比例した霊がつく。一人に対して四人の守護霊がチームを形成してついている。守護してくれる霊は、その家系の先祖たちであり、無関係な霊が任につくことは絶対にない。子孫のだれだれをどの先祖が守るかを定めるのは、古い先祖の意図によって決められる。守護霊は守護するものの人生の途中で交代する。ひとつのチームが守護の任についている期間は平均して12年である。十年で交代という場合もある。守護霊が姿を見せるようなことは絶対にない。なぜ姿を見せぬか、、、といえばそんなことをすれば邪悪なものの攻撃を受けて守護ができなくなってしまうためだ。守護霊の姿は幽霊とほとんど同じで、白い衣装をまとっており素足だ。無論、人間の姿をしている。一人の人間(子孫)を守護するのに、四名が、男性の場合のチーム編成は男3、女1となっており、女性の場合は女3男1となっている。ひとつのチームを作って守りを固めているのだ。なぜ、男性の場合に女性の霊が一名加わっているのかといえば、男性霊ばかりだとやさしさにかけるためだ。逆に女性に男性霊が一名加わるのは家系そのものの基本を保つのと、とっさの場合の決断力や行動力を発揮させるためだ。子孫を守護する先祖たちのほとんどは、父親からさかのぼること5代から古くなっていく先祖たちである。ただ例外として、それよりも新しい先祖が任につく場合もまれにある。守護霊は霊界と守護者の身体を往復しつつ守護している。一人の人間が生まれて死ぬまで、守護霊たちは交代しつつ守っている。守護霊のついていないものはこの世に誰一人としていない。必ずついている。ちなみに守護霊はいるが、指導霊はいない。

先祖供養 2、光海大智

先祖供養に力を注ぐようにすれば,なぜ不運を幸運にできるかといえば自分の身を常に守護してくれるのは先祖だからである。先祖が守護霊となって身を守ってくれているのだ。そうした先祖の厚意に対し感謝を表す方法が供養行為なのである。供養に対し何も思わぬということは、感謝する心をまったく持っていないということになるのだ。いわば先祖にしりを向けているのだ。そうした子孫に苦がもたらされようとしていてもそれらを振り払ってやろう、、、と思わぬのだ。守護に対して熱心になれぬということなのだ。だから先祖供養を無視した生き方をしているものは次々と苦がもたらされ、おもいどうりにならぬ人生となるのだ。先祖を供養すれば先祖の力を強めることにつながり、自分を守ってくれている守護力も強くなるのだ。不運が遠ざかり、守護霊も幸運を招いてくれるのだ。また供養の怠りは特に子供に親に対する反抗として現れるのだ。そして仕事にも支障が出る。先祖供養をしないものにはさまざまな形で苦が常にもたらせる。先祖供養はもっとも大切なこと。先祖供養を怠っていたものが死んだ場合、道案内をしてくれる先祖が現れるため、迷い子となる。また道を作っていないために迷う。先祖供養は、先祖と自分との間に供養という道を造る行為なのだ。死後、その供養の道が途中で迷わずに進める霊道と変わるのだ。行くべき世界への道をつなげるための行為でもあるのだ。先祖が子孫に罰を与えることもある。また、害を与えたり、運を悪くすることもある。子孫として先祖の冥福を祈る行為は当然のことであって、先祖に常に守ってもらい。継承の肉体も遣わしてもらっている。さまざまな恩恵も受けているのだ。先祖があって今の自分がいる。子供もいるということを忘れてはならない。先祖に感謝し、先祖の冥福を願い、よき世界で暮らしてもらいために供養することは子孫としての当然の義務である。