アソビねっブログ

め、みみ、はな 2014/05/28
同じ立場や役割を持つものを一つの単語で呼び、モノとして、形態が違っていても区別しない、古代日本人が持っていた知のダイナミズムを発見しましょう。人間の顔の中には、植物と同じ名前がついているものがある。それは、め、はな、みみ。目は芽。鼻は花。耳は実,実。歯は葉。視覚、触覚、聴覚など、生き物の感覚機能はたくさんありますが、その第一は視覚です。視覚から得る情報は、感覚器官全体の過半数に達するといいます。私たちはまず、目で見ることから物を認識することによって、認識のプロセスが完結するのです。このように考えていくと、植物の一番最初の成長段階である芽の発音が、目にネーミングされていてもおかしくない。まず芽(目)があって、花(鼻)が咲く。そして末端の<は)、つまり<端>に葉(歯)が出て、成熟したそんざいである実(耳)で完結するというプロセスをかんがえると、どうして目を<め>というのか、耳を<みみ>というのか、よくわかると思います。ところで鼻というのは顔の真ん中に突き出ていて、呼吸をつかさどる重要な器官です。人間は呼吸することで生きているわけですから、花は生命活動の中では最も優先的な命の根源、いわばトップの存在です。植物の枝先(端)に咲くのも<花>。古事記(712年)に出てくる、左の御目を洗ひし時に成れる神の名は、天照大御神。次に御目を洗ひし時に成れる神の名は月読命、次に御鼻を洗ひし時に成れる神の名は、凄まじい、凄む、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)。最後の神は暴力の神で、腕力だとか身体的な強さだとか、そういう生命力の象徴だからこそ、目ではなく呼吸器官の鼻から生まれています。奈良県立万葉文化館館長の中西進さんでした。

by 6014D | 2014-05-28 17:41 | コメント(0) | 未分類


富士山、噴火の歴史 2014/05/28
世界遺産となった富士山の噴煙たなびく勝手の姿を古地震研究者である都司嘉宣(よしのぶ)氏が古典や古文書の中から鮮やかに浮かび上がらせた。まずは噴火の歴史から。781年、続日本紀(富士山灰ふり木葉かれる)。800~801年、日本後紀(黒煙、夜火光天照、声如雷、降灰足柄道を埋む。)。937年、三代実録[貞観噴火、溶岩来た麓<せの海>を埋める)。937年、日本通記[甲斐国司云、富士山神火埋大海)。999年、本朝世紀[このころ、富士山山焚火)。1033年[25]日本紀略(富士山火起、自峰至山脚)。1083~1125年、扶桑略記(富士山燃焼、怪しきなり)。1511年、妙法寺旧記(富士山鎌岩焚)。1560年、日本災異史(富士山噴火)。1700年、日本災異史(富士山噴火)。1707年[1116]文献多数(宝永噴火、宝永地震の49日後、宝永山生ず。)

by 6014D | 2014-05-28 17:32 | コメント(0) | 未分類


鯖江台地と鯖江断層(なぜ鯖江には地震がないのか) 2014/05/28
2014年5月17日、福井自然史博物館主催、地球と宇宙を学ぼうジオツアー1、というのに参加した。渡されたレジメを見ると、福井県嶺北地域のほぼ中央部分に位置する鯖江盆地は、標高10~40mの沖積低地であり、鯖江台地の東側と西側には鯖江断層および鯖江台地西側断層が推定されている。最近のGPS連続観測による、地殻変動データーから、新潟から神戸にかけて伸びる幅数10~200kmの歪み集中帯が提唱されこの、いくつかの内陸型地震が歪み集中帯で発生している。その図によると、なんと鯖江の活断層周辺はマグニチュード1程度の微小な自身すら発生していない半径約10kmの地震活動の空白域となっており、岩板が固いせいなのか、それとも地底にエネルギーが溜め込まれているのかよくわかっていない。それが不気味だ。エネルギーが解放された後で、次の活動が起きる前に直前にぴたっと活動が止まるという。サンドームから船津神社へ、そこの宮司は東京大学の地震の古文書を研究しているらしい。NHKBS2で自転車の旅で鯖江高校手前の船津神社が出てましたが、まさしくその場所でした。次にJR鯖江駅前の松阜(まつおか)神社へ行く。ここから見える日野山、三里山、文殊山が素晴らしく美しい。ここの祭神は間部公。はじめは西山公園にお城を建てたかったらしいが、あまりにも景色が美しいので一般の民衆に開放したらしい。そのあと弁財天池、長泉寺の湧水、湧水を飲み水に使っている石田さんという名の民家。長泉寺は泰澄大師建立で、桓武天皇勅願所になっていた。そしてなんと今回ツアーに参加した人の中に、あの林幸子先生の息子さんと同級生(68歳)の阪口美幸さんがいて、初対面でしたがびっくりです。林幸子先生は御年91歳で、長年足羽山の博物館で植物の名前を聞く会に携わっていた方で、戦前松岡の小学校で山々のルーツ、川のルーツで有名な先生と同席し、いっしょに山へのぼって、ぼく自身も先生とついこの間まで毎週のように美山や池田、銀杏峰、足羽川の河川敷,日野山の裏側~魚見へ、植物採集に連れて行ってもらった素晴らしい先生です。

by 6014D | 2014-05-28 16:26 | コメント(0) | 未分類


仏教を取り入れたのは、中国文明を超越するため 2014/05/28
もともと神道の国が、どうしてそこまでして仏教を取り入れたのか。中国人の石平氏はそこに大変興味を持ちました。そして彼なりに一つの仮説を考えたことがあります。それは中華帝国という大きな壁に対抗するためだったのではないかということです。中国からは、仏教も儒教も両方とも入ってきています。なのに日本は、儒教よりもむしろ仏教を取り入れることに熱心です。儒教はもちろん中国で生まれたものですが、これはある意味では、適当に採用している。それは中国色の強い儒教よりも、世界宗教としての仏教を取り入れることによって、中国文明を超越しようとしたのではないかということです。と同時に、仏教の持つ文化的な高さもわかったんだと思います。だからこそ国力のすべてを尽くして東大寺を建設した。中国はもちろんのこと、インドをも超えた巨大な仏教とお寺ということだったのでしょう。大仏開眼のとき、インドと中国からわざわざお坊さんを読んでいるのも、そういう意図を示したかったからなのではないでしょうか。つまり日本は、世界宗教としての仏教の高みに立って<中国>を相対化して<中国>を超越してしまったのではないかと思います。

by 6014D | 2014-05-28 16:16 | コメント(0) | 未分類


天皇(神道の最高司祭)が仏教に帰依する。 2014/05/23
大陸から見ると、大飢饉、大虐殺、大さつりゃくもない日本は、いかにも幸せに見えたと思います。仙人が住み、不老不死の地と考えられた蓬莱山という伝説の霊山がありますが、まさにそう見えたのではないのでしょうか。徐福もしかり。だから、殺伐たる大陸から来た人たちにとって、日本は極楽だったと思います。こういった人たちによって漢字も伝わり、その後、仏教も儒教も入ってきたにもかかわらず。本居宣長も指摘しているように、漢心とは違う部分はきちんと残す。外来文化のいいところはちゃんと取り入れるけれど、それらとは、常に一定の距離感を持ちますよね。シナ大陸からは、いろんな影響を受けながらも、日本的心と、漢心とは分けている。そしてそれが、結果的には中国文明とは全く違う文明となっていた。こういった日本文明を通観してみると、一般的には、日本と中国とは近いと思われていますが、中国人の石平さんに言わすと中国よりは日本はヨーロッパに近いとおっしゃっています。封建制があったこともそうですし、また宗教の社会に対する影響もそうです。特にすごいと思うのは、世界宗教でもあった仏教を日本独自の形で吸収し、しかもそれを消化して、より高度なレベルへと持ち上げた点です。たぶんふつうはそういうことは起こらないと思いますが。一つの宗教が生き残れるか否かが、決定的に重要になりますから、他を駆逐するのは、ある意味では当然の行為になる。宗教戦争が絶えないのは、まさにここに理由があるわけでしょう。ところが日本の場合は違う。神道の最高祭司は天皇です。ところが、引退すると法皇になったりする。全部が全部というわけではありませんが、数多くいる。後白河法皇などは有名ですよね。し、この法皇というのは仏門に入った天皇のことです。つまり、神道の最高祭司が、仏教に帰依したということになるわけです。こんなことは、ふつうはあり得ません。ところが日本人にとっては何の違和感もなかった。神仏混交を受け入れていたんですね。

by 6014D | 2014-05-23 17:57 | コメント(0) | 未分類



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