アソビねっブログ

鵜の羽根の屋根の産屋 2015/01/29
しばらくすると、トヨタマヒメノミコトが海の宮からはるばる帰ってこられました。<私は、お産の日が近づいてきましたが、天津神様のお子様を海の宮で青海するわけにはいかないだろうと、気が付きましたので、急に帰ってまいりました。。><よく来てくださいました。すぐ用意をさせますよ。>ヒコホホデミノミコトは笠沙の海浜に鵜という鳥の羽根で屋根をふいた産屋を作らせられました。人々が大勢集まって作っています。姫神様は、早産気づきなさいました。<お産は、それぞれの国の風に従ってしますから、私は海の気にの習わしによります。どうかしばらく、私を見ないようにしてくださいませ。きっとですよ。>鵜蚊帳の屋根は、なかなか仕上がりません。姫神様はもう我慢がなりません。雨の押しと奈美子とが急いで敷物を敷きます。姫神様は、その上にお座りになります。雨の押しとのミコトが戸を立てて放棄でカニが中へ入らないように払っています。

by 6014D | 2015-01-29 17:03 | コメント(0) | 未分類


笠沙の宮 2015/01/29
<それはありがとう。その通りにいたします。兄さんが、それで、元の党利、仲直りをしてくだされば、こんなありがたいことはありません。>と彦神様はお礼を言われました。これは、彦神様が、海神の静かな澄み切った知恵と冷たく流れ動くご性格によって、ご修業がおできになったということでありましょう。しかし、これはまた一面、彦神様と姫神様のお別れなさねばならない悲しい日が来たという、現われにもなりました。そして、姫神様の御同族から選ばれた一尋(ひろ)わにに贈られた笠沙の宮へお帰りになったのです。兄さんに対しては、散々苦しい目にあい、だんだん弟様のご修業でえられたよいごせいかくにな美いていかれました。等々、元のように仲直りされたのです。そして後には、兄さんは薩摩隼人の先祖と、あがめられるお方におなりになりました。、

by 6014D | 2015-01-29 16:57 | コメント(0) | 未分類


塩ひる珠 2015/01/29
海神のトヨタマヒコノミコトは、海じゅうの魚どもを調べて、あかだいの口からその針を取り戻してヒコホホデミノミコトにお返ししました。そして、また、<これを兄さんにお返しになるときは、このはりは おぼのち(おぼこい針)、すすのち(あわて針)、まじち(まずしい針)、うるち(おろかな針)と、まじないの言葉を言いながら、後ろ手でお渡しなさいませ。獲物が取れず、兄さんが貧乏になりますよ。兄さんが高田(あげた)を作られたら、彦君様は下田(くぼた)を、兄さんが下田(くぼた)を作られたら、あなたは高田(あげた)をおつくりなさいませ。私が上手に水を支配して、兄さんを少し懲らしめてあげますよ。もし兄さんが攻めてこられたら、この塩みつる珠を、兄さんが助けを求めたら、この塩ひる珠をお出しなさいませ。>と二つの珠を差し上げてお教えになりました。

by 6014D | 2015-01-29 16:35 | コメント(0) | 未分類


失くした釣り針 2015/01/29
ヒコホホデミノミコト(ホホリノミコトまた山幸彦ノミコト)とトヨタマヒメノミコト(豊玉姫命)との海の宮でのお暮しは、幸彦様の一てつなご性質と姫神様の豊かな、そして玉のような円満なお生まれ月との溶け合いの年月で、ただ夢のように過ぎていきました。ある日、トヨタマヒメノミコトのお父さんのトヨタマヒコノミコト(豊玉彦命)が訪ねてこられました。<彦君様は、どうしてここへお越しになさることになりましたか。隠さないでお話しくださいませんか。><兄さんと私とが、自分たちの幸を取り替えてみようと約束して、道具を交換して、私は海で、兄さんは山で、ともに獲物を追い求めました。ところがどちらも幸は得られずに、私は兄さんの釣り針を失ってしまいました。兄さんにぜひ返せと、責め立てられて、海辺で悲しんでいた時、シオツチノカミ(猿田彦の神)様のお導きで、とうとうここまで来てしまったのです。<ああ、そうでしたか。そのつりばりなら、わたしが取り返してあげますよ。あなたはそれで溜息などなされたのですね。もっと早くお聞かせくださればいいのに。><いや、毎日毎日とても楽しい日ばかり続いて、それを思い出す日もなかったのです。このころになって、少し落ち着いたのか。故郷のことなどが、思い出されるようになりました。

by 6014D | 2015-01-29 16:25 | コメント(0) | 未分類


彦火火出見尊は若狭彦神社の御祭神 2015/01/29
たちまち、火はぼうぼうともえあがってきます。その時、お生まれになったのが、ホテリノミコト(火須勢理命)、次に、火の勢の一番盛んな時にお生まれになったのが、ホオリノミコト(火遠理命)です。そして、コノハナサクヤヒメノミコトも、少しのささわりもありませんでした。瓊瓊杵尊[ニニギノミコト)は、、私は、初めから、私の子とは思っていたが、世間で疑うものがあるかもしれないと思って、あのように言ったのでした。どうもすいませんでした。けれども、これであなたの操の正しいことがわかり、その子たちもみな、並々ならぬ立派な子であることが分かったわけじゃ。>と、言われました。コノハナサクヤヒメノミコトはたいそうおよろこびになって、うらえ田(うらないをする田)でとれたいねで、あめのたむ酒(おいしいさけ)をおつくりになり,ぬた田(水田)で取れた稲で、ご飯をおたきになって、神々をお祭りになさいました。ホテリノミコトが海幸彦ノミコト、ホオリノミコトが山幸彦ノミコト、そしてシオツチノカミのお言葉として、お話しておいた、あの猛々しいお生まれつきが、お三方ともに、形作られていました。母子ともに、ご無事だったことは、母神様の決死のお誓いがあったればこそであり、こうした方にお育てになり、後々まで響いて、一時五兄弟の仲が、最も悪いところへ、陥っていたにもかかわらず、見事にこれを切り開いて、元のとうり、仲睦まじくお過ごしになったのです。オホリノミコトのご本名は、ヒコホボデミノミコト(彦火火出見尊)で、若狭彦神社のご祭神と仰ぐお方で、まさしく、この神様です。

by 6014D | 2015-01-29 15:57 | コメント(0) | 未分類



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