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昭和20年8月9日の昭和天皇のお言葉 2016/02/26
昭和天皇は、昭和20年8月9日の御前会議で鈴木貫太郎首相に御思召をうかがわれてお言葉を宣われました。<私たちの任務は先祖から受け継いだこの日本という国を子孫に伝えることである。今日となっては一人でも多くの日本国民に生き残ってもらい、その人たちに将来再び起き上がってもらうほかに、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。それにこのまま戦争を続けることは、世界人類にとっても不幸なことである。もちろん、忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任の処罰などそれらのものは皆忠誠をつくした人々で、それを思うと、実に忍び難いものがある。しかし、今日はその忍びがたきをしのばなければならない時だと考えている。私たちは、明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、私たちのことはどうなっても構わない。耐え難いこと、忍び難いことではあるが、この戦争をやめる決心をした。また、戦争終結の詔書にて<、、、宣しく挙国一家子孫相伝え確(かた)く神州の不滅を信じ、任重くして、道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし志操をかたくし、誓って国体の精華を発揚し世界の蓬運に後れざらむことを期すべし、、、>とおのべにもなっておられます。

by 6014D | 2016-02-26 15:54 | コメント(0) | 未分類


大切なのは人とのかかわりby佐藤辰美 2016/02/21
佐藤さんが最も尊敬しているのが、故中村とうよう氏(元ニューミュージックマガジン編集長)。音楽評論家で編集長、そして破格のレコードコレクターだった。中村氏は2011年に自殺する前に自身のレコードと楽器のコレクションを武蔵野美術大学に寄贈しているが、そのうちの2点の楽器の寄贈を取り消し、佐藤さんに譲った。感激した佐藤さんが書いた御礼の手紙に対して中村氏は30点という厳しい点数をつけたという。<僕が最後まで残したいと考えるものは、結局、人から頂いたもの。そこにはいろいろ大切なものが宿っている気がするんです。人とのかかわりがやはり一番大切。自分が死ぬ前にすべてを整理した中村さんにはコレクションを最終的にどうするかという大事なことを教わりました。僕は息子や娘や友人に彼らがほしい物を送って、美術館などに寄贈したら、売れるものは売却します。だらだらと欲望の赴くままに集めたものは、だらだらと手元から離れて行って終わりにするのが自分らしいと思うのです。レコード&CD(収集数7,500+6,000)、陶磁器(1,000)、民族美術(200)、現代美術(5,000)、沖縄工芸(300)、新古美術(400)、仏教美術(300)、中国美術(200)、ワイン(1,000以上)。

by 6014D | 2016-02-21 11:05 | コメント(0) | 未分類


僕をジャンキーにしてくれた恩人by佐藤辰夫 2016/02/21
アメリカの美術雑誌<ART news>が2014年に発表した世界のトップコレクター200人にランク入りした日本人は3人。ファーストリテイリングの会長柳井正氏、大林組会長の大林剛郎(たけお)し、そして広島の大和プレス経営の佐藤辰夫氏、最後の佐藤さんのコレクションは現代美術に限らず、古美術、中国古美術、民族美術さらにワインやCD、そしてレコードコレクションが有名、彼のマンションには天平時代の仏像や平安時代の舞楽面、瀬戸鉄釉花文瓶子。丹波の長頸壺、高松次郎の<影>、村上友晴のペインティングなどが飾られている。またアーティストに頼んで、壁やふすまに絵をかいてもらうことも、わからないものを買うのも僕の決め手の一つで、以前河原温さんに<どの作品を買うか迷った時は、あまり好きじゃないものを買うようにしなさい>と言われたことがあります。あまり好きじゃないものは。自分の中にないものだから、消化するのに時間がかかる。だから長く見ていられるし、新しい何かが自分の中に生まれてきます。アーティストを応援するために購入したこともありましたが、これは結果的にアーティストのためにならない><なぜ収集をするのかは、僕がずっと自問自答してきたことです。時間も場所もお金も必要だし、他人には嫌われるし、税務署は来るし、短い人生ほかにやることがあるだろうって。でもレコードから始めて、収集歴50年、62歳にして思うことは、やはり僕はジャンキーなのだということ。レコードやCDなど音楽媒体を集める人たちの中で特にレコードを熱心に収集する人を”ビニールジャンキー”と呼ぶのですが、自分は”磨滅ジャンキー”だと思います。自然の力や人の力で磨滅したものを好む。現代美術でさえ、汚れて磨滅していったものの方が何かが宿っているようで惹かれます。これは言い換えると病気です。<蒐集強迫>たる言葉があるかどうか知りませんが、たいていは男性がかかって、女性がかかる人は少ない。一時的な快楽(満足感、優越感)のために、人生を無駄にしています。縁あって知り合った人たちのことを<僕をジャンキーにしてくれた恩人>として大いに感謝しているという。古美術商やギャラリスト、アーティストたちはもちろんだけどさ父さんが最も感謝しているのが、故中村とうよう氏。

by 6014D | 2016-02-21 10:45 | コメント(0) | 未分類


武内宿祢の息子 葛城襲津彦6・ 2016/02/18
神功皇后の伝説について、戦前お生まれの人たちは、小学生の時に<神功皇后の三韓征伐>として<国史>で歴史的事実として教えられた。戦後は天皇がやたらに長生きだったりすることもあり、皇紀二千六百年伝説とともに、単なる物語として否定され、ことに新羅討伐は、新羅側は何もしていないのに、神託を理由に行われた一方的な侵略だけに、伝説としても感心した話でないと否定されたようだ。襲津彦については、<国史>では教わらなかった。あまりかっこのいい話ではなかったからだろうか。武内宿祢も<国史>では神功皇后を助けた忠臣、あるいは頼りがいのある武将として、国民的英雄といってよかったが、戦後はその荒唐無稽な長寿伝説もあって、武内宿祢は何人もいたとか、蘇我氏のでっち上げだとか言われてやや影が薄くなった。しかし280歳はともかく、宿祢というちょうじゅなだいじんがいて、ゆうのうな政治家にして将軍でもあったということは、まるっきりの絵空事とも思われない。そして、その人物は、後世にあまり悪いイメージを残していない。その点武内宿祢の息子ともされる葛城襲津彦は、宿祢の息子だったかどうかは問題だが、彼を全く持ち上げる必要のない外国の史書<百済記>にもその事跡が具体的に出ている将軍であり、実在の人物であったことは疑いの余地がない。おそらく葛城襲津彦は、四世紀末に活躍し、なぜか朝鮮半島に詳しい、有能な外交官にして武将でもあったが、いささか粗雑な性格で、ことに女性にはからきし弱く、せっかくの度重なる功績も、そのために不意にしたようだ。偉大な武内宿祢の息子であったとしたら、いささかならず問題のある不肖の息子というほかはない。

by 6014D | 2016-02-18 17:58 | コメント(0) | 未分類


武内宿祢の息子 葛城襲津彦5・ 2016/02/18
葛城襲津彦はひそかに日本に舞い戻り、身を隠していたが、妹が応神天皇につかえていたので(襲津彦の妹で後に皇后になった磐之媛命ともいわれる)、ひそかに使者を送り、天皇の怒りがもうとけたかどうか探らせた。妹は<昨夜夢に兄襲津命が出てきたのですが、、、>と、恐る恐る夢に託して伺ってみると、天皇は急に不機嫌になり、<襲津彦が?あいつは何をしているのだ。まさか、帰ってきているのではあるまいな>と吐き捨てるように言った。妹からその言葉を伝え聞いた襲津彦は、許される望みはないと悟り、石の穴に入って自殺した。以上は<百済記>の伝えるところだ。襲津彦は父とされる武内宿祢より確実に実在した人物と考えられ、異国の美女に籠絡された不名誉な話も、かなりの部分はおそらく実話であろうかと思われる。

by 6014D | 2016-02-18 17:49 | コメント(0) | 未分類



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