アソビねっブログ

ロバートデニーロに関する秘密の噂(1992)2、 2016/03/31
ロバートデニーロ双子説によると、1943年第二次世界大戦、真っ最中父ロバート、母バージニアとの間に生まれ、2年後二人は離婚、兄ロバートは父に引き取られ、弟ロバートは母バージニアに引き取られたといいます。時を同じくしてリーストラスバーグ主宰のアクターズスタジオで二人は再開し、二人のロバートはよきライバルとして、良き友達として再会を喜び俳優業にいそしんでいったに違いありません。それぞれ俳優として演技者として舞台で活躍していった。同じ顔、同じ名前の存在は、あまりに紛らわしく、世間は混乱したに違いありません。その時二人の間には悪魔のヒントが浮かび上がり、二人が双子であり、俳優なら一度は誰もが考え付く方法論でありました。一人の人間が様々な人間へと変わっていくのが俳優ならば二人の人間が同じことをすれば二倍の幅ができるはずだ。二人のロバート、そもそも二人の間にはほんのちょっとした違いがあった。

by 6014D | 2016-03-31 17:03 | コメント(0) | 未分類


ロバートデニーロに関する秘密の噂(1992)1、 2016/03/31
その昔、1980年代後半に福井の観音町にポパイというレンタルビデオ屋があった。そこの会員が10名ほど集まり、ほかのレンタルビデオ屋には珍しいビデオがあるとかいう情報交換サークルがあってそこの会報誌に僕が書いた記事から。<ロバートデニーロに関する秘密の噂>ハリウッドスターの第一人者と言われるロバートデニーロは1943年、イタリア系移民の夫婦の子供にニューヨークに生まれる。まずしいかれのおいたちは、彼の人生を変える大きな要素の一つとなっている。イタリア系であることが成功につながった。1966年ブライアンデパルマと出会い、そもそもイタリア人にとってデニーロの<デ>とでパルマの<デ>は貴族出身を意味し、同郷のしかも同じ境遇という共感は多民族には想像もつかない。(1970年ブルーマンハッタン、たそがれのニューヨーク、1971年、ブルーマンハッタン2、哀愁の摩天楼)1973年マーチンスコセッシとの出会い、リトルイタリア同士、貧しい少年時代の境遇、マーチンスコセッシの少年時代を描いた自伝的映画である<ミーンストリート>1974年<ゴッドファーザー2、>はやはりイタリア系アメリカ人であるフランシスコフォードコッポラ、これにてでにーろの名は有名になる。1975年、やはりイタリア人<ベル成人ベルトリッチ>の<1900年>に出演、そして1976年マーティンスコセッシ<タクシードライバー>この映画を見て触発された友人の竹沢君はアメリカへ旅立ったといっていた。

by 6014D | 2016-03-31 16:43 | コメント(0) | 未分類


プロコルハルムの青い影の謎 2016/03/31
1967年の全英ヒットチャートでno,1.もちろん日本でも大ヒットしたプロコルハルムの<青い影>。僕が中学3年生の時、訳しても非常に難解で、わけがわからなかった。<客船のパーティ会場で、ファンダンゴを踊った君と僕。そのうち僕はちょっと船酔いした感じで気分が悪くなったけど、そこに集まった人々はもっと僕たちに踊って見せよと煽り立てる。そのうち夜はどんどん更けていって、、、。粉ひき職人として客船に雇われている男が、僕と踊った彼女を最初に目にしたときは幽霊のようなまなざしで、透き通るように白い肌がどんどん青ざめていったもんさ、と問わず語りに話してくれた。ひょっとして、僕が一緒に踊って、今目の前でともにトランプを講じている彼女は幻なのか、それとも、、、。なんと、1967年当時、オリジナルバージョンは1分10秒も演奏時間が長く、3rd,4thヴァースが存在していたのである。1967年当時のシングル盤には放送しやすいように短いバージョンだったのだ。オリジナルの長いバージョンでは主人公の男性が相手の女性を人魚ではないかと疑いを持つ。そして二人は、ついに海の中へと身投げしてしまうのだった。最初は幽霊のように見えた女性の顔(その時点ですでに怪奇的)が、いつしか”真っ青を通り越して白みを帯びていた”となっている。これはもう彼女が実在しないものー幽霊か、はたまた心霊現象か?としかいい余蘊がない。ホントは怖い曲なのである。この女性を<かってこの客船から海に身を投げて自殺を図った人物>と推測すると、その女性が成仏できずに、まだこの客船を客間をさまよっていたとしたら。まさしくこれは女の幽霊の物語だった。こんなに美しい女性を自分のものにしなくてどうすると、武者震いしている様子をかなり遠まわしに、私的に表現した曲なのである。はたして青白い顔をした女性は本当に人魚だったのか、はたまた亡霊もしくは幻だったのか、そんな亡霊に恋をした、男の悲しい歌であり、なぞのままだからこそ、歳月を経ても多くの人々の耳に余韻を残し続けているのだと思う。そしてメロディがまさしくこの世のものとは思えないほど素晴らしい。

by 6014D | 2016-03-31 16:13 | コメント(0) | 未分類


謎の九鬼文書 2016/03/31
中世末期から近代初期にかけて西太平洋に雄飛した紀州熊野の九鬼水軍の統領、海賊大名九鬼家に伝わる文書には、私たち日本人の原郷(ルーツ)探索についての大きな示唆的情報が伝承されている。だが、問題はそれだけではない。その伝承には、日本の近代化の歪みに対する民衆の生活的ルサンチマンの投影でもある戦後最大の民衆宗教ー大本教ーの中核的なものが見いだされるのだ。すなわち、大本教の開祖出口ナオと組織者出口王仁三郎とが、世に出し復活させ、このでたらめな社会(体制)の<立て替え立て直し>を行おうとした主神<うしとらの金神(こんじん)>は、九鬼文書の<宇志採羅根真(ウシトラノコンシン)>であった。そのことからもわかるように同教の教義には、この文書の伝承が色濃く影を落としている。例えば、大正年間の第一次弾圧を受けるまで、同教躍進の原動力となった<鎮魂帰神の法>も九鬼文書の秘儀であったのである。さらに出口ナオのお筆先<神諭>とともに聖典とされる出口王仁三郎口述の<霊界物語>にも、この文書の古代的世界観が大きく横たわっているのも否定できない事実である。

by 6014D | 2016-03-31 16:04 | コメント(0) | 未分類


日本と仏教by司馬遼太郎、5 2016/03/29
仏教は、飛鳥、奈良朝においては、国家統一のための原理だった。<華厳経>は宗教的というより哲学的な経典で、その経典を好んだ聖武天皇がこの経典に解かれている宇宙の象徴としての毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)(だいぶつ)を尊び、<国中の銅を尽くし>て鋳造した。天平感宝元年(749年)この天皇が東大寺大仏の前で<三宝(みほとけ)の奴(やっこ)>と自らを規定して拝跪したことほど、奈良朝における仏教と国家の関係を感動的に表現した光景はない。平安時代初期にねずいた天台、真言は、体系としては魅力的なものだったが、王朝貴族たちはこの二つの体系に対し、本来の仏教を求めず、現世利益を願う祈祷(本来の仏教にはそういうものはない)をせがみ続け、天台、真言もそれに応じ続けたために高度な宗教性を失い、鎌倉の新仏教に光彩を譲らざるを得なかった。この稿は、実は仏教を語るつもりではなかった。日本人における怨霊信仰というおよそ日仏教的な原始感情のことを書くべく、その橋掛かりとして以上のことを述べたのだが、ここで紙数が尽きた。

by 6014D | 2016-03-29 16:55 | コメント(0) | 未分類



アソビねっ管理メニュー

このお店の基本情報を見る
■カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
■以前の記事
■カテゴリ
他のショップブログを見る