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エリザベス洋装店のブログ

Ⅰ’M SO TIRED by JOHN LENNON

1968年10月8日 作詩作曲Lennon/McCARTNEY.インドで瞑想修行をしているときに、同行していた妻シンシアの目を盗み、毎日のようにヨーコからの手紙を受け取っていたジョンは、Ⅰ’m so tired,my mind is set on you(疲れたよ、君のことしか頭にない)とヨーコへの思いを募らせていく。その一方で、刺激のない結婚生活に退屈していて、シンシアや息子ジュリアンとの離別も考えていた。というわけで、安眠できなくて、悩んでばかりいたジョン。そうしたジョンの心情はさておき、けだるさが声に覆いかぶさっている。歌詞の内容がわからずとも、どんな心境をうたっているのかよくわかる。この曲を聴いて、すぐに思い浮かべるのは<アイム、オンリースリーピング>ですが、どちらも倦怠感が充満している。こういう歌い方ができるミュージシャンはなかなかいないよね。ジョン自身、ヴォーカルもサウンドも気に入っていたようで、レコーディングもわずか一日で終了している。毎日、瞑想でマハリシの講義で。でも、そばには意中の女性ヨーコがいない。心ここに非ずという状態だったのでしょうね。歌詞に出てくる<サーウォルター、ローリー>はエリザベス一世の寵臣であった英国の探検家。16世紀。英国に煙草を持ちこんだことで有名。Although Ⅰ’m so tired,Ⅰ’ll have have another cigarette(疲れたけれど、たばこをもう一本吸おう)/And curse Sir Walter Raleight(そしてウォルターローリー卿を呪ってやろう)と歌っています。自分自身の悪癖(喫煙)をローリー卿のせいにしている。と言いながら、エンディングでは<ムッシュムッシュ、もう一本いかが?>とつぶやいている。また、これを逆回転させると、<Paul is dead,man,miss him,miss him>(ポールは死んでしまった。さびしいよ)に聞こえるとして、これも(ポール死亡説)の根拠になりました。ちなみに、ジョンはタバコが止められず、生涯ずっと(愛煙家)でした。そしてLPアビーロードでポールがはだしで歩いているのもこの死亡説の一因といわれています。

DAY TRIPPER by THE BEATLES

1965年10月16日作詞作曲Lennon/McCartney/<恋を抱きしめよう>とのカップリングで、ビートルズ初の両A面シングルとして発売された。両A面になったのは、この曲をジョンが強く推したことによる。主としてジョンが書き一部をポールが手伝った。<デイトリッパー>とは<日帰り旅行者>のことですが、そこから転じて、ここでは<いつもはそうじゃないけど、気が向いたらやってみる人>とか<はまりきってはいないけれど、ちょっと興味を持っている人>という意味でつかわれている。明らかに、ドラッグを意識した使われ方ですね。この曲がドラッグソングであることはジョンもポールも認めていますが、性的なニュアンスをほのめかす表現も織り込まれている。She’s a bigteaser(かのじょはかれをじらす)のa big teaserはa prick teaser(おちんちんをもてあそぶ女=やらせてくれそうでやらせてくれない女)の意味で使っている。とポールはほのめかしている。この時期、ジョンは立派なドラッグユーザーになっていた。だから週末だけ花柄のシャツを着てパンダナを巻き、面白半分にドラッグをちょこっとやって、アシッドロックに聞き入る<日曜日ヒッピー>(=デイトリッパー)が気に入らなかった。ジョンは当時この曲について<若者が聞けばすぐにわかるはずだよ>と発言している。ジョンの妻シンシアがドラッグでトリップしてしまった時の様子をヒントにして書かれたとも言われています。イントロのギターがかっこいい。このリフのアイデアはジョンによるものですがジョージがダブルで引いています。のりがいいのでジミヘンドリックス,オーティスレディング、ホワイトすねいく、チープトリック、ELO,など多くのミュージシャンがカバーしています。

Ⅰ CALL YOUR NAME by JOHN LENNON

1964年3月1日、作詞作曲Lennon/McCartney,vocal,ジョンレノン。ジョンは曲の前半を15歳ぐらいの時に書いたようですね。ミミ伯母さんの家の自室で。ませたガキというか、天才の片りんをうかがわせるというか、、、。いなくなった人を思って、僕はひたすら<あなた>の名を呼ぶという歌詞。<あなた>はぼくの恋人なのか。いやひょっとすると。<あなた>はジョンの母、あるいは父だったのではないか。ポールは多分後者であろうといっています。Don’t you know I can’t take it(僕が耐えられると思うのかい)のところの、前のめりのリズムがとてもいい。それと、リンゴのたたくカウベル。曲調をうまくとらえている。ジョンはこの曲をビリーJ,クレーマー&ザ、ダコタスにプレゼントしましたが、自分たちでもレコーディングをしました。おそらくポールの言うとおりでしょう。心変わりがして<やっぱり取り返したい>という気持ちがジョンの中に芽生えたんだと思います。というのは、ジョンは彼らに<バット、トゥ、ミー>という曲もプレゼントしているんですが<これは全英1位を獲得した>A面の(バット、トゥ、ミー]には見向きもせず、B面の(アイ、コール、ユア、ネーム]のほうにこだわった。というわけで、他人に譲った曲を後から取り戻してレコーディングした唯一の曲となりました。特筆すべきなのは、間奏部分でテンポが変わり、かなりスウィングした曲調になっているところ。ジョンはスカのリズムを使ってみたかったらしい。この時期、こうした曲調をロックンロールに取り入れるミュージシャンはいなかった。何でも吸収してしまうビートルズの巨大な胃袋には驚くばかりです。リンゴはソロになってからカヴァーしていますが、リンゴが<Ⅰ Call Your Name>僕はあなたの名前を呼ぶときの<あなた>は、間違いなくジョンのことでしょう。Oh、Ⅰ can’t sleep at night/Since you’ve been gone/ⅰnever weep at night/Ican’t go on(ジョンが幼少の頃、父は家を出た。ジョンはミミ伯母さんに引き取られその時この曲を書いた。)父よ、あなたがいなくなってから・僕は眠れない・泣いたりしない・でもやりきれない・僕が耐えられないと思うのかい。gone,go on,ゴーンと永平寺の鐘の音が彼の煩悩を捨て去ってくれたのだった。以前ジョンがヨーコと知り合う前、じょんはすでに1959年に出た永平寺の2枚組のレコードを聴いていたと、このブログで書いたことがあるが、そのことで富山の曹洞宗のお寺の方から電話をいただいた。じつは福井県立図書館でその時のレコードが国会図書館にあるのではないかと聞いてみたところそこにはレコードはなくってユーチューブで無料で聞けるとのことでした。ちなみにポールがビリーJ,クレーマー&ダコタスに書いた曲<Ⅰ keep you satisfid >も素晴らしい曲で大好きです。

なぜか大和に多い出雲の神々

大物主神は、大和主権の発祥地ともみられる大和(奈良県)の三輪山の神で、大和の守護神、地主神ともいえる存在だ。だが、この神は<日本書紀>神代第八段の<一書>(あるふみ)によれば、出雲の大国主神の幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)、すなわち大国主神の分身だと記されている。また、古代、新任の出雲国造が朝廷に参与して奏上した祝詞(祝詞)<出雲国造神賀詞>(いずものくにつくりやっこかむよごと)には<大国主神の和魂(にぎみたま)をオオモノヌシの名で三輪山に鎮座させよ>と大国主神が語った>という一節がある。大和の西南にあたる葛城にある鴨都波(かもつば)神社は事代主神を、高鴨神社は味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)を祀るが、両神とも出雲神話に登場する神である。このほかにも、大和には出雲系の神をまつるとみられる神社、出雲関連の地名が散見される。これらの事実は、出雲地方の氏族が大和に移住したことを示していると考えるのが普通だろうが、逆に、大和には出雲族がもともと住みついていたが、それが天皇系勢力によって参院の出雲に駆逐されたと考えることも可能だろう。考古学者の森浩一のように<出雲は狭義の出雲国に限定することが難しいほど、移動性あるいは拡散性にとんだ地名で見てよい>(記紀の考古学)とする立場もある。

神武天皇はアマテラスを祀らなかった?

熊野に上陸した神武天皇とその一行は、アマテラスの助けで得た霊剣やアマテラスから使わせられた八咫烏(やたのからす)の導きによって吉野へ進軍する。そして丹生の川上に至るといつへ(神酒などを入れる神聖なツボ)を作って<天神地祇>をまつり、いつへを川に沈める。続けて諸神を祀り、<今、タカミムスヒに対して、私が自ら顕齋(うつしいわい)を行いたい>と述べる。<顕齋>とは、目に見えない神霊を見えるように齋(いつ)き祀ることで、この場合は、神武がタカムスヒの降霊を乞い、自身に神霊を依りつかせることとみられる。つまり神武はタカムスヒの神霊と一体化しようとしたのである。大和の平定を終えた神武は畝傍(うねび)の橿原宮(かしはらのみや)で即位して初代天皇となる。そして三年後、天下を統治できるのは<皇祖の霊>(みおやのみたま)に助けてもらったおかげと述べて、鳥見山(とみのやま)に齋場を設け、<皇祖天神>(みおやのあまつかみ)を祀った。ここで神武天皇が鳥見山で祀った<(皇祖である)天神<とは、タカミムスヒ、アマテラスとも含めた。高天原の神々の総称と解釈することもできるが、この祭祀自体は、古代中国で天子が郊外で天を祀るために行った祭祀<郊祀>(こうし)が意識されていたとみることもできる。しかし、いずれにしても、ここにアマテラスの名は出てこない。丹生の川上や、鳥見山の祭祀は、日本の国家建設と祭政一致の原点に位置付けられているが、このような重要な場面で、皇祖神としてアマテラスの名が特に言及されていないことは、後世の人間から見ると不可欠に映る。もちろん神武天皇は神話的な存在で、神武東征がすべて史実とは考えにくいが、少なくとも古代の宮廷において、タカミムスヒが天皇家の強力な守護神として意識されていたことは間違いないだろう。また、神武天皇は丹生の川上で<天神地祇>すなわちあらゆる神々をまつったと<日本書紀>は強調するが、現実には天皇(大王)といえども、ほかの氏族の神の祭祀に関与することはタブーだったはずである。だからこそ、タカミムスヒよりも普遍的な神格を持つ太陽神(天照神)が多数の氏族を統合するものとして浮上し、<皇祖神アマテラス>という女神が形成されていったのではないだろうか。