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エリザベス洋装店のブログ

ニギハヤヒ by 戸矢学

初代天皇は神武天皇というのは日本人の常識である。そしてこのことは<古事記><日本書紀>の記述に基づいている。しかし実は神武天皇が初めてヤマトに到着したところ、すでにそこには統治者がいたと記紀に明記されているのだ。しかも賊衆の首長などではなく、神武と同じ<天神の子(あまつかみのこ)>であるという。その名をニギハヤヒという。ニギハヤヒは、天(あま)つ御霊(みしるし)を持っていた。つまり神宝であって、<アマテラスの保証>である。神武も天つ御靈を持っていた。だからこそ、唯一自らが統治者たる資格を持つはずと自負していた。それだけに、事実を知って驚いた。しかしそれならば先に大和を統治していたニギハヤヒにこそ権利があってよさそうなものなのに、ニギハヤヒは、なぜか神武に帰順する。記紀にはそう書かれている。何やら特別な事情が裏にありそうだと、皆が皆考えて何の不思議もないだろう。しかし記紀には何の説明もない。ヤマト統治者の地位を、神武は先輩のニギハヤヒから禅譲された。これによって”粗大天皇”として即位することになるのだが、この経緯はだれが見ても不自然であり不可解である。譲られた地位は、ニギハヤヒがついていた地位であるのだからニギハヤヒも天皇であったことになるし、もしそうでないなら、神武もゆずられた地位は天皇でないことになるのだ。その真相はなんなのかー誰もが知りたいことだろう。私もそう考えて、この探求は始まった。手がかりは記紀に匹敵する重要古典<先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)>(旧事紀(くじき>)である。

鈴木大拙とジョンレノン

日本語を母国語としながら海外で世界的に有名になった人物の中でもその代表といえるのが鈴木大拙(1870~1966)です。アメリカでは1950年代から1960年代にかけてビートニクといわれる若者が文学やアートの世界で活躍します。彼らは物質文明が引き起こした様々な社会の圧力をはねのけ、人間性の回復を目指しました。作家のジャックケルアック(1922~1969)、詩人のアレンギンズバーグ(1926~1997)などがその代表ですが、そんな彼らはこぞって、鈴木大拙に会いに行きます。ジョンレノンもそのビートジェネレーションといわれる、既成概念にとらわれない当時の新しい世代の息吹に感銘する一人でした。大拙は20代後半に渡米し、英文で禅に関する著作を行い欧米人に禅に関する著作を行い、欧米人に禅の教えを広めました。彼の著作は今も多くの西洋人に読み継がれています。彼らは、大拙の禅に何を見出したのでしょうか。それを解くカギが<ことば>です。この世界はある時点から、言葉によって成り立つようになりました。古代のギリシャにプラトンやソクラテスが現れ、ロゴス、つまり言葉でロジック[論>を組み立てた。それが客観的世界とみなされたのです。西洋思想は、すべてこの言葉による客観的世界でなる立っているとされたんですね。アメリカで生活していると、時々言葉につかれることがあります。アメリカでは沈黙は金ではありません。自分が何者なのか、これについてはどう思うか、絶えず言葉で物事を客観的に語らなければならないのです。しかし客観的世界というのは、言葉というものが切り取った図式にすぎません。いわば幻想のようなものです。それに対して禅は”言葉以前の世界”にもう一度立ち戻ろうとするのです。そんな禅の中には、言葉はやっぱり作りものだっていうことがあると思うのです。禅が言葉で語れないというのは、ある意味、当然のことですね。だけど、そこをなんとかことばでかたるどりょくをしなきゃいけない。それでうまれたのが<ぜんもんどう>だとおもいます。一見ロジカルではないんですが、真実を言い当てる方法として禅問答が考え出された。

ジョンレノンが追い求めていた禅の人生訓10

ジョンレノンが小野ヨーコと知り合う数か月前、ジョコビッチクラブでジョンケージの前衛音楽、コルトレーンのジャズのレコードに交じって1959年にアメリカで出されていた永平寺の二枚組のLPを聞いていたという話を5年前にこのブログで描いたことがあったが、禅寺である開祖、道元禅師が開いた永平寺の教えをジョンレノンはどう感じていたのか。1、ないものは求めても得られない2、日常茶飯事の中にこそ真実がある。3、道を同じくする友を持て4、<真実の自己>は自然そのもの5、技に頼るな。心こそ大事6、形にとらわれるな。完全でなくていい。7、本当に<わかって>いますか8、<わかる><教える>などとんでもない9、いつも心に自然を持て10、求めるな。真実は目の前にある。ジョンレノンの書いた曲の中にこれらの禅の人生訓からきた言葉を今探している最中です。誰か、この曲がそうだと分かった人は教えてください。日常語になった禅の言葉の中に<挨拶>(あいさつ)があります。意味は積極的に迫り、切り込んでいくことで、禅では弟子の悟りの深さを試すための問答のことを<一挨一拶>(いちあいいちさつ)といい、ここから人とことばを掛け合うことを挨拶というようになった。<安心>(あんしん)仏法により心が安らぎを得ることで、心身が安定不動になること。<喝>(かつ)大きな声で自己の心境で示すこと。相手の本心に迫ることから、<喝破する><一喝する>という語が生まれた。<工夫>(くふう)公案への取り組みや座禅など修行に精進すること。転じて、いろいろ考え、よい手段を見出すこと。<玄関>(げんかん)悟りの境地(玄旨)げんし、に至る関門。禅院の入り口に<玄関>という額をかけたことから、一般化した。<主人公>(しゅじんこう)もともとその人に備わっている本来の自己のこと。<脱落>(だつらく)身も心も一切の束縛から離脱し、大悟(だいご)すること。<身心(しんじん)脱落>の語が有名である。<投機>(とうき)<機(き)>(心の働き)が師弟の間で一つになること。心は千変万化し不安定なところから、転じて偶然の利益を狙うという意味の経済用語となった。<日日是好日>(にちにちこれこうにち)晴れてもよし、曇りでもよし。毎日毎日を精いっぱい生きよという意味。<平常心>(びょうどうしん、へいじょうしん)日常性の中で働く禅心をいう。<平常心是道>(これどう)は、日常生活にこそ真実がある。普段の心がそのまま悟りであるという意味。座禅よりも日常生活こそが仏道であるということ。

太宰治が好きだった三島由紀夫

三島由紀夫の太宰治嫌いは、半ば伝説化している。昭和22年の冬、東大の学生であった三島は、のちの劇作家、矢代静一、詩人の中村稔ほか何人かと、太宰を訪問した。その席上で、<僕は太宰さんの文学は嫌いなんです>と面と向かっていった。太宰は、<嫌いなら来なければよい。好きだから来たんだろうよ>そのような意味の言葉を返したという。三島はのちに太宰のどんなところが嫌いか、挙げている。その第一が、顔で、次が田舎者のハイカラ趣味、という。真っ先に容貌を目の敵にした。最大の関心事だったのだろう。二番目も、これは三島の劣等感に違いない。つまり、太宰嫌いは、近親憎悪の気がしないでもない。太宰が指摘したとおり、好きだから嫌いと口にしたのでしょう。おぼこの求愛のようなもので、それをあからさまに指摘されたから、自己嫌悪に陥った。自分を責める気持ちが、やがて相手憎しみに転化するのは誰しも覚えのあることだろう。ではそもそも三島は太宰文学の何にひかれたのだろう?それはユーモアではないか。太宰のたぐいまれなる天性のユーモア。日本文学では数少ない知的で上質な笑い。大学を卒業し、大蔵省大蔵事務官に任命した三島は文才を買われて、国民貯蓄振興大会での大蔵大臣あいさつ原稿を書かされた。三島はこう書いたという。<、、、笠置シズ子さんの華やかなアトラクションの前に、私のような禿げ頭が演説をしてまことにつや消しでありますが、、、>もちろん、課長の手であっさり削除である。この一説だけでも、太宰調を色濃く感じる。三島のユーモアは<不道徳教育講座>や<反貞女大学><三島由紀夫レター教室>あるいは<長すぎた春><命売ります>など軽い小説などに随所にみられるが、いわゆる純文学といわれる作品にもさりげなくまぶされている。<喜びの琴>という戯曲がある。この戯曲の思想内容が原因で、杉村春子の文学座とたもとを分かった。公安係警察たちの五日間の物語だが、ユーモラスなセリフをいくつか拾ってみる。代議士の護衛を命じられた若い警官が、相手をどう呼ぶべきか、上司に指示を仰ぐ。<いいんだよ。<さん>でも<せんせい>でもなかみはかわりゃしない。おだてたほうがやりやすいんなら、おだてりゃいい。こっちは相手がけがをしてくれなきゃそれでいいんだ。ま、鍋に豆腐を入れて隣の家まで届けるようなもんで、豆腐先生が崩れなきゃいい>こんなセリフも出てくる。<あの人は柔道だけに打ち込んでくれればいいんだよ。いつかも飲み屋のおかみに頼まれて、息子を警官にしてやると奔走しているうちに、その息子が窃盗で、逮捕されちまったんだからな。>ところで本作のタイトルだが、これは交通巡査の述懐による。交差点に立って交通整理をしていると、突然、車の流れが全くなくなる時がある。騒々しい音が途切れて<コロリンシャン><リリランシャン><リロリルシャン>と琴の音が聞こえてくる。というのである。この設定で思い出すのは、太宰の名作<トカトントン>である。深刻な事態にぶつかったとき、ふいに金槌で物をたたく音が聞こえてくる。とたんに、何もかもばかばかしくなり、しらけてしまうという短編である。そう言えば三島の代表作の<金閣寺>は、音でなく、映像が出現する。下宿の娘とセックスしようとする。とたんに、金閣が目の前に浮かぶ。主人公は、なえてしまう。何か事を行おうとすると、金閣が現れる。主人公は逆に呪う。いつかきっとお前を支配してやると。太宰のユーモラスな<トカトントン>が、謹厳な三島由紀夫を<支配>していた。

運慶 by 梓澤要

私は美しいものが好きだ。例えば、女の滑らかな肌、若い男のコリコリと堅そうな筋肉、春日野をかける鹿たちのしなやかな動き、絹布の襞の重なり、複雑で繊細な模様、仏の像の端正なお顔、冠の透かし彫り、夜行貝の象嵌細工、水面にきらめき躍る光の渦、風にしなる木々の影。美しいものを見ると、この手で触れると、恍惚として、自分の醜さを忘れられる。母は、美しい女だった。三歳年下の弟は生まれながらに母譲りの面長で色白のきれいな子だったから、母は弟ばかりかわいがり、私を毛嫌いした。<サルみたいに醜い顔>わが子なのに、面と向かって嘲り笑った。おまけに私は口が重くて愛嬌がなく、ますます疎ましがられた。だが、私は母を恨んだことも、弟を恨んだこともない。父や父の弟子たちが、五歳かそこらからいっしょに鑿(のみ)を操って、仏の手や足先や台座の細かな飾り彫りを器用に作りこなす私の才を認め、工房に入り浸るのを許してくれたからだ。工房の中では、私は特別な存在でいられた。七歳のころだったか、納戸から母の絹の小袖を引っ張り出してはおり、裾を引きずって歩いてみたことがあった。腰をひねるとどうまとわりつくか。両腕を上げると肩からどう流れ落ちるか。襞の流れ、布のたわみ、色や文様の変化、陰影、風をはらんで膨らむ袖や裾の動き。そういうことを自分の体で確かめてみたかったのだ。夢中でやっていると、母が鬼の形相で部屋に入ってきて、私のほほを張り飛ばした。<気色悪いことを押しでないよ。寺稚児にでもなるつもりかえっ。>-男女。そんなことまで言われた気がする。だが、私は、女に生まれたかったとか、女の子になりたいなどと思っていたわけではない。ただ、女のしぐさや姿態に興味があっただけだ。どんな動きが美しい形を生むのか。揺れ動くとどんな思いがけない形に変化するのか。それを確かめただけだ。