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エリザベス洋装店のブログ

身近な自然からもらう色2byべネシァスタンリースミス

もともと寿一さんは農業をやり、染と織は奥さんの和子さんの仕事だったそうです。和子さんが織で忙しくなったので、染が寿一さんの担当になりました。ご夫婦は劇団で知り合ったそうで、はっきりとわかりやすい寿一さんの話し方は演劇で身についたのでしょう。もともと染の目的は色を楽しむだけではなく、生活の必要性から生じたとのこと。インドやタイのお坊さんの黄色い僧衣を染めるウコンや、アカネは殺菌作用があります。農夫はよく藍染の衣服や脚絆(きゃくはん)を身に着けていますが、それは藍には防虫効果があるからとのことです。草木染には、赤、黄、青、茶の四つの基本色があるそうです。赤色はアカネの根、黄色は玉ねぎの皮やヨモギの葉、青色は藍のは、茶色は椿やスギ、桜の木で染色します。春から秋にかけての温かく日が長いときには、草木に元気があるので、染色に花や葉を使います。冬の間は、春に備えて木の幹や枝が内側にパワーをため込んでいるので、樹木を使うということです。寿一さんは遠くの植物を手に入れるのではなく、自分の周りの身近な自然から染に使う草木を探すそうです。そして植物を切るときには、来年や再来年も使わせてもらうことを考えて切るそうです。ある時、寿一さんが木の枝を切った翌日に、たまたまその枝を見る機会がありました。切り口からは樹液がたくさんる。流れていました。<人間が切られた血が流れます。植物を切るときも、そこまで考えなくてはいけないな>とそれから思うようになったそうです。今は糸をとるために畑で綿を育てて、糸を紡ぎ、染めて、織る全行程を手作業でやっているということです。彼の言った次の言葉がとても印象的でした。<草木染めは、いろんな自然素材を使うので、偶然に素晴らしい色が出て驚かされることがあります。化学染料では決まった色にしか染まりません。私の仕事は草木染の美しさを再発見し、それをみなと分かち合うことだと思っています。染色のマジック。どの草木も、それぞれ特別な力を与えられている。

身近な自然からもらう色1byべネシアスタンリースミス

心を開くと、ありふれた毎日の生活の中でも様々な発見や感動があると思います。私たちは忙しさのあまり、ついつい目の前のことにも気づかず、遠くばかりを見てしまうことがよくあるものです。先日、近所で草木染通りの大原工房を営む上田寿一さんに、草木染の体験をさせてもらい、新たな発見がありました。すがすがしい秋空の広がる午後、私は大原工房を訪ねました。玄関わきには、染色に使う乾燥させた草木や、玉ねぎの川などが置かれていました。不思議なにおいの漂う作業室を除くと、植物を煮出している大なべがかまどにかけられていました。淡い色に染められた糸の束が並ぶ玄関を通って、奥の部屋に案内されました。草木染のセーターや手織りのスカーフ、シルクのショールなどが、しっとりとした色合いで並んでいます。工房の窓からは大原の田園風景が広がり、その向こうに比叡山の山並みが見渡せました。染色を教えてくれる寿一さんが、日焼けしたニコニコ顔で現れました。工房のすぐ近くにある藍畑へ行く途中、寿一さんは土手の草むらから赤茶色の根をした、一見どこにでもあるような雑草を引き抜きました。その草はピンクや赤の染料になる茜(あかね)だそうです。日本に来て間もないころ、あたしは東寺のフリーマーケットで真っ赤な長襦袢を見つけ、その美しさに感動したことを覚えています。今、茜が自分の住んでいるこんな近くに自生していると知って、再び感動しました。大原には茜が多いそうです。それから寿一さんは、畑で藍の葉を数枚積み増した。藍は一年草なので毎年植えなければなりませんが、年に三回収穫できるそうです。工房に戻ると寿一さんの指導の下、白いハンカチの上に積み立ての藍の葉を並べました。それから、木槌でたたいて葉の汁をハンカチに出します。そのハンカチを水でよく洗うと、かわいらしい葉っぱの形が藍色に染まっていました。藍の汁が空気に触れて参加することで藍色に発色するということです。次は乾燥させた藍に水で発行させて作った溶液でブラウスを染めます。藍の溶液に浸し、絞り、水で洗うという作業を繰り返します。寿一さんは不慣れで不器用な私の動きを冗談を言ってから買います。我が家の庭にも染色に使えるハーブがあります。コンフリー、キンセンカ、パンジ-は黄色に、パセリは気取り色、ホップは茶色、アロエは薄紫色に染まります。いつか私も庭のハーブで、草木染を試してみたいと思っています。だんだんと白いブラウスの記事は、美しい藍色に変化してきました。<せんしょくはまじっくでしょう>というじゅいちさんのことばにわたしもどうかん!

私の曽祖伯父カーゾン卿byベニシアスタンリースミス

ジョージナサニエルカーゾン卿は、1859年に英国、ケドルストンで生まれ、1925年に66歳で亡くなりました。オックスフォード大学ベイリオルカレッジを卒業した後、アジア全域を周遊し、日本にも二度訪れています。最初は1887年(明治20年)に、世界旅行の際に日本に立ち寄りました。当時28歳。二度目の来日は、その五年後で、研究と執筆のためでした。39歳でインド総督となり(1898~1905年)その後、オックスフォード大学総長(1907~1925年)を務めました。彼はまた政治家としても活躍しました。イギリスの下院上院の議員を務め、1919年~1924年まで外務大臣となりました。一方、探検家、紀行作家としても名を遺しています。1895年には、ペルシャ、アフガニスタンを中心としたアジア探検旅行記を書き、ロンドンの王立地理学協会から五るどメダルを授与されました。のちに同協会の会長(1911~1914年)も務めています。日本でも彼の著作物は、<シルクロードの山と谷>(世界山岳名著全集一巻)と題する本に邦訳され、現在でも日本の登山家や探検愛好家に読まれているようです。またカーゾン卿は歴史的建造物の保護を目的とする団体である、ナショナルトラストの事業を支援し、イギリスだけではなく、インドにある数多くの城や宮殿の修復を自ら手掛けました。ロンドンで亡くなった時には、ウエストミンスター寺院で葬儀が行われました。彼の死後、カーゾン家の跡取りは長男のリチャードカーゾンに引き継がれ、そしてこの屋敷で私の母ジュリアナカーゾンが生まれました。ジョージナサニエルカーゾン卿が日本にいた時、この国の民は皆礼儀正しく、京都の寺院や家屋が並ぶ風景に魅了され、日本が高天原と呼ばれる神の国であることに納得したようです。そしてなんと彼は伊藤博文と親交があり、日本の新政府樹立がなかなか思うように進まないと心配する伊藤侯爵に、イングランドは数百年かかったのだからと励ましたと書いています。伊藤博文、井上かおる侯爵、陸奥宗光伯爵の政治状況について何度か話をする機会が持てたのは光栄だった。それから約120年が過ぎましたが、多くの外国人は日本のほんの一部だけを知り、型通りのイメージを持ってしまうのが現実のように思います。私は人生の大半をこの国で過ごし、たくさんの愛や幸せをもらいました。私も感謝の気持ちを何か行動で表したいと思っています。

ジェームスボンドのタロットカード

映画ジェームスボンドの007シリーズ<死ぬのは奴らだ>でジェームスボンドが美女を口説こうとしている。ボンドは女性が持っていたタロットを手にして、このカードで二人の運命を見てみようではないかと誘う。時勢はタロットの達人のようで、むろん、タロットを信じている。いやこの女性は敵方の一人で生まれながらに霊能力があり、タロットで敵状況などを知ることができた。この時、その美女の瞳はセクシーなボンドに完全にひきつけられていて占うまでもないというのはm視聴者には小見投資である。ボンでは<ではこのカードから好きなものを取るがいい>と畳み掛ける。女性が引いたカードは見事<恋日地>であった。ためらいを捨ててボンドに体を預ける美女。女性を抱きしめるボンドの手から零れ落ちたカードの山は、、、すべて<恋人>のカードであった。これはボンドのトリックだったのだ。このようなトリックは女性にささやかな言い訳を与えるだけのものにすぎなかったといえるわけだが。

わかっちゃいるけどやめられない

ハナ肇とクレージーキャッツの最初のレコード<スーダラ節>で植木等は、こういう歌に心理的な抵抗感があって、レコーディングの前の日に悩んでお父さんに電話した。お父さんは三重県の浄土真宗の住職で、これは親鸞の教えだって、<わかっちゃいるけどやめられない>って言うのは親鸞の教えに通じるところがあるって言われたんだとか。それで吹っ切れて歌えたっていう有名なエピソードがあるんですね。