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エリザベス洋装店のブログ

エリザベス洋装店 ひさしぶりの 大バーゲン 6月1日~開催

最近外人のお客様が目立ってきました。ドイツ人のご夫婦、ドイツのハノーバーとアメリカのオハイオからの若い女性2人組み、永平寺帰りのこの二人組に外国の方は個人主義の方が多いですけど、日本人は自分のことよりまず相手の幸せを先に願って行動することを学校や親から教えられてきました。そうなれば世界中から戦争がなくなると思います。と初対面の人にそう言ってしまったところアメリカのその女性は涙を流して握手を求めてきた。汗ばんでいた手の温かいぬくもりが非常に印象深く心に残っている。ジョンレノンも永平寺に興味を持っていたようですよ。彼女たちもヒッピーの子供たちかもしれない。そして彼女はドレスにする生地を買っていきました。カスバで有名なフランスの地中海の対岸に帰国するという福井在住25年の女性もドレスの生地を何枚も買っていきました。福井では絶対売れないような超派手なレースやシルクの生地です。創立70年近くなる当店、エリザベスに長年集まったハギレ300円均一コーナー(500点以上あります)、1000円コーナー、カシミアコート生地着分100,000円を一万円均一(紺と黒10点限り)、舶来生地特価1万円均一。cottonプリントm,680円、裏地、接着芯m、100円、ボタンワンセット300円。袖丈、着丈つめ、サイズ直し、着物からのリフォーム、もちろんオーダーもやっております。ミュージカルの衣装も担当しております。鯖江の市民ミュージカルの衣装も担当しております。その他既製品は、カットソー、ブラウス、ジャケットなどの夏物衣料、Tシャツ、パンツ3割引き、2週間で入れ替わります。駐車場は近隣のコインパークをご利用ください。(昼10時~夕方5時ぐらいまでオープンしてます)

FOR NO ONE by the BEATLES 

1966年5月9,16,19日録音最初の一節、Your day breaks,your mind aches(夜が明ける、心が痛む)という韻の踏み方は見事です。この歌が流れてくると、思わず瞠目、そして心を奪われる。聴き終わると、感動の言葉が漏れる。ポールはこうしたメロディがあふれるように浮かぶんだろうが。信じられない。まるで魔法のよう。失恋を予感させる歌。You stay home,she goes out(あなたは家に残る。彼女は出ていく】/She say that long ago she knew someonebut now he’s gone(昔ね、ある男を知っていたの、でも今は分かれたの、と彼女は言う)/She doesn’t need him【今の私にはもう彼はいないわ】、、、という歌詞はポールと恋人ジェーンの愛の結末を知っていたかのよう。youがポールで、sheがジェーン。そう思いませんか。演奏にジョンとジョージは参加していない。その代わりにフレンチホルンを吹く外部ミュージシャンを入れている。この思い付きは誰?曲にぴったりでね。フレンチホルンのアイデアはジョージマーティン。演奏しているのはアランシヴィルというホルン奏者で、まさしく極上の調べを奏でています。彼は(アデイインザライフ)のオーケストラにも参加しています。朗読された物語にメロディをつけたような曲調。ポールはこれ以降、こうした映画的な視点を持った歌詞をわがものにしています。ポールはこれをジェーンアッシャーと一緒にスキー旅行で訪れていたスイスの山荘で書いたらしい。(1966年3月)。そこでポールは、彼女と口げんかした。それがきっかけで、この曲が生まれた、と語っています。口論の余韻がまだ冷めないときに書いたというのに、こんな美しい曲をいともやすやすと作ってしまう。またしても感服です。 

自力と他力

法事をすると<供養をしたから親も喜んだだろう><心配していたけれど、これですっきりした>という人がいます。しかし、心配しているのは、実はあの世にいる供養されている親の方ではないでしょうか。この世で苦労し、苦しんで、頑張っている私たちを心配し、見守ってくれているのは親であり、つまりは仏様なのです。法事はそのことを再確認するための行事だと思います。<親に供養をしてあげた>と思うのは、自分を本位にしたものの見方です。現在は経済中心の世の中ですから、自分が能力を発揮して、仕事をして成果を上げれば、もてはやされます。いわゆる成果主義です。ですが成果主義は人間を能力の有無で区別し、人を傷つけもします。職場で必要がなくなれば人は社会から無視されたり、排除されたりします。能力に失望し、だれとも話せなくなった人は一人閉じこもり、この世から自ら消えゆこうとさえします。残念なことに、我が国の自殺者の数は世界でも屈指の多さです。今日の閉塞感を生んだ一つの要因はこの成果主義にあるように思えてなりません。親鸞聖人もまた成果主義の中で努力の限界を超えて頑張りつづけていた一人です。若き親鸞聖人は悟りを開くため読経、瞑想、その他あらゆる修行にはげみました。しかし、目的には達することができず、悩み、苦しみ、ついに生きることにさえ失望し、京の都に下りました。そこで出会ったのが師の法然上人です。法然上人は説きました。<あなたは私が努力し、私が精をだし、私が苦しいともうされた。これからはその<私>という主語を<仏>に置き換えてみなさい>と。<自力>でなく<他力>、つまり仏の力によりなさいと助言したのです。私が頑張るのではありません。努力し、精を出し、苦しんでいるのは仏様です。能力の有無、健康かどうか、置いているかどうかではない。どんな人生のどんな瞬間も尊いのです。親鸞聖人は、それに気づき、90歳まで力強く歩まれました。私たちは仏様に手を合わせますが、それより先に、仏様が私たちを尊敬しています。仏様に命を丸ごと認めてもらっているのです。そのことを改めて考えてほしいと思います。金沢在住の熊谷宗恵様のお言葉でした。

人糞を連想させる新具蘇姫命神社 by 佐藤洋二郎 2.

私たちの子供のころはガキ大将はいたが、弱いものをかばってもくれた。鼻水を垂らしたり、つぎはぎの靴下やシャツを身に着けている子供たちもいた。兄のおさがりばかりで、たまには自分だけのものがほしいと訴える同級生もいた。熟などまだなく、毎日遊びまわっていたのだ。世の中はまだ貧しかった。だからこそ逆に生きる手ごたえがあるはずだ。<すみませんでしたね>祖母がお礼を言うと娘も頭を下げた。<ずっとこの辺りにお住まいですか>私は思い切って聞いた。彼女たちが新具蘇姫命神社の氏子と知って、この地に古くからいる人々の子孫のような気がしたのだ。<あの先に>相手は田園風景を指差した。稲刈りの終わった田んぼの向こうに幾つかの農家が点在していた。<おかしな神様の名前でしょう。古い神さまだといわれております。>祖母は誇らしげだった。新具蘇という名前の響きはどこか人糞を連想させるが、昔は貴重な肥料だった。それを土にかけ、再び豊かな畑にする。<蘇>は生き返らせるという意味がある。新具蘇姫命は、生産の神でもあったのだ。

人糞を連想させる新具蘇姫命神社 by 佐藤洋二郎 1.

祖母は自分たちの産土神である新具蘇姫命神社を振り返っていった。見も知らない私たちに、初参りの孫との大切な記念撮影を共にというのだ。しかも恐縮しながら。<かまいませんよ><申し訳ありませんね、優しくしてもらって>私は照れくささと同時に、心が浮き立つのを覚えていた。いいことではないか。写真を一緒に撮られる、そのことだけでやさしく思われるのだ。やさしさは人間だけが持つ特権ではないか。彼女の気配りと配慮こそがやさしさなのだ。それならばこちらもこたえねばならない。私は若い母親と、古い神社の前に立った。色白の子供はまだ眠ったままだ。しかし、薄目を開けて見られているような恥ずかしさが私にはあった。<行きますよ>はい、チーズとこちらより若そうな祖母が言った。ともに写真に納まりながらいろんな思いが去来する。そういえば昔はみな共同体の中で生きていたのだ。田植えも稲刈りもみんなでやったし、おいしいものができればお裾分けもした。