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エリザベス洋装店のブログ

仙境異聞 by 平田篤胤 1.

文政三年(1820年)10月1日の日暮前、午後4時ごろのことであった。屋代輪池(やしろりんち)翁がやってこられ、願ってもない誘いの声をかけてくれた。<世にいう天狗の誘いを受け、長らくその従者になっていた童子が、山崎美成(よししげ)の家に来ているのをご存知かな。その子はあちらの世界でいろいろと見聞きしたことを話してくれるとのことだ。その話を聞くと、あなたが前々から考え記されてきた説と符合するところが多い。今から美成のところに行ってその子に会って見ようかと思っているのだが、どうですか、あなたも一緒に行かれませんか。私はといえば、かねがねそういう人物とじかに会い、究明したいと思うことをたくさん抱え込んでいた。渡りに船で、とてもうれしかった。ちょうど伴信友(ばんのぶとも)(本居信長の死後の門人。篤胤とともに天保の四大家と称された)が来合わせていたが、(すぐ戻ってくるから)と言い残して、私は屋代翁とつれ立ち、美成のところへと出かけた。道すがら私は屋代翁に尋ねた。<神誘いにあったものは、話があいまいで、とりとめがなく、ことさらにあちらの世界のことは秘密めかしてはっきりと語らないものですが、その子はどうですか><だいたい世に知られている神誘いにあったものはそのようだが、その子供は包み隠さず話すそうだ。美成の話では、先に虻川家へ行ったときにははるかかなたの西方浄土の国々まで行き、迦陵頻伽(かりょうびんが)(梵語kalarinkaの音訳。好声鳥、美音鳥の意。極楽浄土に生息するという。阿弥陀経には、美女のような顔をし、美しい声で法を説くとある)をさえみたといって、そのなきごえをまねて聞かせたということだ。最近あるところで誘われたとかいうものも包み隠さず、話していたと聞いた。昔はあちらの世界のことがこの世の中に漏れることを避けていたが、近ごろは、あちらの世界のことをそれほど隠さなくなったようだね。いろいろと質問して、忘れず書きとどめなさい>

喜びを敏感に感じる心 by 皇后美智子さま

今振り返って、私にとり、子供時代の読書とはなんだったのでしょう。何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました。そして、そのあとにくる、青年期の読書の読書のための基礎を作ってくれました。それはあるときには私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けたなってくれました。読書は私に悲しみや喜びにつき、思いめぐらす機会を与えてくれました。本の中には、様々な悲しみが描かれており、私が自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く、傷ついているかを気づかされたのは本を読むことによってでした。自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供たちの存在を思いますと、私は自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。私が自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出させたことは恩恵でした。本の中で人生の悲しみを知ることは自分の人生にいくばくかの厚みを加え他者への思いを深めますが、本の中で過去現在の作家の創作の源になった喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛躍する翼を整えさせます。悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われるとともに、喜びを敏感に感じる心、また、喜びに向かって延びようとする心が養われることが大切だと思います。そして最後にもう一つ、本への感謝をこめて付け加えます。読書は人生のすべてが決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。

赤のっぽと青のっぽ by 皇后美智子

戦争は1945年の8月に終わりました。私たち家族は、その後しばらく田舎にとどまり、戦災を免れた東京の家に戻りました。もう小学校の最終学年になっていました。この辺で、これまでここで取り上げてきた本のほとんどが、疎開生活というやや特殊な環境下で、私の読んだ本であったということにつき、少し触れたいと思います。この時期、私は本当にわずかしか本を持ちませんでした。それは数少ないーそれも大人の手をとおってきた、ある意味ではかなり教育的な本ーを普段よりもずっと集中して読んでいたひとつの特殊な期間でした。疎開生活に入る以前、私の生活に読書が持った比重は、それほど大きなものではありません。自分の本はあまりもたず、三つ年上の兄のかなり充実した本棚に行っては気楽で面白そうな本を選び出してきて読んでいました。私の読書力は、主に少年向きに書かれた剣豪ものや探偵小説、日本で当時ユーモア小説といわれていた、実に楽しく愉快な本の読書により得られたものです。漫画は今と違い、種類が少なかったのですが、新しいものが出ると、待ちかねて読みました。今回取り上げた<少国民文庫>にも、武井武雄という人の描いた、赤のっぽ青のっぽという二匹の鬼を主人公とする漫画がどの観にも入っており、私はくり返しくり返しこれらを楽しみ、かなり乱暴な<鬼語>に熟達しました。子供はまず、<読みたい>という気持ちから読書を始めます。ロッテンマイヤーさんの指導下で少しも文字を覚えなかったハイジが、クララ叔母様から頂いた一冊の本を読みたさに、そしてそこにペーターの盲目おばあ様のために本を読んであげたいというもう一つの動機が加わって、どんどん本が読めるようになったように。幼児期に活字に親しむことが、何より大切だと思います。ある程度の読書量に耐える力がついていなかったら、私は父が持ってきてくれた数冊の本を、あれほど熱心に読むことはなかったし、一年半余りに及ぶ私の疎開生活に、読書の思い出を付け加えることはできませんでした。

人間の悲しみ、喜びに深く触れる by 皇后美智子さま

英語で読むとさらに掃除(クリーン)、落ち葉(リーヴス)、澄む(クリアー)、なめる(リック)、子牛(リトルカーフ)など、L音の重なりが快く思われました。しかし、こうしたことはともかくとしてこの原文を読んで私が心から感服したのは、私が買って読んだ阿部知二の日本語訳の見事さでした。この<世界名作選>を編集するとき、作品を選ぶ苦心とともに、日本語の役の苦心があった、と山本有三は、その序文に帰しています。既刊の翻訳に全て目を通し、カルルブッセの<山のあなた>の詩を除く、すべての作品は、ことごとく新たな役者に依頼して新訳を得、また同じ役者の場合にも、さらに良い訳を得るために加筆を求めたといいます。私がこの本を読んだころ、日本はすでに英語を敵国語とし、その教育を禁止していました。戦場に赴く額とも携帯する本にも、様々な制約があったと後に聞きました。子供の私自身、英米は敵だとはっきりと思っておりました。フロストやブレイクの詩も、もしこうした国の詩だと意識していたら、何らかの偏見を持って読んでいたかもしれません。世界情勢の不安定であった1930年代、40年代に、子供たちのために、広く世界の文学を読ませたいと願った編集者があったことは当時これらの本を手にすることのできた日本の子供たちにとり、幸いなことでした。この本を作った人々は、子供たちが、まず美しいものに触れ、また人間の悲しみ喜びに深く触れつつ、様々にものを思って過ごしてほしいと長ってくれたのでしょう。ちなみにこの名作選の最初の数ページには日本や世界の絵画、彫刻の写真が、白黒ではありますが乗っていました。とうじわたしはまだおさなく、こうした編集者の願いをどれだけ十分に受け止めていたかはわかりません。しかし、少なくとも国が戦っていたあの暗い日々のさなかに、これらの本は国境による区別なく、人々の生きる姿そのものを私に垣間見させ自分とは異なる環境下にある人々に対する想像を引き起こしてくれました。数冊の本と、ほんと、本を私に手渡してくれた父の愛情のおかげで、私もまた、世界の屋根の上にぷっかりと、楽しく本を読むあのIBBY<世界児童図書評議会>のポスターの少年の分身でいられたのです。

ロバートフロストの<牧場>by 皇后美智子様

<世界名作選>の編集者は、悲しく心の沈む<絶望>の詩とともに、こうした心の踊る喜びの歌を、その選に入れるのを忘れてはいませんでした。ロバートフロストの<牧場>という詩は私にそうした喜びを与えてくれた詩のひとつでした。短い詩なので詠んでみます。<牧場>牧場の泉を掃除しに行ってくるよ。ちょっと落ち葉を掻き退けるだけだ。(でも水が澄むまで見てるかもしれない)すぐ帰ってくるんだからー君もきたまへ。子牛を捕まえに行ってくるよ。母牛(おや)のそばに立っているんだがまだ赤ん坊で母牛(おや)が舌でなめるとよろけるんだよ。すぐに帰ってくるんだからー君もきたまへ.この詩のどこに、喜びの源があるのか、私に十分説明することはできません。勿論その語の内容が、とても感じの良いものなのですが、この詩の用語の中にも、いくつかの秘密が隠れているようです。どれも快い想像を起こさせる<牧場><泉><落ち葉><水が澄む>などの言葉、そして<すぐ帰ってくるんだからー君もきたまへ>という、一節ごとの繰り返し。この詩を読んでから、七、八年後、私はこの詩に大学の図書館でもう一度めぐり合うことになります。米詩の詩歌集(アンソロジー)の中にでもあったのでしょうか。この度は原語の英語によるものでした。この詩を、どこかで読んだことのある、と思った時、二つの節の最終行の繰り返しが、記憶の中の日本語の詩と、ぴったりと重なったのです。<すぐ帰ってくるんだからー君もきたまへ>。この時初めて名前を知ったバーモントの詩人が、ページの中から呼びかけてきているようでした。