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エリザベス洋装店のブログ

雅楽は宇宙そのものの響き

日本の古代音楽でも、琴は天の楽器として、僧尼が奏することで、宇宙に働きかけるという<天の音楽>が知られているし、雅楽の楽器たち、たとえば笙(しょう)は天の光、篳篥(ひちりき)は地,そして龍笛(りゅうてき)が天地のはざまの空を象徴するというように、わずか三種の楽器が天、空、地を表している。また、琉球王朝時代の楽器、三線は、天(糸巻き上部)、地(竿と胴の部分)、人(弦)に分かれ、宇宙の調和を内包しているとされる。現代の音楽になれた耳には、メロディーもリズムも判然としない雅楽は、とても音楽には聞こえないが、雅楽の音世界とはそもそも古代人のコスモロジーを具現化したものだ。あの独特の音世界に聞くべきは、音楽というよりも宇宙そのものの響きなのである。このように、古代東洋における天球の音楽は、例としていくらでもあげることができるが、なかでも宇宙は自己であり、自己は宇宙であるという宇宙との同一性を目指すインド哲学の宇宙観は自然科学であり、宗教であり、心理学であり、詩であり、音楽でもあるという壮大な体系だ。これらがすべて渾然一体となっているところが、インド思想の懐の深さであり、ここのところは、何もかもをジャンル分け使用とする現代の合理化思想ではちょっと太刀打ちできない。

神話的宇宙観の音楽的な実践をしていたオーケストラ

古代中国では、老子が人間の音楽を<人籟(じんらい)>、自然の無数の音響を奏でる音楽を<地籟(ちらい)>、天球の音楽を<天籟(てんらい)>と称し、中でも<天籟>を最高の地位に置いたことや、紀元前4世紀の思想書<荘子>には、音楽は世界の調和を語るものであるという記述がある。<詩>は人の心を語るもの<書>は昔の事蹟を語るもの、<礼>は人の実績を語るもの<楽>は世界の調和を語るもの>というくだりだ。この中の<楽>が音楽である。古代の神話的宇宙観の音楽的な実践ともいえる古代中国に実在した合奏団が、古典雅楽というイメージで想像されていたよりもはるかに壮大な実に数百人に及ぶ演奏者による巨大なオーケストラだったことも、近年の考古学的調査で分かってきた。

宇宙そのものが音楽

漢字で書く<宇宙>の<宇>は空間で、<宙>は時間を意味している。<宇宙>という語は中国の古典<淮南子(えなんじ)>の<往古来今、これを宙といい、四方上下これを宇という>(斉俗訓)という部分に由来するといわれるが、宇宙という言葉には時間と空間という二つの概念が含まれている。これは音楽が表わそうとする世界そのものと言っていい。音は時間の経過とともに現れる。その中で、人間が時間をどう考えたか、時間をどのような空間の中で認識して来たのかの表現が音楽表現だともいえるからだ。やや乱暴な言い方だが音楽とは何かを考えることは、時間とは何かを考えることでもある。それほど、両者の関係はダイレクトなのだ。姿も形もない音でできた音楽が、人の心を震わせ、目に見えるものを共鳴させる。古代から人々は、この不思議な音楽というものの中に、天と地と人の生きる空間すべてを把握できる鍵が隠されていると考えた。宇宙そのものが音楽であるという考えは、東洋思想の中にも深く浸透している。