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エリザベス洋装店のブログ

摩訶不思議 by 佐藤洋二郎 2.

彼女たちはなぜ東征をしなければならなかったのか。三女神はなぜ降臨しなければならなかったのか。たとえ権力を持ったとしても、その文字を見つめれば虚無感もわいてくる。<権>という文字は<仮>という意味を持つ。つまり権力というのは仮の力ということだ。権力を持つことと個人が生きることは別だ。どんな人間だって、絶えず心の中には不安や焦燥,怒りや悲しみが生まれてくる。除こうとしたのだろう。私が育った家の前を神武たちは通り過ぎたらしいが、何を考えて東征したのだろう。三女神は<古事記>では、大和系の天照大神と出雲の須佐之男命との誓約で生まれ、須佐之男命の子とされているが、その神話の裏側に、降臨する彼女たちの苦悩が隠されていたのではないか。神社を歩いて余計なことを考える癖がついてしまったが、それだけこちらも生きあぐねているかもしれない。思案したとしても残り少なくなってきた人生だ。生きるスタイルも持たず、何の努力もせず生きてきたものが、いまさら人生を振り返ってもしかたがない。神社の鎮座する神々にはもうとっくに煩悩まみれの心を見透かされている。

摩訶不思議 by 佐藤洋二郎 1.

摩訶不思議という言葉がある。<摩訶>とは古代梵語で<非常に>とか<たくさん>という意味で、<不思議>というのが私たち人間がいくら考えても理解できないことをいう。つまり世の中には判断や理解ができないことが山ほどあり、その中心に神を置いて、さもわかったかのようなふりをして生きているのが私たちではないか。生きることはしんどい。それに私たちの人生は一様ではない。幸福だと感じるのも一過性のもので、夏の夜空を走る流れ星のようなものだ。めったにあるものでもない。だから私たちはまたいいことがありますようにと手を合わせる。辛いことや哀しいことの連続が人生で、苦労や苦悩を抱え続けて生を全うするのが生の道のりではないか。神武天皇たちがほかの部族を抑えて権力を握ったとしてもそれが個人の幸福につながったかどうか。あるいは宗像大社の田心姫命、たぎつつ姫命、市杵島(いちきは)姫命の三女神が六ケ岳に降臨したとしても、心は満たされていたのだろうかと思案する。彼女たちもまた目に見えない神の力で、人生をほんろうされていたのではないか。

怨霊鎮魂について

東京上野公園のシンボルといえば、身長370センチに及ぶ巨大な西郷隆盛像である。それを見たアメリカ人観光客は、アメリカ建国の父、ワシントンやアメリカを超大国にしたルーズベルトのごとき偉大なる国家功労者に違いないと思うであろう。確かに西郷隆盛は東征軍の総大将として260年にわたり日本を支配してきた徳川幕府を倒し、明治維新に貢献した英雄に違いないが、それ以上に彼は西南戦争という反乱を起こして官軍に敗れ、切腹した敗残の将である。外国人観光客は、なぜそのような敗残の将の像があえて巨額の費用を投じて作られたのか、疑問を抱くかもしれない。しかし日本文化の伝統から見れば、それは至極当然のことである。京都の祇園祭は、政治的に非業の死を遂げて国家に怨念を抱いているに違いない早良親王ら6人の霊を、大阪の天神祭は讒言によって大宰府に流された、恨みをのんで死んでいった菅原道真の霊を、東京の神田祭も、日本国家を恨んでいるに違いない反逆者、平将門の霊を慰めることによって厄難を防ぐことを祈る祭りである。日本人に古くから親しまれている赤穂浪士の吉良邸討ち入りの物語も怨霊鎮魂の話である。勅使接待役であった(田舎大名)の浅野内匠頭が礼儀作法の師というべき吉良上野助に切りつけ、城中で刃傷に及んだ罪で切腹させられた。浅野家家臣たちは、不公平な裁きにより無念の死を遂げた主君のカタキを見事に打ち、主君の墓前に吉良の首を備えるという(忠臣蔵)はまさに怨霊成仏の演劇と言えよう。日本にはこのような怨霊の歴史が貫いている。日本の溶解文化も長い歴史を持ち、現在も妖怪研究関連の書籍の出版が盛んである。漫画家の水木しげるは妖怪漫画で一世を風靡したといえる。この妖怪は明るくユーモアに富む存在であるが、怨霊は日本文化の闇の深層を物語るものである。そのような怨霊の列伝を調べることによって、日本の歴史を語ることができるであろう。

スタジオで再現されたライブステージアルバムPlease,please,me byビートルズ

ポピュラー音楽史に残る重要な一日といえば、このアルバムが録音された1963年2月11日、ここからビートルズの物語が始まった。ビートルズはこの日、アルバムに収録する10曲をおよそ10時間で一気にレコーディングした。たった2トラックだったにもかかわらず、ビートルズはレベルの高いパフォーマーであることを証明したのだった。<大勢の観客がビートに合わせて足を踏み鳴らすようなライブの雰囲気をつかむことはできないにしても”お利口な”ビートルズになる前のサウンドを最も近い形で知ることができる音源>とジョンが語っている通りライブ感覚あふれるデビューアルバムとなった。イギリスのヒットチャートでは30週連続1位を記録。ビートルズの名をイギリス国内に知らしめた。ビートルズが、現役時代に公式に発売した曲は全部で215曲、解散後に発売された”フリーアズバード”や”リアルラヴ”などを含めると、公式発売曲は278曲。その大いなる遺産の最古層を含めるのがこのアルバムだ。莫大な埋蔵量を秘めた原石としてのビートルズがここにある。ジャケット写真は当時のEMIレコード本社ビルのバルコニーで撮影。新しい時代の到来を告げるかのような4人の笑顔のジャケットも、全く同じ場所の同じ構図で、同じ写真家によって撮影されたが、メンバー同士の不和状態が続いていた時期だった(1969年5月)。解散直前にここで顔をそろえたことは彼らにとって感慨深いものであったに違いない。

ついぞ日本に戻れなかったエリート遣唐使 安倍仲麿

こうこう天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも広々とした空をふり仰いでみると、春日にある三笠山に出ていた月であるなあ。安倍仲麿(仲麻呂)とも書く。七世紀後半に武人として活躍した安倍比羅夫(ひらふ)の子孫。仲麻呂は716年、遣唐留学生に選ばれ、翌年吉備真備らと渡唐。玄宗皇帝に仕えて重用(ちょうよう)され、李白(りはく)、王維(おうい)らとも交流した。鑑真に会い、日本への渡航を促す。753年に帰国しようとしたが、暴風のため安南(ベトナム)に漂着し、唐に戻ってそのまま異国に人となった。<古今和歌集>に<羈旅(きりょ)>【歌を分類した時の旅の歌】として入っている。唐から帰国する際に、港のある明州(現在の寧波(ニンポー)で送別の宴が行われ、その時に詠まれた。歴史の教科書でも紹介される歌で、唐にいて帰ることのできない日本を懐かしみ、望郷の思いで詠んだと普通には解釈される。しかし、これは日本に向けて出発する直前の感慨なのだ。かって奈良の都で見た月を三十五年ぶりに見ることができるという期待を込めながら。海辺の地で大空を振り仰ぎながら見る異国の月と、かって三笠山の上に浮かんでいた故郷の月が二重写しになっている。三十年以上の時間経過、中国大陸と日本の距離をものともしない雄大な歌。国境を越えて活躍した奈良時代の国際人の発想であると、あらためて感じる。光る月に自分の明るい未来を見た?遣唐使は外交官であり、研究者である。渡航に困難を伴った昔は、多くのことを学んで無事に帰国すれば、朝廷の要人として重用される。仲麿の場合も、そうだ。明州の浜辺でこうこうと光る空の月を見上げながら、日本に戻った自分が出世して、重要な仕事を任されるシーンを夢想していたのかもしれない。エリートである自分の明るい未来を月に映しながら、、、。