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エリザベス洋装店のブログ

私の曽祖伯父カーゾン卿byベニシアスタンリースミス

ジョージナサニエルカーゾン卿は、1859年に英国、ケドルストンで生まれ、1925年に66歳で亡くなりました。オックスフォード大学ベイリオルカレッジを卒業した後、アジア全域を周遊し、日本にも二度訪れています。最初は1887年(明治20年)に、世界旅行の際に日本に立ち寄りました。当時28歳。二度目の来日は、その五年後で、研究と執筆のためでした。39歳でインド総督となり(1898~1905年)その後、オックスフォード大学総長(1907~1925年)を務めました。彼はまた政治家としても活躍しました。イギリスの下院上院の議員を務め、1919年~1924年まで外務大臣となりました。一方、探検家、紀行作家としても名を遺しています。1895年には、ペルシャ、アフガニスタンを中心としたアジア探検旅行記を書き、ロンドンの王立地理学協会から五るどメダルを授与されました。のちに同協会の会長(1911~1914年)も務めています。日本でも彼の著作物は、<シルクロードの山と谷>(世界山岳名著全集一巻)と題する本に邦訳され、現在でも日本の登山家や探検愛好家に読まれているようです。またカーゾン卿は歴史的建造物の保護を目的とする団体である、ナショナルトラストの事業を支援し、イギリスだけではなく、インドにある数多くの城や宮殿の修復を自ら手掛けました。ロンドンで亡くなった時には、ウエストミンスター寺院で葬儀が行われました。彼の死後、カーゾン家の跡取りは長男のリチャードカーゾンに引き継がれ、そしてこの屋敷で私の母ジュリアナカーゾンが生まれました。ジョージナサニエルカーゾン卿が日本にいた時、この国の民は皆礼儀正しく、京都の寺院や家屋が並ぶ風景に魅了され、日本が高天原と呼ばれる神の国であることに納得したようです。そしてなんと彼は伊藤博文と親交があり、日本の新政府樹立がなかなか思うように進まないと心配する伊藤侯爵に、イングランドは数百年かかったのだからと励ましたと書いています。伊藤博文、井上かおる侯爵、陸奥宗光伯爵の政治状況について何度か話をする機会が持てたのは光栄だった。それから約120年が過ぎましたが、多くの外国人は日本のほんの一部だけを知り、型通りのイメージを持ってしまうのが現実のように思います。私は人生の大半をこの国で過ごし、たくさんの愛や幸せをもらいました。

ジェームスボンドのタロットカード

映画ジェームスボンドの007シリーズ<死ぬのは奴らだ>でジェームスボンドが美女を口説こうとしている。ボンドは女性が持っていたタロットを手にして、このカードで二人の運命を見てみようではないかと誘う。時勢はタロットの達人のようで、むろん、タロットを信じている。いやこの女性は敵方の一人で生まれながらに霊能力があり、タロットで敵状況などを知ることができた。この時、その美女の瞳はセクシーなボンドに完全にひきつけられていて占うまでもないというのはm視聴者には小見投資である。ボンでは<ではこのカードから好きなものを取るがいい>と畳み掛ける。女性が引いたカードは見事<恋日地>であった。ためらいを捨ててボンドに体を預ける美女。女性を抱きしめるボンドの手から零れ落ちたカードの山は、、、すべて<恋人>のカードであった。これはボンドのトリックだったのだ。このようなトリックは女性にささやかな言い訳を与えるだけのものにすぎなかったといえるわけだが。

わかっちゃいるけどやめられない

ハナ肇とクレージーキャッツの最初のレコード<スーダラ節>で植木等は、こういう歌に心理的な抵抗感があって、レコーディングの前の日に悩んでお父さんに電話した。お父さんは三重県の浄土真宗の住職で、これは親鸞の教えだって、<わかっちゃいるけどやめられない>って言うのは親鸞の教えに通じるところがあるって言われたんだとか。それで吹っ切れて歌えたっていう有名なエピソードがあるんですね。

ハーブbyエリザベスブルーク

ハーブは私たちの賢明な先祖たちが残してくれた遺産です。もっとも汚染された都市でも植物は育ちます。道路のわきに花を咲かせ、レンガやアスファルトから顔をのぞかせています。その強靭さは素晴らしいもので、その適応力は、疎外感を味わったり、この世の中で恐れを抱いている私たちすべての手本となるものです。植物は、人々の心を開き、精神を高揚させます。悲しいときにも、つぼみが花開く様子を見ると幸せな時がやってくるという希望が湧いてきます。植物は、この惑星における私たちの賢い仲間で、たくさんのことを私たちに教えてくれます。

魔女狩り4byエリザベスブルーク

ヒーラーとしての女性の伝統は古くから存在していました。外科医から貴族、さらに戦闘に挑む女性がいた一方で、魔女、助産婦、看護婦の女性もいました。しかし、14世紀以降、大学で勉強する権利や医学を勉強して医者になる女性の権利は衰退してしまいました。同時に魔術だとみなされるものを実践すると、死に直面する恐れもありました。占星術には魔術による治療だといわれ、一部のサークルでは現在でもそのようにみなされています。こう考えると、薬草医療の伝統がその実践者とともに<死に葬られた>ことはふしぎではありません。自然との触れ合い、私たちを取り巻く自然に気づき、感じ、共に働くことが私たちの活力の源です。特に女性は、その肉体のリズムの周期によって季節の移り変わりとも結びついています。一つの状況から次の状況に移り、適応していく能力は生来のものです。月経の周期は短い太陰月の間に変化して、移り変わり、異なる現実に溶け込み、様々な経験を受け入れることを要求します。そのため、男性に比べて、自然とそのリズムに対してより緊密で、共感的な結びつきがあります。