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エリザベス洋装店のブログ

坂本竜馬の始祖は竹内宿禰1.

竜馬の父、坂本長兵衛(八平直足はちへいなおたり)が、天保9年(1838)に藩庁へ差し出した<先祖書指山控>によると、坂本家は<紀武内の子孫と伝う>とある。伝説上の英雄、竹内宿禰(たけのうちのすくね)がその先祖だというのだ。この人物は伝説上の人で、景行天皇(第12代)から仁徳天皇(第16代)に至る五代に仕えた重臣であったという。三百年あまりも生きたといわれ、伝説上とはいえ、長寿日本一としても知られている。特に武内宿禰をして後世にその名を知らしめたのは<古事記><日本書紀>にある神功皇后(息長足姫尊、おきながたらしひめのみこと)の伝説によってであったろう。伝説の発端は中哀天皇(第十四代、日本武尊の子)が筑紫へ渡り、皇后の同行して、灘縣(ながあがた)の香椎宮へ移ったことに始まる。中哀天皇八年の秋、九月五日、皇后へ神託が下った。<天皇は熊襲の服さぬことを憂えてはいるが、海のかなたには金銀豊かな国がある。この国を天皇に与えよう>熊襲よりまず、新羅を打つべし、との神託の旨を皇后は中哀天皇に告げた。ところが、天皇はこれを疑い高い岳に上ってはるかに大海を見渡したが水平線のかなたにそのような国は見えなかった。神託を信じなかった天皇に怒った神は<神をそしる天皇には、その国を得ることはできない。皇后の腹中の子がその国を得ることとなろう>と再び皇后に宣託したという。この神託をしたのは竹内宿禰であり、神を疑い変死した中哀天皇がたたらぬように祀ったのが、越前国敦賀郡の気比神宮寺なので、もうすでに、坂本竜馬と福井県のつながりはかなり昔から深いつながりがあったのだ。そして昔、越前国ことに、足羽郡今立郡などを中心に栄えていた豪族で生江(いくえ)氏というのがいたが、竹内宿禰の子、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の後裔と言われている。

1300年開山なぜ相次ぐ?

全国にある白山神社でその名を知られ、富士山、立山とともに日本三霊山とされる白山が2017年8月9日開山千三百年を迎えた。地元は盛り上がるが少し調べると白山以外でも1300年の区切りを祝うあれこれが目につく。当時は奈良時代。なぜ1300年の説目が相次ぐのだろうか。冬場に関西側から見上げると白山は緑の山の向こうにひときわ白く輝いている。古くから信仰の対象になってきた。その山に1300年前の717年、初めて登頂したのが越前の僧侶、泰澄だった。伝記によると、泰澄は682年生まれ、767年に86歳で亡くなった。白山の主峰、御前峰(ごぜんがみね)(2,702m)に上り、山頂近くにある池で祈ると、九頭竜王が現れ、間もなく11面観音に姿を変えた。天皇の病気を治したり、天然痘の流行を収めたりといった話も伝わる。泰澄は白山以外にも次々と山を開いた。ゆかりのある山や寺社などは長崎から山形、東は神奈川、江の島まで800以上にもなる。石川県の石動山(せきどうさん)も開山1300年祭を歌う。ちなみに来年開湯1300年とされる粟津温泉も泰澄が見つけたと伝わっている。岐阜県養老町は今年<改元1300年>を祝っている。というのは717年、元正天皇が元号を霊亀から養老に改めたからだ。町の担当者は<女帝の元正天皇がこの年、養老を訪ねた。当地の美泉に感心され、それをきっかけに改元が行われた。そんないきさつや、孝行者の猟師が滝に流れる酒を父に飲ませた民話<養老乃瀧>から町名が付きました。>と話す。各地のルーツがある<養老>はどんな時代だったのか。<710年に都が奈良県北部の平城京へ移り、しばらくが過ぎた。本格的な律令国家が動き出したころ。仏教は6世紀に日本に伝来した。養老の時期には中央の僧侶が地方へ行き、山で修業したこともあったでしょう。碁盤の目のように道を配置した都が作られ、女帝が統治した。養老律令に編纂が始まり、養老4年に日本最古の正史の日本書紀が完成した。<そう考えるとひとつの時代の説目立った。自分たちの伝統や正当性を示そうとして、後世になってから、養老年間が始まりだったと主張する。そんなケースもあるかもしれませんね。

死んだあとどこへ行くのかby立川武蔵

キリスト教では人間は死んだら土にかえる。死んだら何にもないという。仏教における尊厳について、キリスト教関係者に問われたのが<死後の世界>という本の執筆のきっかけだ。尊厳という問題を仏教が扱うことは少ない。そこで死に際して仏教がどのような態度をとってきたのかを、考察した。<死んだ後、どこへ行くのか>と宗教学者である著者はよく尋ねられる。輪廻を信じたい人も、現代日本では多くなっているという。だが輪廻の説は、最終解決ではない。輪廻は煩悩に染まった世界であり、そこからの解脱、離脱を目指してきた伝説を、仏教の歴史は持っている。輪廻の世界の超越のため、仏教がもともととっていた方法は、修行により煩悩を滅して悟りに至ることである。大乗仏教において、帰依という信仰の形態が生まれた。私語を阿弥陀仏に託さば、浄土へ行けるといった信仰だ。こうした流れを整理したうえで著者は、自らの死への態度を最後に述べる。阿弥陀に身を託したその瞬間から<後>はない。<これが私の考える、仏教流の尊厳死です。>印象深い個所がある。私語も姿を変えてでも生きていたい。輪廻思想の源にあるこの願いが、究極の願いであるならば、殺しあうことこそ究極の悪であり、<人間の尊厳ということがありうるならば、この究極の悪ニア地向かうべきなのだ>と。生きている間にすべき実践の指針を一つ得た思いだ。

スウィンギングロンドンと永平寺とポールマッカートニーのつながり

1963年,ビートルズがロンドンに移り住んだ頃(夏の間はプレジデントホテルに滞在し、その後、ハイドパークの近くのアパートで共同生活した)、社会に大きな変化の波が押し寄せていた。マクミランが予想した通りでも、ウイルソンが約束した通りでもなかったかもしれないが、変化の風は確実に吹いていた。その代わりに、様々なスキャンダルが発覚し、政治が腐敗し始めていた。だが、教育制度が大きく変わったり、イギリスの古い階級制度の壁が取り壊されたりと、よい兆しも見え始めていた。ロンドンも変わりつつあった。スモッグやほこりおおわれた50年代ロンドンの陰気な暮らしは、サイケデリック文化の勃興によって一掃され、<スウィンギングロンドン>が姿を現したのである。こうした変化は、ビートルズにも大きな影響を与えた。彼らはロンドンで新たにさまざまな人に出会い、私生活や創作活動に大きな刺激を受けたのだ。ロイヤルアルバートホールのBBCのライブ録音で、ポールマッカートニーは17歳の女優ジェーンアッシャーに出会い、恋人同士になった。ジェーンアッシャーは子役のころから有名で、のちに俳優のマイケルケインとともに映画<アルフィー>(1966)に出演したり、イエジースコリモフスキ監督の<早春>(1970年)に出演したりした。また、ジェーンとの出会いがきっかけで、ポールはアッシャー家で暮らすようになり、バリーマイルズやインディカギャラリー&ブックショップを通してロンドンのカウンターカルチャーと接点を持つことになった。このインディカギャラリーにあの1959年、アメリカのエレクトラレコードから出てた<the way of永平寺>の2枚組のLPレコードがあったのだ。アレンギンズバーグやジョンケアロックに代表されるアメリカのカウンターカルチャー、ヒッピーに影響を与えた金沢出身の鈴木大拙のおかげで、この永平寺のレコードは出されたと思うのだが、音楽的というよりもパーカッシブで、実に体に非常に強い<禅>の波動を感じる。ポールを通じてジョンレノンもこのレコードにひかれたと思うのだが、当時日本の前衛音楽家の一人は、グレゴリアン聖歌隊とこの永平寺のレコードを同時にかけてre-mixして、まるでDJのように楽しんでいる人がいた。実はポールもこの永平寺のレコードに関心があったと思われるのは、当時彼はカールハインツ、シュットクハウゼンの音楽を勉強していたのだ。1966年サージェントペッパーのLPを出す前、<ユニットデルタプラス>というアバンギャルドのグループの<ミリオンボルトシートアンドサウンドレイブ>という(100万ボルトの光と音のパーティ)に参加した。そこでポールマッカートニーは実験的電子音楽<カーニバルオブライト>は15分にわたってサウンドエフェクトをプレイした。ポールの彼女のジェーンアッシャーの兄、ピーターアッシャーと友人のジョンダンバー(マリアンヌフェイスフルと結婚したばかりの)と手を組んで、マイルズアッシャーアンドダンバー有限会社(MAD)を設立、ロンドンのセントジェームズ地区のメイソンズヤード6番地に、1965年9月、そこにインディカワークショップ&ギャラリーをオープンした。このとき、妹のジェーンの家に間借りしていたポールマッカートニーは、度々、地下室にやってきてエドサンダーズの<peace eye poems>(平和の目の詩集)や<ガンジーの非暴力主義>など様々な本を読んだ。こうして地下室に頻繁に出入りしていたポールはバリーマイルズと友情をはぐくんでいき、マイルズはポールにバロウズやギンズバーグの作品を紹介し、仏教やドラッグやフランス人の作家のアルフレッドジャリが作った造語<パタフィジックス>(形状上学の領域を超えたところにあるものを研究するために使われる哲学)について話し合った。ポールはインディカクラブのオープンに向けて手を貸した。1966年9月にジミヘンドリックスが最初のソロライブをメイソンズヤードとナイトクラブでプレイし、そして1966年11月14日このインディカクラブでワークショップをやっていた小野ヨーコとジョンレノンは出会うのであった。そして小野ヨーコの<グレープフルーツ>の詩集の中にジョンレノンが作ったとされる<イマジン>のオリジナルの歌詞がインスパイアード(影響を受けた)とされたのがこの<グレープフルーツ>のあるということで、アメリカで今年2017年、<イマジン>はジョンレノンと小野ヨーコの共作であると認められたのであった。

読むだけで心が楽になる22の言葉by本田健

1、ああ、心配して損した!と言ってみる。2、何をやってもダメなときは、人生で3度ある。3、あなたに苦痛をもたらすのは、あなたの思いだけ。4、マイナスのことも、将来はいい思い出になる。5、思いどうりにいかないときのほうが、幸せになれる。6、苦しいときは、誰かに助けてもらうチャンス。7.期待する分だけ、苦しくなる。8、悲しみの涙は、あなたの情熱をよみがえらせる。9、自分よりもっと苦しい人の幸せを願う。10、わくわくと不安は、同時に感じられない。11、人の数だけ、人生の真実がある。12、傷つくなら、それは愛ではない。13,1つのドアが閉まれば、別のドアが開く。14、不幸の中に幸せがあり、幸せの中に不幸がある。15、ポジティブ思考をやめると、幸せになれる。16、運がよくなりたいと願ったら、運が悪くなる。17、不運が続くときは、運の充電期間。18、よい、悪いの判断を手放せば、人生はもっと楽になる。19、ハッピーエンドは自分で作り出すもの。20、あなたは、これからの人生で何度も失敗する。21、人間は、負けたら終わりなのではない、やめたら終わりなのだ。22、未来は、選べる!今、世界が大きく動いています。今までどうりの生き方では通用しない変化の時代に入りました。変化することに躊躇する人にとっては苦しい時代になりました。変化を楽しむ心の余裕のある人にとっては、わくわくする時代になりました。これからはお金、仕事、パートナーシップ、健康などあらゆる分野で感情が大きく揺さぶられることになります。その大きなゆさぶりの中で、人は自分の人生を作り上げていくことになります。八方ふさがりの感じがして、絶望することもあるでしょう。でもその時にはあなたのことを大切に思う人のことを思い出してください。きっと誰かがあなたのことを見守っています。これからいろいろなことが変わったとしても、人の絆は変わりません。あなたがつながっている人たちとの絆を大切にしてください。それが、あなたの人生のすべてです。これから、あなたが、自分らしく輝く最高の人生をスタートさせることを、心からお祈りしています。