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エリザベス洋装店のブログ

日本ではなぜ神棚と仏壇が一つの家に存在するのか?4.

一方で、仏教もまた日本の風土に適するように形を変えていく柔軟さがありました。在来の神々は、病気平癒や一族の安泰といった現世利益的な願いをつかさどる存在でした。仏教はそうした役割を受け入れていったのです。6世紀末から7世紀の初めにかけての飛鳥時代には、豪族らが古墳に代わって寺院(氏寺)を建立しました。例えば、蘇我氏の氏寺である奈良県明日香村の飛鳥寺(法興寺)の塔の下には、勾玉(まがたま)や武具といった古墳の副葬品と同様の品々が埋蔵されていたことが確認されています。これは、祖先を祀り、一族の権勢を誇示するという古墳の役割を寺院が引き継いだことを示すものです。また大阪市の四天王寺は厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)が物部氏との戦いに祈り、勝利を得たので創建されたと伝えられています。このように仏教は当初、現世利益をかなえる呪術として受け入れられました。そして8世紀の奈良時代には、戦乱や疫病から朝廷を守る鎮護国家の役割を担うようになります。煩悩を滅して悟りを得るという仏教本来のあり方からすれば、それは<変質>と言えるでしょう。しかし、人々の望みにこたえる<しなやかさ>があったからこそ、仏教は日本の風土に根付き、在来の神々とも<共存>できたのです。

日本ではなぜ神棚と仏壇が一つの家に存在するのか?3.

<仏教の伝来>(西暦538年)(552年説もあり)百済の聖明王が欽明天皇に仏像、経綸を献じる(仏教公伝)、(西暦594年)仏法興隆の詔(みことのり)、(西暦604年)憲法17条<篤く三宝、仏、法、僧>を敬へ、(西暦607年)厩戸皇子(聖徳太子)、斑鳩寺(いかるがでら)(法隆寺)を建立、(西暦680年)天武天皇の発願により薬師寺の造営開始、(西暦741年)国分寺建立の詔、(西暦743年)大仏造立の詔、(西暦752年)東大寺で大仏開眼供養会、(西暦753年),唐僧、鑑真の来日(戒律を伝える)。

日本ではなぜ神棚と仏壇が一つの家に存在するのか?2.

在来の神々への信仰と、伝来した仏教との融合(神仏習合)は早くも奈良時代からみられ、神宮寺の建立や神前読経が行われました。そして、現代においても、七五三など人生の節目には神社にお参りし、祭儀は仏式で行うというように生と死の領域で両者はすみ分けられています。こうした<共存>が可能となった背景には、日本独特の宗教的風土がありました。中国、朝鮮半島を経由して日本列島に仏教がもたらせたのは、古墳時代後期の6世紀半ばのことです。当時の大和政権と密接な関係にあった百済の聖明王から仏像、経論が献上されると、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏による争いを経て、仏教は外国から渡来した神<蕃神>(あたしくにのかみ)として受容されます。豊かな自然に恵まれた日本の国土では古来、自然物や自然現象に神(霊魂)の存在を認めるアミニズムが発達しました。たとえば福岡県の宗像大社、沖津宮は玄界灘の沖ノ島を、奈良県の大神(おおみわ)神社は三輪山をご神体として祀っており、いずれもその周辺から古墳時代の祭祀(さいし)遺跡、祭祀遺物が発見されています。このようにして多数の神が存在する日本の宗教的風土は、仏を神の一つとして受け入れる寛容さを持ち合わせていました。神の原像を共同体の外部から訪れて恵みをもたらす<まれびと>に見出したのは国文学者の折口信夫ですが、仏教の仏はまさに<まれびと>としての神だったのです。

日本ではなぜ神棚と仏壇が一つの家に存在するのか?1.

問題、日本列島に仏教が伝わると、在来の神々への信仰もいろいろな影響を受けることになった。在来の神々への信仰と仏教の間には違いがあったにもかかわらず、両者の共存が可能となった理由について、60字以内で述べなさい。(2015年度、東京大学、改題)。正解、自然物や死者の霊を祀る多神教的な風土の下、仏教は在来の祖先崇拝と結びつき、呪術的な信仰として受容されたことによる。(57字)

琴平おばあちゃんbyべネシアスタンリースミス

たくさんの美しい山や森林に恵まれた日本は、ハイキングするには最適の国です。国土の70パーセントが山林ですから、電車や車にちょっと乗ればどこかの山や森に行き当たります。私の場合は、山の頂上を目指すことより、森の中で静かな自分だけの時間を楽しむために野山を歩きます。日によっては、体がだるく感じ、つらくて歩きたくないと思うこともあります。でも歩き出してしばらくすると体が温まり、筋肉や関節がほぐれ、体中を血が巡っていくのを感じます。そうなるとだんだん楽になり、足取りも軽くなります。一日中山歩きをすると、エネルギーが満たされ、10歳は若返ったような気分になるものです。山を歩いた日の夜は、寝室に上がると、あっという間に深い眠りに落ちます。我が家の近くにある金毘羅山の中腹に琴平新宮社という小さな神社があります。山道を歩けなければいけない神社なので訪れる人は少なく静かで落ち着いた神社です。そこを通って金毘羅山に登るコースは、私のお気に入りのコースの一つです。琴平神宮社にはいつも境内の掃除をしたり、お祈りをしているおばあちゃんがいます。私は彼女のことを<琴平おばあちゃん>というニックネームで呼んでいました。ある日、琴平神宮社に登っていくと、琴平おばあちゃんが、お茶とお菓子を進めてくれました。お茶を飲みながら、どうして琴平おばあちゃんがここに毎日来ているのか、思い切って尋ねてみました。琴平おばあちゃんは大正13年生まれで、85歳になるそうです。40年間、雨の日も雪の日も、また台風の時もほぼ毎日欠かさず、琴平神宮社へ来るそうです。住んでいる家はかなり離れており、静原という金毘羅山の西側の町までバスに乗り、そこから山道を登って通っているということです。琴平新宮社に毎日通うようになったきっかけは、ご主人のがんでした。ご主人に治ってほしいという願いを込めて、琴平おばあちゃんは毎夜お参りしました。思いは通じ、ご主人はがんを克服することができました。その後、数年間は、元気に暮らすことができたそうです。こんなにも琴平おばあちゃんが元気なのは毎日山を歩いていることと、大きなことでおいのりしていることがきっと体と心にいいのだろうと思いました。ある日、私の友人の竹林正子さんがディーンコーエン著<いくつになっても脳は若返る>という本を進めてくれました。コーエン博士は、長年の臨床経験に基づいて年齢を重ねても豊かで充実した生活を送れるといっています。まず、日々の運動が大切であることが指摘されています。運動をしなければ、体の筋肉や器官は徐々に衰え、心臓発作や関節炎、高血圧、アルツハイマー病へとつながることもあるようです。山登り、散歩、水泳、サイクリングなどの有酸素運動は、新しい脳細胞の成長を促し、脳を発達させるということです。また細胞エネルギーを作り出すコエンザイムQ10を体内で増やす効果もあるといわれています。この物質は、もともと体の中にあるもので、エネルギーを生み出すための酵素を助ける補酵素だとのことです。琴平おばあちゃんを見習って、私も年を重ねるにつれ、より意識してウォーキングの時間を作るようにしています。